第2話

「状況としては、よくも悪くもないといった感じだな」

 パイヴァーサルミにある領事館と呼ばれる建物の地下。

 この街に集う観光客の活気を利用した魔方陣の中で、黒い何かの塊が凍りに包まれたまま眠りについている。


「……面倒をかけてすまないな、マルックさん。

 エルフ共のケツを蹴り上げてできるだけ早く対処するから、もう少しがんばってくれ」

 そう告げると、魔方陣の前で作業を行っていた大きな牛頭の精霊がゆっくりと頷いた。


 この地に仮封印された病魔だが、いっそ消滅させることはできないかとうちの精霊たちに提案したところ……やめたほうがいいという返答が帰ってきたのである。

 アーロンさんあたりなら可能ではあるが、それをやるとさすがに神々の注意をひきつけてしまうことになるらしい。


 もともとの封印媒体であったランプには、一定の条件下で病魔を使役できるようになっていたらしいのだが、その術式はすでに失われて久しく、エルフの魔術師共がさぼっていたせいでいまだに復元できていないのである。

 幸いなことに、俺の所有していたシオ・ホルスティアイネンの日記にヒントとなりそうな記述があったため、今は急ピッチで研究が進められているところだ。


 それでも完成までは年単位の時間が必要であり、それまでの間、マルックさんという有能な人材を定期的にこんなくだらない業務に使わなくてはならないのは実に面白くない。


「うーふーふーふーふー 悩んでいるね、クラエスぅ」

「その馬鹿みたいに間延びした声は、エディスか!

 どうやってここに入り込んだ!?」

 ここには、エディスが入ることのできないよう、対エディス専用の結界が張られていたはずである。

 入り口を管理しているエルフの魔術師が結界を解除しない限り、奴がここに来ることはできないはずだ。


「えー あの入り口にかけてあった変な結界なら、ハンヌちゃんにお願いしてはずしてもらったよー。

 管理を担当していたエルフおねーさん、すっごく嫌そうな顔していたけど、権力には逆らえないよねぇ。

 お役所仕事って、悲しいなぁー」

「おのれ、豚伯爵! 腹を掻っ捌いて塩をすり込んで干物にしてやろうか!!」

 たぶん食える物にはならないと思うから、蝿のえさにするしかないだろうがな。


「あー でもね。 今日はちょっとまじめな話をしにきたのぉ」

「まじめな話だと?」

 いつもと違うエディスの声に、俺は嫌な予感を覚えた。

 こいつが何かヘマをするという類ではない。

 ごく稀にこいつから感じる、得体の知れない闇のようなものを感じたのだ。


「あのねぇ、病魔さんをこの世から消すなら、精霊の墓地につれてゆけばいいと思うのぉ」

 その瞬間、マルックさんの体がビクっと震えた。


 精霊の墓地というのは、このケーユカイネンのちょうど真ん中にある砂地のことだ。

 草は生えず、魔力がまったく存在しない場所であり、近寄れば、魔力や生命力を急速に失ってゆくという魔境の中の魔境である。

 聞いた話では寿命を迎えた精霊が抗いがたき力にて引きずられてゆく場所であり、その最深部から帰ってきたものはいないという恐ろしい場所。


「あそこはね……この世で唯一の冥界との接点になっているの。

 名伏せられし冥府の女神様の聖地だから、たとえ神であろうとも近づけばただではすまないよ」

 誰だ、こいつ。

 俺の知っているエディスは、もっと間延びしたしゃべり方をするはずだ。

 ぞわぞわと、下着を逆に身に着けてしまったかのような違和感が全身を襲う。


「なんでお前がそんなことを知っているのかは知らないが、そんなところにいったら俺も死んでしまうだろ。

 誰が病魔を捨てに行くんだよ。

 いっておくが、誰かを犠牲にするようなやり方は絶対に許さんからな」

 この領地に住むものは、全部俺の財産だ。

 一人たりとも失うことは我慢できない。


「うふふ……自分の身内には本当に優しいよね。

 何事にも例外があるんだよ。

 その土地の守護を任された精霊と、その契約者だけは、墓所の影響を受けないの」

 ほう? 初めて聞く話だが、おそらく嘘ではないだろう。

 根拠はただの勘だが、なぜか俺は確信していた。


「だが、それが何か意味があるのか?

 俺は精霊の墓所の番人なんて知らんぞ。

 今からそいつを探すとしても、当人の居場所が精霊の墓所の中だったらどうにもならんだろうが」

 そしてその確率は、かなり高い。

 ましてや、交渉のできない相手である可能性も高いのだ。

 ……コストとリスクの両方を満たしていない。

 考えるまでもなく、却下だ。


 だが、その瞬間……

 エディスは見たこともないほど空ろで、底知れぬ闇を漂わせた笑みで告げた。


「もしも私がその聖地の番人だと言ったらどうする?」

 あぁ、目が笑ってないな。

 だが、なぜ今になってそんな言葉を俺に告げた?

 今まで黙っていたのは、それを俺に知られたくなかったからなんじゃないのか?


 たとえ俺を騙していたとしても、それはそれでいい。

 いまさらそんな顔するなよ。

 そんなの、俺の知ってるエディスじゃない。

 いや、もしかしたらその番人がエディスの意識をのっとっているのだろうか?

 疑問は尽きない。


「お前みたいなダメ精霊にそんな重役が務まるか」

 俺はぎこちない笑みを何とか顔に貼り付けると、いつも似ない雰囲気を漂わせるエディスの頭に手を置いて、思いっきり髪をクシャクシャにした。


「きゃあぁぁぁ! なにすんのよ!

 ひっどーい。 私だって、やるときはやるんだからね!」

 抗議の声を上げるエディスと視線を合わせないようにし、俺は彼女を引きずりながらその部屋を後にした。


 まるで、迫りくる平穏の終わりから逃げるように。

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