第9話

「申し送れましたが、私はクラエス・レフティネン。

 この領地の代官をまかされております。

 お手に触れても良いですか?」

 俺は作り物の笑顔を貼り付けて、テレサに対して淑女用の作法を申し出た。

 すると、一瞬ではあるが彼女は反射的に手を差し出そうとし、何かに気付いて慌ててその手を引く。

 やはり、体に染み付いた習慣というのは簡単には抜けないものらしい。


「まぁ、お戯れを。 そんな偉い方からそのような礼を受ける身分ではございませんわ」

 そう、手の甲に口付けをするのは貴族の子女に対する礼法であり、修道女に対して求めるのは非常に場違いである。


 だが、俺は彼女の本来の身分を知っていた。

 かつての第一王子の婚約者であり、未来の王妃となるべきだった女性。

 そして、第一王子の愚かさゆえに身分の低い男爵令嬢にその立ち居地を奪われた悲劇の淑女。


 つまりこれは、俺が彼女が何者であるかを知っているという、遠まわしな告白である。

 その意味を、彼女はどうやら正確に理解したようだ。

 ただの修道女にしておくには惜しい才覚である。


 それにしても、我ながら酷い茶番だ。

 俺は彼女のことをとても良く知っているのだから。

 そう、先日の魔獣襲撃事件で英雄に仕立て上げた彼女のことを、俺が知らないはずがない。


「とんでもない。 先日激甚災害指定の魔獣を退けた英雄と比べれば、たいしたことはありませんよ」

 その瞬間、彼女の表情が僅かに曇った。


 理由については、おおよそ想像がつく。

 彼女という英雄が現れたことは民にとって喜ばしいことだが、実はそれ以外の者にとってはとても都合が悪いのだ。

 そして彼女の英雄としての名声をうとましく人間の中にはこの国の第一王子や第二王子も含まれており、それゆえ彼女はその身の置き所を失ってしまったのであろう。

 そう考えれば、彼女がこの街にいることにも納得が行く。


「おおぅ、そうでしゅ! クラエス・レフティネン! 父上から貴様宛に手紙を預かっているでしゅ!!」

 俺とテレサの間の空気が音を立てて凍りつく中、空気を読まずに発言したのはブタ伯爵であった。


「公爵閣下からですか?」

 差し出された手紙の中身を確認すると、ようするに俺の都合で行き場を失ったこの少女について責任を取れという内容だ。

 ――嫌がらせかよ。


 はたしてこれは、単に後見人になれということなのか、それとも妻として引き取れという意味なのか?

 おそらくどちらとも判断がつかぬことを見越してこんな書き方をしているのだろう。

 おそらく、今頃公爵は困り果てた俺を想像してニヤニヤと笑っているに違いない。


「お待たせしました。 公爵閣下のお手紙は、テレサ様をこの街でお世話するようにとの指示が記されております」

 俺が手紙の内容を見せると、テレサ嬢は驚いたように目を見開いた。


「まぁ……こんな華やかな場所にですか?

 その、ここには修道院も無いと伺っているのですが」

「たしかにまだ神殿関係の施設はありませんね。 お嫌ですか?」

 おそらく新しい住まいを用意するとは聞いていたのだろうが、修道女である彼女にとって、宗教施設の無いこの街に住むように言われるのは想像外のことであったに違いない。


「いえ、ただ……あまりにも洗練されている場所なので、少し気後れしております」

「本当はもっと田舎だと思ってらっしゃいましたか?」

 まぁ、無理も無い。

 街の規模こそまだまだ小さいが、建物に関してはその辺の国の王都がかすんで見えるような代物である。


「えぇ……正直、かなりの田舎暮らしを覚悟しておりましたが、むしろ王都よりも洗練されていると申しますか……このような立派な街をどのようにおつくりになったのか、とても不思議でして」

 むっ、鋭い。

 いや、むしろ気になるほうが当たり前か。


「そ、そういえばそうでしゅ! こんな、王城よりも巨大な建物をどうやって作ったでしゅか!?」

 ……ちっ、ブタ伯爵め。 余計なことに気がつきやがった。


「簡単に言えば魔術ですね。 言っておきますが、他所では使用できませんよ」

「なぬっ!? この地にはそんな秘密が……」

「大変申し訳ありませんが、閣下が秘密を知ったところで私以外には利用できませんし、かなり複雑な内容のお話でして。

 詳しくお話しするには、まずヒューロ・サッカータの記した星の書を全て読破して内容を理解するぐらいでないと……」

 星の書とは、全部で数千冊にも及ぶといわれる大叙事詩である。

 そこかしこに深遠な魔術の奥義が潜んでいるといわれ、一生をかけて研究する魔術師も珍しくは無い。

 当然ながら、ブタ伯爵の頭では一冊も理解することは出来ないだろう。


「テレサ様。 この街にはまだ修道院も神殿もありませんが、神に祈るだけが生きる道ではございませんでしょう?

 よろしければ、この街にゆっくり滞在なさって、王妃でも無く、修道女でも英雄でも無く、ありのままのご自身に何が出来るかを探ってみてはいかがですか?」

 俺の言葉に、テレサ嬢は不安とも着たいともつかぬ、なんともいえない表情をみせた。


「ありのままの私にです……か」

 おそらく、そんな事は考えたことも無かったのだろう。

 今までの彼女は、ただ他人に求められる役割ばかりをこなして来たに違いない。

 おそらく自分が何が好きで、どんな才能を持っているのかすら、理解していないだろう。


「焦らなくてもよいのです。 たとえ何も見つからなくても、この街が貴方の居場所となるのですから」

 俺が囁くようにそう告げると、彼女はただ無言でうなずくのであった。

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