第3話

「地獄に落ちるがいい、この……悪魔の申し子が!!」

 物語を読み終えるなり、とある文官は額に青筋を立ててその書面を机に叩き付けた。

 その言葉に、周囲からも賛同するような声が上がる。


「扱いには気をつけてくれたまえ。

 王の密偵が命がけで手に入れた代物だぞ」

 文官の振る舞いに文句をつけたのは、国の諜報部の長だった。

 同じ諜報を生業としているだけに、文字通り命がけで盗んできた貴重な資料の、そのぞんざいな扱いには我慢ができないらしい。


「貴様には私の気持ちが分からんのか! この冷血漢め!!」

「貴様の感傷など知ったことか。 だが、この文章が恐ろしく危険であることは間違いないな」

 彼らが話題にしているその書面は、ムスタキッサがケーユカイネンの代官屋敷から持ち出したクラエスの原稿であった。


 それが本当にシュルヴェステルの物語であるかについては書いた本人が口を割らないためなんとも判断しがたいが、それは国の実力者の絶対に知られたくない醜聞や不正、領地経営の弱点などがこと細かく記されているという……まさに悪夢のような代物だったのである。


 むろんこれはただの物語であり、その内容に証拠としての力などあるはずも無い。

 だが、そこに書かれている醜聞の全てが真実であることを知っている王宮の古狸共は、全身の血が抜けてなくなるかと思うような恐怖を味わっていた。

 なお、先ほどの激昂した文官も、物語の中で自分が手を染めている悪事……彼の場合は横領について余すところ無く暴露されている。


 つまり、彼は激怒ではなく恐怖していたのだ。

 絶対に他人には知られることが無いと思っていた秘密が、まるで自分をあざ笑うかのように暴露されているという現実に。

 そして、他人の秘密をこともなげに知りえる、クラエス・レフティネンという男の得体の知れない能力に。


「しかし、惜しいな。

 もしも諜報機関にスカウトできたならば、周辺の国々を手玉に取ることもできるだろうに」

「……何を言っているのかはわからないが、問題はそこではない」

「左様。 巧みにごまかしてはありますが、この物語は間違いなくわが国を舞台にしたもの。

 ヒロインに関しては、おそろくハンネーレ王女のことではないかと」

 物語の中に書かれていることが真実であっては困る人間たちは、自分への追求と糾弾を避けるため、巧みに論点をすり替え始める。

 だが、彼らはその行動によって自分たちが見えない糸に縛られてゆくということには気づいていない。


「この物語の要点は、ひとつ。

 この国を落とすために、第一王子と第二王子の反目をあおり、内戦を引き起こして国の力を弱めることにある」

「しかしその仕上げとして、よりにもよってハンネーレ王女の暗殺を目論むとは……まさに悪鬼の申し子でございますな」


 なお、彼らの読み取ったクラエスの策とは、以下のようなものであった。

 第一王子と第二王子の両方に強いうらみを持つ人間に弓矢を与え、パイヴァーサルミで休暇中のハンネーレ王女を襲わせる。

 そしてその犯人に、第一王子の依頼で王女を殺したと証言させるのだ。


 なお、さすがに物語だけあって、皇帝自身がパイヴァーサルミに乗り込んで暗殺の指揮を執るシーンがあり、ターゲットであるハンネーレ王女との全身がむず痒くなるようなラブロマンスが書かれている。

 その部分だけ見れば、さすが天下に名がとどろく大作家なのであるが、そのほかの部分があまりにも国にとって都合が悪すぎた。


 ――この物語は、ここで葬り去らなければならない。

 だが、それにはどうすればいいか?


 その結論が出るのは早かった。


「ハンネーレ王女には申し訳ないが、事が過ぎるまで軟禁させていただきましょう」

「お待ちください! ハナネーレ殿下は我ら第二王子麾下の騎士たちにも人気が高く、彼女を幽閉すれば彼らの士気に影響が出ます!」

 すかさず第二王子の指揮下にある私兵団から意見が飛ぶが、冷たい微笑が即座に彼を打ちのめした。


「何をおっしゃる。

 このままではクラエス・レフティネンの策によって彼女の命が危ういのですぞ!」

「そのとおり! あの油断ならぬ男のことだ……すでに暗殺者を仕込んでハンネーレ王女の周囲に仕込んでいるに違いありませんぞ!!」

「なんて奴だ! 学び舎の同輩であり、カ・カーオの件で親しくしていると思いきや、そんな姫に対しても情け容赦なく死を望むとは……」

 もしもこの様子をクラエスが見ていたならば、策によって国を傾けるなら、権力を持ったバカに想像力を与えることであると嘲笑ったことだろう。


「王よ、決断を」


 そして廷臣たちが最終的に王へと判断を求めると、王は横に控えていた歳の離れた弟に意見を求めた。


「……イッロ、お前はどう思う?」

「これはとても判断が難しい話でございます。

 個人的には、この文章はわざとわれわれに見せたものではないかと」

 この国の宰相でもあるイッロ・ヘルマンニ・カリオコスキ公爵は、眉間に皺を寄せて忌々しげにそう告げた。


「わざと?」

「左様。 あの男ならば、わざとこのような文章を残してわれわれをかく乱するぐらいのことは平気でやるでしょうな」

「では、われわれは現状維持でよいのか?」

 だが、公爵は難しい顔で首を横に振る。


「いえ、ハンネーレについては身柄を押さえる必要があるでしょう。

 あれは、一人の女としてクラエスに惚れ抜いていますが故に。

 クラエスを自由にしようと動かれては、後々面倒なことになるのではないかと」

「それでは……かの男の望んだとおりのことになるのではないのか?」


 すると、国王の問いに、この男には珍しく弱弱しい声で結論を告げた。

「そのとおりです、陛下。

 困ったことに、われわれはどうやってもあの男の思うように動くしかないのです」


 ――化け物め。

 静まり返った会議の場に、誰かがつぶやく声が小さく響いた。

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