第9話

「でも、そんなある日……一人の青年が私に気づいたの。

 すごいよね。 精霊の墓所の番人であるこの私の姿が見えるまでこの世界に絶望するだなんて。

 君、なんで生きているの? って聞きたくなるぐらい。

 まぁ、実際に聞いたんだけどね」

 気品すら漂う美しい横顔に、まるで恋する乙女のような微笑を浮かべながら、エディスの姿を借りた何かはさらに話を続ける。


「そうしたら、なんて答えたと思う?」


 あの悪魔共がのうのうと生きているのに、自分だけが死ぬのが許せない……だってさ。


 だからね、彼は私と契約をしたの。

 あの領主たちを殺す力を、彼が手に入れるためにね。


 ただし……。


 必要な代償は、この地に生きるすべての人間の命。

 他人の命を犠牲にしてでも、かなえたい望みがあるのか?

 ……彼にはあったのよ。

 それに、みんな生きていても苦しみぬいて死ぬだけだから。


 そう語るエディスの姿は、すでに二十歳ぐらいの美しい女性の姿になっていた。

 純粋で無邪気な美しさと、月のない夜空のように深い闇のようなおぞましさを併せ持つそれを、俺はあろうことか魅力的だと認識していた。

 あぁ、そうなのだ。

 これは邪悪であり、純粋であるからこそ美しくもおぞましいのだ。


 そして、なぜ精霊使いとしての才能のない俺にこの地の精霊を名乗る存在が見えたのかについても、ようやく納得した。

 それは、俺が今の話に出てきた青年と同じぐらいこの世界に絶望していたからだ。


「あとの事はぁ、もう話さなくてもわかるわよねぇ?」


 あぁ、ようやく納得がいったよ。

 俺はエディスの言葉に静かに頷く。

 そして俺は、初めてこの地にやってきた半年ほど前のことを思い出していた。


 不吉なことに……この地の領主の館にやってきた俺が見たものは、頭蓋骨の原型がなくなるまで念入りにつぶされた、おそらく代官であろう成人男性の白骨死体だったのである。

 そして、その死体のもたれかかる壁には、誰かの赤黒い血で『忌まわしい豚よ、神がその魂を永遠に地獄に留め置かれますように』と呪いの言葉が書きなぐられていた。


 なお、死んでいたのは代官だけではない。

 むしろ屋敷の中は骨と血の跡だらけだった。


 鈍器で殴り殺されたらしき兵士の骨だけではない。

 ある部屋には、おそらく女性や子供であろう小柄な骨がまとめて捨てられていた。

 よほどの恨みがあったのだろう。

 知らないことも、幼さも、弱さも、免罪符にはならないぐらいに。


「たぶん、何があったかについてはぁ、私が語るよりもクラエスのほうが面白おかしく脚色してくれるだろうからぁ、やめておくわねぇ。

 あの連中、罵声も命乞いも、ぜんぜんセンス無かったからぁ。

 私は、ただこの領地から誰も出ることができないようにしてぇ、彼には目的を果たすまで決して死なない体を授けたとだけ言っておくわぁ」


 そう告げると、エディスは悲しみとも微笑みともつかぬ顔で足を止めた。

 そこには、やや大柄な男の白骨死体が、手を祈りの形に組んだままたたずんでいる。


「馬鹿な子ねぇ、本当に。

 どうせ願いをかなえてもらうならぁ、もっと賢い選択をすればよかったのに」


 そう告げながら、妙齢の女性の姿となったエディスは、まるで恋人を抱きしめるようにその白骨死体に頬を寄せた。


「生きることに絶望した子は、いつも先のない願いを口にするの。

 まるで、願いをかなえた後の自分の存在すらも拒絶するかのように」

 次の瞬間、その骨はまるで雪のように砕けて真っ白な砂地の一部となる。


 そうか、この地を埋め尽くす砂は、生き物の骨が砕けたものであったのか。


「それで、お前の目的は何だ?

 エディス……いや、黄泉の女神」

「それはね、願いの代償として死んだ者の骨を砂として敷き詰めて、この精霊の墓所の空間をこの世界にもっともっと広げることよ」


 そして、エディスであったものは慈悲深さと冷酷さを同時にまといながら、まるで恋人にその想いを尋ねるような口調で俺に告げた。


「さぁ、クラエス。 あなたの願いを聞かせて」

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