第11話

 西の国の軍隊が悪夢に襲われた翌日。

 クラエスの指示による攻撃は、何の宣告もなく突然に始まった。


 その兆候は、聞いているだけで頭が痛くなるような重低音。

 上を見上げると、巨大な蜂のような生き物が空を埋め尽くしていた。


「なんだ……あれは」

 人面疽の不気味な笑い声が響く中、上を見上げた兵士が疲れきった顔で呆然とつぶやく。


 目の前に広がる空は灰色。

 その陰鬱な色をした空のかなたから、その蜂の化け物は、手にしていた何かを投げ落とした。


 中身の保存に失敗して変色した樽……落ちてきたそれは、誰の目から見てもそのように見えたし、事実それは中身の保存に失敗して変色した樽である。


 ただし、中には悪夢と絶望が詰まっていた。

 その樽が地面に接触した次の瞬間……激しい爆音と共に衝撃が襲い掛かかり、兵士たちの体を小枝のように薙ぎ払う。


「いったい……何がおきた! あれはいったい何なんだ?

 魔術を使った気配もないのに、なぜ爆発する?」

 立ち込める激しい土埃の中で、生き残った将校が上を見上げて叫ぶ。

 そして次の瞬間、彼もまた同じように原型をとどめぬ肉塊となりながら地面を赤く染めた。




 そのとき、俺は天幕の中でダークエルフの奏でる竪琴の音を聞いていた。


 きっと、西から来た軍勢は地獄のような状況に陥っているだろうが、それこそ知ったことではない。

 戦争に参加するということは、いつ死んでもおかしくないということなのだから。

 そう、この俺ですらいつどんな拍子に死ぬかわからない。

 ここでは、誰も自分の安全を保証してくれるものはいないのだ。

 それが戦場なのだ。


 あぁ、なんと忌まわしい。

 そんな現実を忘れるためには、やはり執筆をするのが一番である。

 だが……それはできない。

 こともあろうか、公爵から執筆禁止をくらったからである。


 曰く、引き受けたからには作戦に専念しろということだ。

 腹ただしいことに正論である。

 いや、正論であるがゆえに腹だたしい。


 そんなわけで、俺は仕方なしに執筆をあきらめ、音楽で気を紛らわせることにした。

 執筆の時間ほどではないが、音楽はいい。

 なによりも、遠くから響く爆撃の音を聞かずにすむのはありがたい。


 そして、俺がまるで天国のような明るくやさしい調べに聞きほれていると、不意に誰かが天幕の中に入る雑音が、美しい旋律の中に混ざりこむ。


「クラエス、どうやら西の第一陣は壊滅状態のようだぞ」

 部下から報告を受けたのだろう。

 俺の副官であるパシは挨拶もなしにそう言い放った。


「そうか。 引き続き爆撃を続けてくれ。 相手が逃げたら無理に追わなくていい。

 どうせ感染から五時間以内には発症して動けなくなる」

 すでにこちらから放ったダークエルフの斥候たちによって、例の病が向こうの軍の中で大流行していると報告を受けている。

 おそらく、誰一人として逃げることはできないだろう。


 そして、指揮系統が完全に混乱し、何が起きているのか、その状況の把握すらできないままやつらは死んでゆくのだ。

 空から降ってくる爆弾麦の入った樽によってな。


「あと、停戦交渉の草案ができたから、外務大臣の奴に届けておいてくれ。

 今月中には向こうから使者が来るだろう」

「わかった。 しかし西の国の連中も散々だな。

 この国から土地をぶん捕ろうと攻めてきたはいいものの、第一陣があっけなく殲滅。

 意気消沈したところに、こんどは帝国にまで攻め込まれるとは」

 

 戦争において、もっとも基本的な戦い方とは大勢で少数を叩くに限る。

 その基本を忠実に守るため、俺は帝国を率いる親友に手紙を書いたのだ。

 西の国を弱らせるから、さっさと潰してしまえ――と。

 しかも、この国が動くよりも早くだ。


 そうすれば、この国の馬鹿共が欲を出して西の国に逆侵入しようと言い出すこともなくなるだろうしな。


「そう遠くない未来にこの国の貴族共が俺の名前を憎しみをこめて叫ぶだろうが、俺が帝国に顔が利くことを忘れていた奴が悪い」

 巨大な版図を持つ帝国は、わが国のみならず西の国とも国境を接している。

 わが国に攻め込んだ軍の第一陣が正体不明の手段によって一人残らず始末されて士気が落ちた状態であれば、そこを蹂躙するのは至極簡単なことだ。

 本当はこの国を攻めるために準備させておいた軍だが、その場に応じて使えるものは何だって使うべきである。


「さて、そろそろポチに命じて妖精共に感染させた病原菌を死滅させろ。

 あれは世に残していいものじゃない。

 ほっといて西の軍隊に必要の無い死傷者を出すのも避けるべきだろう」

 陰惨な人の心を描くのは嫌いじゃないが、怪奇小説はあまり好みではないんだ。


「そんな最悪の兵器をも見せしめのためとはいえ容赦なく使うお前は本当にどうにかしているよ」

 俺の言葉に、パシは苦い笑みを浮かべる。


「ものは使いようだ。 最終的な死者の数を削減できるなら、俺は躊躇無くその方法を選ぶぞ。

 まぁ……できれば二度と使いたいとは思わないがな」

「史上最悪の兵器も、自分ならば巧く使いこなせると?

 やれやれ、相変わらず傲慢な男だ」


 今回使用した病魔兵器については、一切記録にも残すつもりは無かった。

 そのかわりに、およそ5000人にもおよぶ西の連中の第一陣は、爆弾麦から作った兵器とビヤーキによる空襲で全滅した。

 ……そう記録されるべきなのである。

 異論は許さない。


 むろん、俺を見張っているこの国の間諜も、そのほかの国の間諜も、あの病の恐ろしさを目撃することになるだろう。

 だが、秘密を知ろうと戦場に近づいたものはすべからく病に感染し、黄泉の女神のもとへと召されるのだ。

 情報を持ち帰ることは許さない。

 特に、俺の手持ちのビヤーキの数が足りなくて、5000の兵を一方的に皆殺しに出来るほどの戦力が無いということは絶対に知られてはいけないのだ。


 そして、5000もの兵すべてを爆撃によって奪われた西の国は、恐怖におののいて戦う意思を失ってしまうだろう。

 むろん、そうなるように西の国に放っておいたこちらの間諜がそのうわさをさらに誇張して国中を煽り立ている頃だ。


 帝国が攻めてきたのは幸いだ。 抵抗せずにおとなしく帝国の支配を受け入れよう。

 さもなくば、5000の兵を一夜にして一人残らず惨殺したあのクラエスという化け物によってこの国は皆殺しにされてしまう。

 奴を止める事が出来るのは、その親友である皇帝しかいない……と。

 さらに援護として、ビヤーキとブラウニーに命じて価値の少ない街の近郊に威嚇のための爆撃も行わせている。

 今頃、西の国の住人は生きた心地がしていないだろうな。

 そう、この作戦……このクラエス・レフティネンを"絶対に勝てない無慈悲な化け物である"と相手に思い込ませることこそが重要なのである。


 あとは、我が親友殿のカリスマという奴に期待しよう。

 なに、この俺をも味方に引き込むことができた男だ。

 西の国の連中などどうにでもなるさ。


 俺は気分転換に天幕の外に出ると、灰色の光が降り注ぐ曇天を見上げた。

 その遥かかなたには雲の切れ目があり、わずかに青空がのぞいている。


「俺の描いた物語が、現実において完結する日は近いな」

 その眩い光に目を細めながら、俺は誰に語るとも無くそう呟くのであった。

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