第10話

 クラエスが軍勢を率いて最前線までやってくる。

 ……その知らせを聞いた西の国の軍の動きは早かった。

 だが、歴史家たちはそれを評価して『ただ早かっただけ』としかその記録に記すことができなかったという。


「まずは相手の出方を探るために斥候と細作を派遣しろ!

 そして仔細漏らさず相手の様子を報告するのだ!!」

 西の国の指揮官にして王子である青年は、こわばった顔で将校たちに指示を出した。

 なにせ相手は大陸中のすべての参謀たちが恐怖をもって語るほどの化け物である。

 油断すれば、どんな恐ろしい策を繰り出してくるかしれたものではなかった。


 だが、そんな指揮官に対し、部屋に控えていた参謀の一人が恐る恐る声を上げる。


「恐れながら殿下、それはとても困難だと予想されます」

「ほう、それほどまでに敵の警備は厳しいのか?」

 その程度のことは予想の範囲である。

 国を越えて恐れられている策謀家だけあって、情報というものの重要性を重視しているのは、むしろ当たり前だろう。


「いえ……なんというか、その……情報自体は恐ろしくダダ漏れなんです。

 ただ、ちょっと……」

「なんだ、はっきりと言え! 貴様、それでも軍人か!」

 参謀のあまりにも煮え切らない態度に、業を煮やした王子は強い言葉で彼を問いただした。

 たとえどんな絶望的な現実が待っていたとしても、まず知らなければ対策を立てようも無い。

 むしろとんでもない戦力を用意している程度は想定内だ。


 だが、彼は気づいていなかった。

 クラエス・レフティネンという人物がそんな常人の頭が許容できるほど生易しい策を考えたりはしないことを。

 そして、想定していることと対応できることは、イコールではないということを。


「では、申し上げます。

 かのクラエス・レフティネンは亜人と妖精のみで編成された軍を率いております!

 人族の細作を放ったところで一瞬でバレてしまうかと」

「……なんだと?」

 亜人や妖精という生き物は総じて個人主義者であり、人間よりも協調性に欠け、兵士としては向かない存在である。

 そんな連中を集めたところで、可能なのは物量に任せた人海戦術でしかない。


「しかも、かの軍勢はその数こそ三万というすさまじい代物ですが、その中身はほとんどが女子供、赤ん坊すら混じっているとのことです」

 参謀の口から次々と飛び出す内容に、王子のみならずその場にいたほかの参謀たちも戸惑いを隠せない。


「……聞きしに勝る頭のおかしさだな。

 女子供を軍として駆り立ててもただ死ぬだけだぞ?

 いったい何を考えている……細作を防ぐ効果はあるが、実質的に何らの意味も無い」

 だが、必ず何らかの意図があってやっているはずだ。

 なぜなら、それがクラエス・レフティネンという存在だからである。


「えぇい、イライラする。 奴は道化と混沌の神の使徒か!

 さしあたって、斥候を放って相手の動きだけでも調べておけ。

 情報の収集も怠るなよ!

 その間に次の対策を練る!」

 だが、彼らに対応を考える時間は無かった。


 ――悪夢の時間がやってきたからである。


 最初の被害者は、敵の視察を終えた斥候たちであった。


「おい、誰だ笑っているのは!」

 その音に苛立ち、眠っていた斥候は怒鳴りながら跳ね起きた。

 だが、誰もいない。

 そう、誰もいない天幕の中で、たしかに小さな笑い声が響いている。


「くそっ、何の悪戯だよ! 俺は疲れてんだから、邪魔をするな!!」

 だが、いくら怒鳴ってもその笑い声は一向に止まらない。

 そして彼は、ふとあることに気づいた。


 その声が、彼の左の肩から響いていることに。


「う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 恐怖にかられた彼は、裏返った声で叫びながらシャツを脱ぎ捨てる。

 そしてそこにあったのは……人の顔。

 彼の肩に人の顔のような潰瘍が浮き上がり、そのおぞましい口から赤ん坊のような無邪気な笑い声を上げているのだ。

 しかも、今度は膝のあたりから別の笑い声が聞こえ始めたではないか!?


「ひぃっ、なんだ! なんだこれはぁぁぁぁ!!」

 悲鳴を上げながら暴れまわる音を聞きつけ、同僚や周囲の兵士が駆けつけてくる。

 そこで彼らが見たものは…。


 全身に無数の人の顔を貼り付け、その顔にナイフを突き刺しながら狂気の叫び声を上げている仲間の姿であった。


 そしてこの恐ろしい奇病は、夜明けを待たずして西の国の軍勢におそるべきスピードで広がっていったのである。

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