第11話

「それで、結局連れ帰ってきてしまったのか?」

 精霊の墓所から帰ってきた俺に対し、アンナは腰に手を当て、あきれたようにため息をついた。

 なんだよ、その目は。

 俺だってそんなつもりは無かったんだからな。


「本人が犬のように忠実に働くから殺さないでくれと嘆願されてな」

「……僕があれだけアプローチしてもぜんぜん反応してくれなかったのに」

 ラウリの恨みがましげな視線の先には、狼と見まがうような一匹の大きな黒犬がいる。

 件の病魔の成れの果てだ。

 なぜ犬になっているかといえば、黄泉の女神が『ならばその忠誠の証として犬の姿になるがいい』と意地悪をしたからである。

 むろん本人が納得してそうなった訳ではない。


「わ、我とて邪神に準じるとまで言われた存在だぞ。

 エルフの赤ん坊ごときを相手にしてたまるか!」

 まぁ、奴にも奴なりのプライドがあったのだろう。

 たしかに、れだけ知能が高くとも、奴からすればラウリなど赤ん坊のような存在だ。

 無視したくなる気持ちも分からなくはない。

 俺もその手の先入観をもった大人たちによって散々苦労してきたから、どちらの言い分も分かるつもりだ。


 だが、ラウリはすっと目を細めると、苛立ちを隠そうともせずに病魔をにらみつける。

「父上は人間ですが?」

「ば、馬鹿者! こやつは確かに人間だが、普通ではないわ!

 こいつはあの黄泉の……あいたぁっ!?」

 余計なことを喋りそうになった病魔の腹を、俺は容赦なく蹴り上げた。

 我ながらひどい扱いだが、それを見て『さすが父上』と賛美するラウリの未来が恐ろしく心配である。


「あぁ、そうだラウリ。 こいつにご執心だったお前にいいことを教えてやろう」

「何ですか、父上」

 俺が声をかけると、ラウリはキラキラとした目で俺を見上げる。

 お前、ほんと俺の事好きだな。

 ずっとほったらかしにしていた自覚があるだけに、罪悪感が胸に刺さるよ。


「いろいろとあって、こいつは俺の従者として契約を結んでいる。

 俺の血を受け継ぐものがいる限りこれを守護し、忠実に仕えるという契約だ」

「つ……つまり、僕の言うことにも従うということですか!?」

「まぁ、ある程度はな」

 そう。 命令する言葉できるが、ある程度は……なのだ。

 悪いが、こんな危険物をお前の手にゆだねるのは、父として限りなく心配である。


「それと、ヘリナ」

「なに、パパ」

 恐ろしいことに、我が娘は満面の笑みを浮かべながら、犬となった病魔の腹をなでていた。

 ……娘よ、それは犬じゃなくて恐ろしい怪物なのだが、お前ちゃんと分かっているか?

 豪胆なのか、天然なのか、ラウリとは別の意味でいろいろと心配である。


 しかも、病魔のほうもまんざらではない顔をしているあたり始末が悪い。

 邪神に準ずる者のプライドはどこにいった?


「それは犬に見えるかもしれないというか、ほとんど犬みたいになっているが、病魔としての力を失ったわけではないから取り扱い注意な」

「はーい」

「あと、この犬っコロの名前を考えてやってくれるか?」

「えっ、父上、それは!!」

 さすがラウリ。 俺のしようとしていることにもう気づいたか。

 名づけを行えば、それは一種の魔術となって名づけた者と名づけられた者の間に強い繋がりが生まれる。


「うーん……じゃあ、ポチ」

 その瞬間、病魔が目を見ひらいて立ち上がった。

 腹を抱えて笑いたい気分だが、今は我慢だ。


「ポ、ポチぃぃぃぃぃ!? 訂正を求める! この我にそんな安っぽい名前を……」

「いいじゃないか、ポチ。 貴様のプライドなんかどうでもいい。

 それとも、俺の娘がつけた名前に文句でもあるのか? 精霊の墓場に放り込むぞ」

「……ありがたくうけたまわります」

 そうつぶやくポチの耳は、力なく垂れ下がっていた。

 後ろから見ていたアンナの遠慮の無い笑い声が部屋中に響き渡る。


「じゃあ、今日からポチの主はヘリナだ。

 ヘリナのことをちゃんと守れよ」

 だが、そこに文句をつけるやつがいた。

 ラウリである。


「父上、なぜ僕ではないのですか! 僕がこの病魔の主ならばどれほどのことができるか……」

「だからお前じゃなくてヘリナなんだよ。 その意味が分からないなんていうなよ?」

「……意地悪」

 むくれるラウリの頭に手を置き、俺はくしゃくしゃと乱暴に髪を乱しながら頭をなでる。

 だいたい、お前にやったらそのまま戦場に駆け込む気だっただろ?

 そんなことを俺が許すと思ったか、馬鹿者が。


「俺に頼るな。 お前も男なら、自分の手駒は自分でどうにかしてみせろ。 まさか、できないなんて言わないよな?」

 そう告げると、ラウリは恐ろしく機嫌の悪い顔で部屋から出て行った。

 ……たぶん、近いうちにとんでもないものを作り出すに違いない。

 なにせ、俺の息子だからな。


「しかし、守護者を娘に譲ったということは……自分の手でケリをつけることにしたのか?」

「……何の話だ?」

 ヘリナがポチと一緒に庭へと遊びに出てゆくと、まるでタイミングを計っていたかのようにアンナが問いかけてきた。


「皇帝シュルヴェステルの件だ。

 お前がエルフ共に皇帝の相手をさせるつもりなら、息子のほうに犬をつけたはずだ」

「どうだかな。 案外、皇帝に味方しただけかもしれんぞ?」

 お前らにとっては恐るべき害悪かもしれないが、俺にとっては年上の親友である。

 少なくとも、俺はそのつもりだ。


「無いな。 お前はその辺に甘い奴だということは知っている。

 それに……」

「それに? 何だというのだ」

 俺の言葉をバッサリと切り捨てながら、アンナは俺の執務用の机に行儀悪く腰掛け、上から覗き込むようにして俺の目を見つめてきた。


「自分では気づいてないのかもしれんが、子供たちを見つめるお前は父親の顔をしていた」

「そうか」

 まるで嫉妬するかのような感情をたたえるアンナの視線が嫌で、俺は顔をしかめながら目をそらす。


「ひとつだけ誰にも言ってないことがあるんだが、たぶんシュルヴェステルの奴はもうすぐここに来るぞ」

「皇帝が? お前を参謀として迎えにでも来るというのか?」

「近いな」

 周りの糞野郎共が安堵する顔が見たくなくて黙っていたが、俺にはずっと黙っていたことがあるのだ。


「実はシュルヴェステルに渡した物語……完結してないんだ」

 そう告げた瞬間、アンナは固まったまま机からずり落ちる。

 おお、痛そうだな。


「ど、どういう事だ、それは!!」

 床から這い上がり、アンナが俺の襟首をつかもうとするが、俺はその手を冷たく跳ね除けた。


「よく考えてみろ。

 いくら俺が天才でも、そう何年も先まで自分の思い通りに動かすのは無理だ。

 不確定要素によってだんだんとズレが生じてくる」

 ゆえに、俺が自信を持って描くことができたのは、ちょうど今年の冬が終わるまでだ。

 つまり……


「そろそろ、奴が続刊をほしがる頃なんだよ。 すくなくとも、この冬の間には来るだろうな」

「それは……確実に本人がやってくるな。 万難を排してでも。

 どれだけ信用している部下がいるとしても、そんなもの恐ろしくて他人の手に触れさせることはできないだろう」


 だが、そこまで語ってからアンナは再び大きく目を見開く。


「まて、クラエス!

 その語り口からすると、まさか、ここにあるのか? その物語の続きが!?」


 真っ青な顔をしたアンナに、俺はただ無言で笑ってみせるのであった。

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