第4話

 正直に告白しよう――娘とはよいものである。


「パパ、ご飯の時間ですよー お仕事はおわりー」

 俺が仕事に集中していると、ふいに甲高い声と共に左腕に誰かが抱きついてきた。

 一瞬エディスかと思ったが声が違うし、俺のことをパパと呼ぶ存在は一人しかいない。


「ヘリナ?」

「はい、ヘリナです! パパがお仕事に夢中でご飯を食べにこないってミノタウロスのおねーさんが怒ってました」

「そうか、もうそんな時間か」

 これがエディスならばうるさい邪魔をするなと頭をつかんで黙らせるところだが、ヘリナが相手ではそうも行かない。

 俺は仕方なくペンを机に置き、椅子から立ち上がろうとし……背筋に寒いものわ感じて振り返った。


「エディス?」

 見れば、目を半眼にして不機嫌そうにしながらエディスが俺をにらみつけている。


「お前いったい何を……」

 だが、俺が声をかけるよりも早く、エディスはクルリと背を向けて部屋の外へと走り出した。

 いったい何がそんなに不満だったというのだろうか?


「ほんと、ママに聞いていたとおりパパは罪づくりな男なのです」

 首をかしげる俺の背中では、ヘリナが何かに納得したように頷いている。

 あぁ、なるほど。 つまり嫉妬か。

 今までエディスが占めていた場所をヘリナが奪ってしまったということだろう。


「……本当に人というのは物語の中から飛び出すととたんに面倒くさい生き物になる」

「でも、物語の中の人間は決して作者のことを愛したりはしないわ。

 憎んだりすることはあるかもしれないけどね」

「お前もなかなか言うな」

「だって、パパの娘だもの」

 俺が思わず苦笑をかみ殺していると、ヘリナは褒めてと言わんばかりに胸を張りながら微笑んだ。


 ……このかわいい生き物、どうしてくれよう。

 俺はヘリナの頭を撫で回すと、腕に抱きかかえて歩き出した。


「あっ、ヘリナばっかりズルい!」

 食堂に向かう途中、ふと背後からそんな声が聞こえてきたかと思うと、俺の尻の辺りに誰かが飛びついてきた。


「ラウリか。 どうだ、研究は順調か?」

 背後から襲い掛かってきた不審者の正体は、はたして俺の息子であるラウリであった。

 あいている手にラウリを抱えながら問いかけると、ラウリはその人形のように小さな眉間に皺を寄せて低く唸る。

 

「うー あの病魔、こっちの言うことぜんぜん聞く気がないみたいで、ぜんぜん進んでないです」

 おそらくそれで何か脅迫の材料になりそうなものがないかを調べに戻ってきたのだろうな。

 重要度の高い書籍は持ち出し禁止にしてあるので、いちいちパイヴァーサルミから帰ってくるのは面倒だろうが、その内容が外の世界に漏れたときに引き起こされる騒動を考えると、これは仕方の無い処置である。


 しかし、改めて状況を考えると違和感がひどいな。

 まさかこの俺が自分の子供を抱えて家の中をうろつくことになろうとは。

 だが、いざこうして子供と一緒にいると、存外に悪くは無い。

 悪くは無いのだが……状況に満足する前に、ひとつ確認しなければならないことがある。


「なぁ、お前ら。 ひとつ聞くが……俺のことを憎いと思ったことはなかったのか?」

 我ながらひどい親であるという自覚はある。

 なにせ、ずっとほったらかしだったからな。


 すると、二人の子供はお互いの目を見合わせてからボソリと告げた。

「正直に言うと寂しかったし、何で自分の父親は一緒にいてくれないのか……そう思ったことはありますよ?」

「ママも時々寂しそうだったしね。

 ねぇ、パパ。 どうしてママと一緒に暮らさないの?」


 予想はしていたが、胸に刺さる。


「これから言うことは、ママにも秘密だ。 いいな?」

 俺が確認を取ると、二人は同じタイミングで小さく頷いた。


「それはな、パパがとても大きなことをしようとしているからだ。

 それにはとても大きな危険があって、ママが一緒にいたら巻き込まれてしまう。

 だから、パパはわざとママをエルフの森に返したんだ」

 当時、すでにシュルヴェステルに物語を渡した後だった俺は、そこに記されていた策謀の一環として数年内にこの国が紛争に巻き込まれることを知っていた。

 もしもミルカがこの国にとどまっていたら、その魔法の腕に目をつけられて徴兵されていたことだろう。


 当時の俺はハンヌの不正を利用して学園を去り、そしてシュルヴェステルの元で参謀として働くつもりであった。

 だが、ミルカのおかげで大きくその予定が狂ってしまい、シュルヴェステルからはずいぶんと文句を言われたものである。


 そして仕方なく俺は紛争の規模を落として一年か二年で終わるように裏から調整をはかったのだ。

 だが、俺のやったことはそれだけではない。

 俺はさらに、この国がエルフを徴兵したりしないように策をめぐらした。


 具体的には第一王子と第二王子の確執をあおり、同時に内乱にならないようにと慎重に国の政治をかき乱したのである。

 そして、エルフの里をバランスブレイカーに設定することで、どちらの勢力もうかつに手を出すことができないように仕向けたのだ。


「つまり……父上はエルフたちを守るためにここにいるんだね」

「まぁ、そう思ってくれるとうれしいな」

 実際には、ミルカに合わせる顔が無かったという理由が半分以上をしめる。

 そう。 結局のところ、俺は理由を作って彼女の愛情から逃げたのだ。

 ガキだったとはいえ、思えばずいぶんとみっともないことをしたものである。

 いや、みっともないのは今も同じか。


「あのね、パパ」

「なんだ、ヘリナ?」

「ママがね、言っていたの。

 パパは意地っ張りで、恥ずかしがり屋だから、たぶん照れくさくてエルフの里に来ることができないんだろうって」

 ……その言葉は、俺の一番弱い部分にザックリと突き刺さった。

 痛い。 いっそ殺してくれといわんばかりに痛い。


 だが、ヘリナは天使のような笑顔を浮かべると、俺の顔に抱きつくようにしてこうささやいたのだ。


「だからね、私はママに言われたの。

 パパがエルフの里にきやすくなるように、いっぱい愛してるって言ってあげなさいって」 

「……そうか」

「だからね?」

 そこでわが子二人は声をそろえて恐ろしい魔法の言葉を唱えたのである。


「パパ、大好きだよ」

 その瞬間、情けないことに、一瞬めまいを起こして倒れそうになった。


「うわっ」「きゃぁっ」

「す、すまん」

 なんとか体制を立て直すことには成功したものの、作中で何度も使ってきたこの陳腐な言葉にここまでダメージを受けたのは初めてである。


「でもね、パパ。

 パパは罪作りなおとこだから、私たちだけを愛しちゃダメなの。

 パパのことを必要にしている人はたくさんいるんだから、その人のことも忘れちゃだめよ?」

 おそらく、ヘリナはエディスのことを言っているのだろう。

 これがまだ七歳の娘の言葉とはな……。

 なんというか、幼くとも女というのは侮れない生き物なのだとあらためて思い知らされる。


「じゃあ、パパは今日中にいっぱい仕事を片付けるから、明日はみんなでピクニックに行こうか。

 ちょっとひねくれた、ラウリやヘリナと同じ年ぐらいの女の子も一人来るとおもうけど、仲良くしてやってくれると嬉しい」

 エディスが素直についてくるかは分からないが、まずは行動を起こさないと何も良くはならない。


 なぜ俺がこんなことをと思わなくも無いのだが、おそらくはそれが慕われる者の義務というものなのだろう。

 やれやれ……俺という生き物は、ずいぶんと面倒な宿命にあるものらしい。


 そんな俺の中のモヤモヤとしたものをよそに、ラウリとヘリナは大喜びではしゃぎだした。

「やったーピクニック!」

「あのね、パパ。 お弁当には、卵サンドがいっぱいほしいな」

「あ、僕はウィンナーをいろんな形に切った奴!!」

「わかったわかった! わかったから暴れるな! 危ないだろ」


 そして俺はテンションの高い子供たちに苦笑しながらも、両腕のふさがったこの状態で食堂のドアをどう開けようかと頭を悩ますのであった。

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