第8話 真夜中のセルリアン
教授は寝床の中にいた。だが、その目は開いていて、ぼんやりと天井を眺めていた。
最近は歳のせいだな。寝つきが悪い……教授はそんなことを思った。といっても昼間に眠いということも無かったのだから、弊害があるというわけではなかった。ただ、気持ちの問題である。ぐっすり眠れた感じが無いというのは酷く不快なものだった。かといって、そんなことを考えていて良くなるわけでもなく、教授は先日のことを思い返していた。
あの日、パーク職員のイマニシ博士と話をしているときに現れた合衆国の女性学者は、急用で戻らなくてはならなくなったとだけ言うと、また店を出て行ってしまった。
「今のが合衆国の機関にいるナタリー・ロペス博士ですよ。それしても残念だなぁ……生物・環境研究所とジャパリパークの研究部門に合衆国の研究機関、立場も役職もまったく異なるとは言え、フレンズ研究の関係者が顔を合わせて話ができると思ったのに」
イマニシ博士はため息交じりに言った。
「それから、合衆国の機関ではセルリアンに重点を置いて研究をしているらしいです」
「らしい?」
教授はやけに濁した言い方だなと感じた。
「僕も詳しく訊きたいことは沢山ありますが、機密保持と言われていつも逸らされているんです」
「大げさだね」
教授は笑いながら言った。
「いや、あながち間違ってもいないとは言えます。サンドスターやフレンズ化現象ならいざ知らず、セルリアンについては詳細がまったく知られていません。誤った情報や認識が広まったりすれば混乱を招きかねませんし」
「それもそうだが。それとも、パークを信用していないのかね?」
「さすがにそれはないでしょう。ただ、彼らには彼らなりの考えがあるのではないでしょう」
そこで話を区切ると、手つかずだった夕食のつづきに戻った。
「すまない。そう言えば私やロペス博士の話ばかりで、君については訊いていなかった」
「それもそうですね」
イマニシ博士はさほど気にしないと言った様子で応えた。
「僕のいるところではフレンズ達について研究ってほどでもないですけど、身体検査や血液検査といったような、言ってしまえば地味で堅実な点に重きをおいてます。今のところは施設の建物内で保護していますが、あっさてくらいにはパーク内を自由に出歩く姿が見れると思いますよ」
「ところで、フレンズはいったいどれほどの数がいるのです?」
「いや、それがまだはっきりと把握できていないのが現状でして、施設で保護しているならまだしも目撃情報だけといったのも多々あります。それにジャパリ島は周囲の島も含めてそれなりに広いですからね」
博士は申し訳なさそうに言った。
「いや確かに、私だってサンドスターの分布を調査するだけでも骨が折れそうだ」
その日はお互い細かく突っ込んだことまで議論や意見交換はしなかった。これから先、この集いにどれほど時間を使えるかは分からなかったが、ひとまずは前進だと思っていた。
そうした一方で、悩むべくこともあった。その日、街から戻ってメールを確認すると、当初の予定ではもっと人員が派遣されるはずだったのが、本土の研究所で急な人事見直しと予算組み直しにより、代わりに濃度計の改良タイプと撮影機材付の大型ドローンを代替手段とするとされたのだ。つまりはこれからも三人だけで仕事をこなしていかなくてはならいのだった。
まったく、何が起こるか分からんものだな。教授はそう思った。
「はあ、無理に寝付くこともあるまい。外の風にでもあたってみるか」
教授はそう呟くと、上着を羽織って静かな足取りで建物の屋上に向かった。
屋上の適当なところに腰を下した。夜空にはほとんど雲も無く、半月と沢山の星々が輝いていた。結局のところ、本土からしてみれば自分たちは閑職なんだろうな……。見る人によっては左遷ととらえられないこともなかった。他の重要な研究は本土の、ここから遠く離れた安全な場所で行われている。ジャパリ島はもちろんジャパリパークというテーマパークだが、まだ手つかずの自然が残っているし、フレンズ意外に野生動物もいれば、昨今はセルリアン騒ぎ等々……。安全で快適かと言われるとそうではなかったが、やはり物事の本質を知るには現場を知らなければならん気がするとは思っていた。
その時、屋上に出る扉の軋む音がした。そしてエーレンベルクとミヤタケ研究員の姿が現れた。
「なんだ、皆集まってしまったな」
教授は気恥かしそうに言った。
「いや、物音がしたものだから何かと思って……」
「教授どうかしたんですか?」
ミヤタケ研究員は心配そうにしていた。
「いや、人生悩みは尽きないなといったとこだよ。まあ、そんなときはこうやって夜空を眺めて落ち着こうといったとこだよ」
「教授は案外、ロマンチストですね」
「うわー、すごい星空ですね。私都会っ子なんでこんな星空そんなにみたことなんですよ」
しばらくの間、三人は言葉もかわさず夜空を眺めていた。
「教授、あれなんでしょう?」
視線を落としたミヤタケ研究員が突然言った。
「どうした?」
建物周辺の平地には、なにやら月明かりを受けて輝いている沢山の動く物体が確認できた。
「まさか、セルリアンですかね」
エーレンベルクは目を凝らしなが言った。
「なに?」
教授の目にも、月明かりに照らされた何やらうごめくものがたくさん見えた。
「大量のセルリアンですか?」
「双眼鏡! それから記録用カメラも持ってきてくれ」
咄嗟に教授が言った。
「一体なにごとでしょうね?」
「そこは分かんらんが、これほど大量のセルリアンなら驚きの発見だ」
だが、その言葉とは裏腹に教授は何やら漠然とした不安を感じたのだった。
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