第3話

 ミツバチの最初の魔獣化があってから一週間。

 魔獣化してビヤーキとなったミツバチはすでに三十体を数え、問題は更に深刻化していた。

 早く対処しなければ、この問題は近い未来に甚大な被害を生んでしまうだろう。

 だが、俺はすぐに適切な対応を取る事が出来なかった。


 主に観光客としてやってきた貴族たちからの要望や、未だに産業を盗もうとする連中への対応という……恐ろしくくだらない癖に緊急性の高い要件がちょうど重なったせいである。


 そんなある日のこと。


「なに? 自分用の巣を作るだと?」

「はい、成虫になった最初のビヤーキから提案があったそうです」

 部下であるゴブリンから、そんな報告が俺に届いた。

 実に興味深い話だ。

 俺は書類を書く手を止めると、報告にやって来たゴブリンに目を向ける。


「しかし、巣を作るといってもどうやって作るつもりなんだ?」

 あの巨体で巣を作るといわれても、正直言って想像がつかない。


「はぁ、その点について詳しくはわからんのですが、今までにも越冬のために自分で巣を作った固体は存在しているらしいです」

「ふむ、面白い。 どこか適当な場所があれば提供しよう。

 詳しく話を聞いて報告を上げてくれ」


 そして、ブラウニーがビヤーキからいろんな条件を聞き出した結果、選ばれたのは西の山脈の裾野にある森の中であった。

 なんでも、大量に木材を消耗するので、商業的な価値の少ない樹木が生えているところを選んだとのことらしい。


 さっそく巣の作成に取り掛かるというので見学に行くと、そこにはさらに成虫となったビヤーキが十体ほどたむろっていた。

 意外と成長が早いな。

 もう少し早めに対応を考えるべきだったか。


「どうだ、はかどっているか?」

 俺が声をかけると、現場にいたゴブリンは困惑した顔で振り向いた。


「はい、はかどっているかどうかは判断できませんが、特に問題は無いようです」

 見れば、ビヤーキたちは雑木をバリバリと噛み砕き、唾液と混ぜて何やら泥状の物体をせっせと作り出していた。

 なるほど、確かにこれは見ていても捗っているのか判断は難しいかもしれん。


 ただ、出来上がったものは紙を作るときに作るパルプというものに似ているな。


 そしてビヤーキはそのパルプ状のものを口に飲み込むと、巣の建設現場に移動し、口から吐き出したものを前足で器用に塗り重ねてゆく。

 まるでモルタルで壁を作っているかのようだ。

 報告書によると、ビヤーキはスズメバチのように固い外被で巣の本体を覆う性質があるらしい。


 さらによく見れば、何か魔術的な力でも使っているようで、塗りつけられた吐瀉物はあっという間に乾いて石のように固まっていた。

 精霊たちの魔術を別にすれば、これほど効率がいい建築は他にない。


 ……まぁ、このような感じてあるとは事前に聞いてはいたが、実物を目にするとさらに興味深いな。


「あぁ、そうだ。 せっかくだからお前たちにプレゼントを用意してきたぞ」

 俺は荷物の袋を開くと、左官用のこてを取り出す。

 やはり道具があったほうが作業の効率はいいだろうからな。


 それをビヤーキたちに渡してやると、奴らはブンブンと機嫌よくはねを震わせた。

 どうやらかなり喜んでいるらしい。


「悪いが、その巣を作っている物がどんな素材で出来ているのか調べてみたい。

 サンプルをもらえないか?」

 そう告げると、ビヤーキは困ったように何度も首をかしげた。

 どうやら、自分が口の中に含んでいるものと、すでに固形化した壁のほうのどちらのこと示しているのか理解が出来なかったらしい。


「あぁ、最初は乾いたほうを見せてほしい」

 そう告げると、口の中にあったものをペッと地面に吐き出して、前脚をかざして一気に乾燥させる。

 そして指が無いので器用に爪で引っ掛け、俺の方に手渡してきた。


「ありがとう」

 受け取った物質は、実に奇妙な感触だった。

 あえて近いものを挙げるとしたら石膏の塊だろうか?

 軽いのにとても頑丈で、独特の弾力性がある。

 おそらくだが、紙とほぼ同じ物質で出来ているのではないだろうか。


「すまないが、こんどはこれと同じものを板の上に薄く伸ばしてくれないか?」

 俺は用意させた板の上にそのパルプもどきを吐き出してもらうと、ヘラで薄く伸ばしてから乾燥させてもらう。


「ふむ、なかなか良さそうだな」

 出来上がったものは、まさに紙だった。

 しかも、俺が普段執筆に使っている代物とほぼ変わらない品質である。


 試しにペンを走らせてみるが、思った以上に滲みが少ない。

 どうやら唾液に含まれている樹脂のようなものがうまく働いて、インクの吸着をよくした上に表面を滑らかな仕上がりにしているらしい。


「これはいいな」

 うまくすれば、今までにない高品質な紙が出来上がるかも知れない。

 だとすれば、印刷業にとってはすばらしい宝となるだろう。


「手の空いている水の精霊と風の精霊に頼んで、この泥状の物質を塩素で漂白してくれ。

 あと、更に表面の滑りを良くする工夫が欲しいな。

 そうだ、地の精霊に頼んでタルカムの粉か何かを混ぜてさらに質感を高める事が出来ないか、その実験も頼む」

 俺は現場のブラウニーに今後の方針を伝えると、精霊たちの協力を手配するためにその場を後にした。

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