第13話

「ひどい台詞があったものだな、クラエス。

 当人たちの気持ちを知らないとは言わせんぞ?」

 俺を見返す公爵の目は、恐ろしく冷たかった。


「むろん知っている。 だが、それに何か意味があるのか?」

 そう、意味など無い。

 なぜなら、それが国家の問題における最適解であるからだ。


 政治の場に、個人的な感傷など入り込む余地は無い。

 ただ、何がもっとも利益になるかを追求するだけである。

 それができないというのならば、王族や国家の中枢などにいるべきではない。


「……そうだな。 ただし、本人が暴走する可能性もある。

 その結果、貴様が殴られようが刺されようが我々は関与しない」

 公爵は目を細めて半眼になると、皮肉をこめてそんな台詞を俺に投げつけてきた。

 よけいなお世話である。

 あいかわらず、こちらが一番嫌な言葉を的確に選んでくる男だ。


「それこそ、余計なお世話だ。 あと、アンナだけでは寂しいだろうから、テレサ嬢もつけて帝国に贈ってやろう。

 顔と家柄を考えれば、帝国の側室として出してもおかしくはないはずだ」

 帝国に嫁いだアンナがうまく権力を握ることができるとは限らない。

 ならば、タイプの違うテレサを保険として嫁がせておくのは悪くない選択肢だ。


 だが、俺のこのすばらしい提案に対し、公爵はあらゆる感情をそぎ落としたような顔でこう告げたのである。


「……クズが」

「心外ですな。 俺は、この最悪の状況の中でできるだけこの国が幸せになる道を考えただけですよ。

 約束どおりにね」


 そして、若かりし日の俺は、ついにその復讐を成し遂げたのであった。

 達成感などかけらも無い、ただの気だるさを残して。



 後日、ケーユカイネンに戻った俺を待っていたのは、顔を真っ赤にして怒りをあらわにしたテレサであった。

 その隣にいるアンナは、逆に能面のように顔を凍りつかせている。


 彼女たちの普段とは真逆に近い雰囲気に、人間とは追い詰められたときにこそその本性をあらわにするというフレーズが浮かんだ。

 こんなときまで小説家である自分に、思わず乾いた笑みを浮かべそうになる。


「あんまりではありませんか! 私はもとより、ハンネーレ殿下のお気持ちは貴方も知っているはずです!!」

 目に涙すら浮かべつつ俺に詰め寄るテレサだが、彼女の感情が高ぶるほどに俺の心は冷えていった。

 これでも、お前らのことをちゃんと考えた上での結論なんだがな。


「それがどうした? お前らは女であるかもしれないが、貴族であり王族だ。

 その義務を果たせといっているだけだが、何か?」

 悪いが、俺は複数の女を受け入れて平等に愛することができる男じゃない。

 たぶん、感情に流されて彼女たちを受け入れれば、かえって彼女たちにもミルカにも深い傷と永きに渡る苦しみを与えることになるだろう。

 だから、徹底的に拒絶するのが一番よい……それが俺の出した結論なのだ。


 だが、シュルヴェステルは違う。

 あいつならばお前たちを等しく包み込んで、俺がつけた傷を癒してくれると俺は信じている。


 だから……捨てるんじゃなくて、託すのだ。

 許してくれなんて甘えたことは言わない。

 憎みたいなら、好きなだけ憎めばいい。

 けど、お前たちを受け入れることだけはできないのだ。


「もういい、テレサ」

「ですが!!」

 俺の冷たい言葉に、アンナはまるで冬の日差しのような、はかなくも澄み切った笑みを浮かべてテレサを止めた。


「我々の贅沢と権力は、民と国のために尽くす代償だ。

 義務を果たせといわれれば、私に否は無い」

 まるですべてを悟ったかのような優しい笑みが俺の心をえぐる。

 だが、ここで意見を翻したところで誰も幸せにはなれないし、俺はそこまで愚かではない。


 あぁ、そうだな。

 認めよう。

 大陸の命運を自分の物語で塗り替えた俺だが、自分の恋物語だけはしくじったのだ。

 たった一人しか……ミルカ以外に愛する人を認めようとしない、自らの器の狭さゆえに。


 そもそも、恋というのはなぜこうも倫理をわきまえないのだろうか?

 なぜ、俺みたいなひどい奴を選ばせ、アンナやテレサの心を傷つけようとする?


 もしも恋の神か女神がいるというのなら、恋を作り出したその罪に引きずられて地獄に落ちるがいい。

 そして世界中の叶わぬ恋の苦しみをその身に受けてもだえればいいのだ。


「この国が帝国に飲み込まれるというのが運命ならば、私にはその中においてこの国の地位を上げる義務がある」

「さすがはハンネーレ王女。 ご英断に感謝します」

 王族と官僚、そんな仮面の下で血を流しながら俺たちは冷えた会話を語り続ける。


「ひとつ聞かせてくれ。

 私の心をお前の物語のための道具にして、楽しかったか?」


 ……そんな台詞、笑顔のまま口にするなよ。


「信じるかどうかすらもはやどうでもいいが、お前の好意だけは完全に計算外だったよ。

 せめて俺がミルカを受け入れたあのときに、お前もあきらめることができればこんなことにはならなかったんだ」


 ほんと、馬鹿だなアンナ。

 それが出来ていれば、お互いにここまでつらい思いをする必要はなかったのに。


「できなかったことを責めるのは愚かだと思わないか?

 私にとっては初恋だったんだぞ?

 王女である私がなぜ引かなければならない……まぁ、あのころはそう思っていたな。

 うむ。 言い訳の仕様も無く子供であった」

 クスクスと笑うアンナだが、やはり無理をしているのだろう。

 その仮面の隙間から透明な涙が零れ落ちた。


「ひとつだけ忠告しておく。 ……お前、俺を選んじまうほど男を見る目ないからな。

 二度と変な奴に引っかかるなよ? まぁ、皇帝はいい男だと保証するから心配するな」

「そうか。 肝に銘じておく」


 笑いながら穏やかに告げる声がかすかに震えている。

 あぁ、そろそろ限界なのだろう。

 一人にしてやらなくては。

 

「近々、皇帝からの使者がこの国に来る。

 そのときにお前の婚礼の話もするから、準備をしておけ」

 俺はわざと事務的にそう言い放つと、自分の執務室へと逃げ込んだ。

 そしてバイオリンを取り出すと、わざと場違いなほどに明るい曲を選んでかなで始める。


 誰もいない部屋の空気を、遠くから聞こえる甲高い嗚咽がわずかに揺らした。

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