第6話

「いいだろう。 何の話だ?」

「私たちのこれからについての話だ」 


 背中に嫌な汗が伝う感触になんともいえない心地悪さを感じながら問いかけると、アンナは緊張を解かぬままに答えを返した。


「……あまり人に聞かせたい話ではなさそうだな。

 少し場所を変えようか」

 俺がそう提案すると、アンナとテレサはそろって頷く。

 そしてできるだけ人目につかない森の中に移動すると、俺たちは倒木を椅子代わりにして並んで座った。


「さて、話しを聞こうか」

 俺が用件を促すと、アンナは大きく息を吸い、まるで果たし状を叩きつけるかのような声で話しを切り出す。


「遠まわしな言い方は私らしくないから、単刀直入に用件を言おう。

 聡いお前のことだからもう理解していると思うが、お前のことを一人の男として意識している。

 テレサも同じだ」

「……告白にしては色気の無い台詞だな」

「ふざけないでくれ!」

 俺の答えはいたくお気に召さなかったらしい。

 自分でもかなりひどい部類の返答だとは思う。


「悪い。 他人の言葉を吟味するのは癖のようなものだ」

 俺が謝罪を口にすると、今まで黙っていたテレサが口を開いた。


「お答えください、クラエス様。

 貴方に実は思い人がいて子供までいることをなぜ早く教えてくださらなかったのですか? 私が貴方を一人の男性として見る前に」

 もしかして、妻子のある身で愛人でも囲うつもりだったとでも思っているのか?

 だとしたら、とんだ勘違いだ。


「必要があったと? 俺の役目は貴女が生活をするための基盤を整えることであって、俺の側室にするためじゃない」

 そして俺は、興奮して小刻みに震えているアンナに目をやる。


「それに、俺に子供がいることを黙っていたのは、アンナも同じだ」

 静かな森の中に、遠くから子供たちの笑い声が小さく響き、その中にギリッと耳障りな音が割り込んだ。


「私は……お前に妻がいようが子供がいようが引く気は無い。

 これは単純な恋愛の話じゃなくて、滅び行く国の王女としての義務だ」

 まるで自殺でもしたいかのように心にも無い台詞を吐きながら、アンナは偽りの理由を並べ立てる。

 これは、逃げだ。

 俺に愛される自信がないから、くだらない妥協で俺を捕まえるつもりなのだ。

 ……ふざけるなよ?


「つまり、俺を利用して王家の血を残すと?

 それとも、お前の兄を王位につけるために協力させるつもりか?」

「兄は関係ない。

 お前が望むなら、私は王族であることを捨てて降嫁するつもりだ」

「……気に入らない話だな」

「お前の気分など関係ない!」

 売り言葉に買い言葉。

 アンナと俺の会話は徐々に大きな叫び声に変わり始めた。


 そうだ、そのままお前を拒絶する理由を俺によこせ。

 自分の心を偽ったお前の負けだ!


 ……だが、そこに割り込む者がいる。

 テレサだ。


「おやめなさいな、ハンネーレ様」

 その冷ややかな声に、アンナの動きが止まる。


「自分の気持ちに正直になると決めたんじゃないのですか?」

「テレサ……私は……」

 だが、テレサはアンナには答えず俺のほうに視線を見やる。

 正直、直情的なアンナよりもよほどやりにくい。


「クラエス様、意地悪ですね。 彼女の嘘ぐらいとっくに見破っているくせに」

 そのとおりだ。

 これでも小説家だからな。

 だが、俺のシナリオに横槍を入れたからには、お前も覚悟はできているだろうな。


「それで? 俺の都合は考慮する必要はないのか?」

「無いとは申し上げませんが、譲ってくださったほうが格好はよろしいかと」

 なるほど、ズルい言い方だ。

 付き合いの長いアンナよりも、よほど俺のことをわかっていやがる。

 いや、これはむしろ性格というやつか。


「やれやれ、名より実をとれないのは小説家という生き物の業だな。

 言えよ、アンナ。 お前が正直にぶちまけるなら、話だけは聞いてや……」

 だが、俺の台詞は途中で途切れた。


 アンナの目からポロポロと涙がこぼれていることに気づいたからだ。

 はじめてみる、か弱い女の顔。

 そして、アンナは搾り出すようにその心のうちをさらけ出した。


「あきらめきれないんだ……」

 その強い渇望に満ちた言葉が、俺をつかむ。


「お前がミルカ先生に心を開いたときも、彼女が子を生んだと聞いたときも、何度もあきらめようと思った。

 でも……できなかった。

 お前じゃなきゃダメなんだ」


 ダメだ。 ほだされるなよ、クラエス・レフティネン。

 お前にとって、大切なのはミルカとその子供たちのはずだ。

 優先順位を間違えるな。 自分の立場を思い出せ!

 

「迷惑な話だな」

 つぶやいた声は、ほんのわずかに震えていたような気がした。


「クラエス様!!」

 テレサが俺の言葉をさえぎろうとする。

 だが、それはできない。


「平民である俺が、王女であるお前を側室に? いけすかない貴族共が黙ってはいないだろうな」

 欺瞞だ。

 俺がその気であるならば、そんなものいくらでも叩き潰せる。


「もしも、お前を受け入れたとしよう。

 ミルカや子供たちに、俺は何と説明すればいい?

 お前の夫は、父親は、妻子ある身でありながら、ほかの女を娶りましたと、どの面下げて言えばいいんだ?」


 それは、アンナではなくむしろ俺自身に言い聞かせるための言葉であった。

 愛してはいけない。

 そう、一人の男の義務として、俺はミルカ以外のどんな女をも愛してはいけないのだ。


 アンナからも、テレサからも答えは無い。


 話は終わった。

 俺は無言で立ち上がると、その場から立ち去るべく歩き始める。


 だが……。

「それでも……あきらめきれないんだ」

 後ろから搾り出すような声が、一度だけ俺の胸を刺した。

 それはまるで毒矢のように血の流れへと潜り込み、俺の心にじくじくと痛みを与え続ける。


 心を犯す毒はやがて音ならぬ声となり、何度も俺を断罪した。

 嘘つきめ。 心揺らいだくせに。


 やめろ、俺を堕落に導くな!


 人気の無い林の道を歩きながら、俺は愛や恋が呪いのようなものであることを、いまさらのように思い出していた。

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