第十章 堕落への引力

第1話

「クラエス様、あの連中……いつまで好き勝手させるつもりですかニャア?

 身内であるのは分かっておりますが、少々甘すぎるかと思いますですニャア」

「言葉もないな、ムスタキッサ。 確かにそろそろ何とかすべきだと俺も思う」


 ケーユカイネンにやってきたエルフたちだが、奴等がこの土地に馴染むのは恐ろしく早かった。


 いや、その言い方は正しくないな。

 むしろこういうべきだろう。

 ……彼らは、あっというまにこの土地の虜となってしまった。


 まず、真っ先に落ちたのは治癒術を得意とする連中である。

 奴等が目をつけたのは、俺と精霊たちが総力をあげて作り上げた総ガラス張りの農業試験場であった。


 ここは熱帯地方から極北地方にいたるまでのありとあらゆる自然環境を再現した場所であり、特に薬師として修行を積んだものからすると天国のような場所らしい。


 さらに領地の東側にあるプラントにて生み出される化学薬品を見せてみたところ、連中はその場で気絶した。

 どうやら精霊たちが微生物と錬金術を使って作り出した薬品は、彼ら彼女らにとって雷で打たれるかのようなショックを与えるほどすばらしい代物だったらしく、今では水の精霊たちと組んで本来の目的そっちのけで医学の研究にのめりこんでいる状態だ。


 続いて落ちたのは、魔術師の連中である。

 この地で生み出された技術を編纂し、記録している場所……図書室の一部を開放すると、奴等は一斉になだれ込んできた。

 ここにはさまざまな産業のほかにも精霊たちが直接魔術について記述した書物が山のようにあり、魔術師にとっては一生離れたくないと思うほどの知識の黄金郷であるらしい。


 研究に熱中しすぎて倒れて中から担ぎ出されたエルフから聞いた話しによれば、この図書館に比べたら大国の王宮に秘匿されているような書庫でさえ子供向けの絵本のようなものであるという。

 なお、そのエルフが意識を取り戻すなり図書館に戻ろうとしたのはいうまでもない。


 そして斥候の連中はというと、パーヴァリさんの作った迷宮でタイムアタックを行うことに熱中していた。

 規定のコースを、どれだけ早くクリアできるかを競うものであり、中には魔物こそいないもののトラップが山のように仕掛けられている。


 今ではかなりルールも洗練されて、個人種目もあれば団体種目もある状態だ。

 よほど熱くなっているらしく、種族を越えたチームがいくつも激しくしのぎを削っているらしい。


 残りは戦士の連中だが……やつらはボクシングに熱中していた。

 もともと俺とアーロンさんのトレーニングを見てゴブリンやオークたちが割りと短い定期で試合をしていたのだが、これにパシの奴がドはまりしてしまったのである。


 さらにこのどうしようもない戦闘狂たちに、同じく戦闘狂の火の精霊が加担したからたまらない。

 今ではエルフやダークエルフのみならば、ゴブリンやオーク、ミノタウロスたちまでもが目をギラギラさせながら領内をランニングしている状態だ。


 なんでも、今は種族の壁を緩和するために一定の体重ごとにリーグを作って、そのリーグの中でチャンピオンを決めているのだとか。

 なんとも暇な奴等め。

 なお、パシのやつはしっかり自分のリーグのチャンピオンに納まっているらしい。


「……で、病魔を処理するための研究は進んでいるのか?」

 秋も深まり、冬近くなった頃。

 俺はすっかりこの地に馴染んでしまったエルフたちに向かってそう告げた。


「い、いやぁ……もちろん進んでいるとも。 ちょっと予定よりは遅れているがね」

 おい、そういう台詞は俺の目をまっすぐ見てから言いやがれ。


「……で、戦士や斥候の連中はいつまでここにいるつもりだ?

 お前ら、特に用はないだろ」

「冷たいこと言うなよ、クラエス。 いまさら出て行けなんて事は言わないよな?」

 代表してパシがそう告げると、後ろの連中がうんうんと大きくうなずく。

 ったく、あつかましい連中め。


「住人としてきっちり税を納めてくれるならば俺はかまわんが、あの病魔もずっとあのままにしておくことはできない。

 それと、ここで見聞きしたことを悪用すれば、忘却の秘薬を飲ませた上で追放の呪いをかけるつもりだから覚悟しておけ。

 まぁ、シュルヴェステルから森を守るために使うというのならば、そのぐらいは多めに見てやろう」

 俺がそう宣言すると、エルフたちの間をホッとしたような空気が流れる。

 だが、そんな穏やかな空気を粉々に粉砕する奴がいた。


 ……パシのやつである。


「あぁ、クラエス。 お前に言っておかなければならないことがある」

「ずいぶん楽しそうだが、いい知らせか?」

 すると、パシのやつは実にいい笑顔で頷いて、とんでもない爆弾発言を解き放ったのだ。


「もちろんだ。 先日連絡があったんだが、お前の子供がここに来るぞ」

 その瞬間、空気がピシリと音を立てて凍りついた気がした。


「俺の……子供?」

「男の子がラウリ。 女の子がヘリナだ。

 特にラウリは見た目も性格もお前にそっりだから覚悟しておけ」


 恥を忍んで告白しよう。

 俺は、パシの言葉にうろたえていた。

 いったい、俺はどんな顔をしてその子供に接すればいいのだ?

 ……恐ろしい。


 親といえば、俺は憎しみしか感じていない。

 兄をことさら優遇し、俺のことを気味が悪いと罵った母。

 いつもの無関心から一変して、俺を売った金で借金が返せると満面の笑顔で告げた父。


 俺が自分の親を憎んでいるだけに、自分の子供にも同じ思いをさせてしまうのではないか?

 そう思うと、俺はどうしようもなく恐ろしかった。

 自分が、あの親と同じ生き物になるのではないかと。

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