第2話

 やがてパーヴァリさんに連れ去られてゆくエディスの喚き声が聞こえなくなると、俺は改めて飲み物に口をつけた。

 今日の茶葉は、ムスタキッサがの知り合いが隣の領地で買ってきたオレンジペコー。

 すっきりとした苦味のあるそれを、ゴブリンたちの作ったガラスのティーセットで頂く。

 実によい。 身も心も澄み渡るようである。


 ……おっと、もう茶が切れてしまったか。


「ところで、移住を希望した者に関してはどのようにされるおつもりなのですかニャ?」

 空になったガラスのポットを名残惜しげに見ていると、隣で書類作業をしていたムスタキッサが、茶のお代わりを用意しながらそんな事をたずねてきた。


 本来ならば茶の給仕は女中の仕事だが、あいにくとここにそんな役職の担当者は存在しないし、ムスタキッサ自身が自分で茶を入れるのが趣味なので、もっぱら我が家におけるこの手の仕事は彼の領分だ。


「人質をとられて無理やり間諜に仕立て上げられていたシルキーやブラウニーたちに関しては、そのまま彼らの一族を難民として取り込んで自領に引き込むつもりだ」

 さもなくば、いつそいつらを人質にして情報漏洩を迫ってくるかわからない。


 だが、すんなりとは行かないだろう。

 第一王子の派閥にとっても、彼ら職人や技術者という生き物はもともとが自分の領地から出したくない貴重な財産なのだから。


「……彼らの元の飼い主から抗議がくるかと思いますがいかがなさいますかニャ?」

「愚問だな」

 そんな事、言われなくてもわかっているだろうに。

 俺はお約束とばかりに意地の悪い笑みを浮かべる。


「人のところに間諜を送り込んできたヤツが何を言ってくるというんだ?

 ソレこそ、自分の領地の住人を人質にして、職人に間諜の役目を強制したことをおおやけにして欲しいというなら、喜んで応じてやろう」


 そう、結局のところ連中に出来ることはこのまま泣き寝入りをすることだけだ。

 うかつに動けば、さらに傷口を広げるだけである……そのことに気付くまでどれだけの時間がかかるかの問題でしかない。


 そうなるように細心の注意を払って誘導したのだから、せいぜいほぞをかんでもらおうか。

 ……まぁ、あえて傷だらけで失血死したいのならば、トドメをさすのもやぶさかではないがな。

 

「いずれにせよ、早いうちに新しい住人の住み心地を良くしてやらなければなるまい」

 すでに職人の家族についてはこちらに連れてくるよう精霊たちに頼んであるのだが、その生活の面倒を見るのは俺の仕事だ。

 このケーユカイネンという領地の物語に悲劇は必要ない。


「ですニャ。 とりあえず、保護した民衆のうち……仕事の無いシルキーたちは宿泊施設関係を任せるとして、仕事の無いブラウニーたちは養蜂をさせる予定でよかったでしょうかニャ?」

「それでいい」

 あまり知られていないが、ブラウニーという妖精には蜂を操る力が備わっている。

 この力を活かすなら、養蜂に手を出さないという選択肢はありえなかった。


「ただ、いくつか気になる点があるから、規模は小さめで。

 精霊たちの協力の下、細心の注意を払いながら事業を進めてくれ」

 俺はゴブリンとオークを護衛として回す許可証を手渡すと、目を閉じて新しく煎れた茶に口をつける。

 おそらくだが、何か事件が起きるだろうな。


 数日後……俺の予想は最悪の形で実現することとなる。


「旦那、大変です! 養蜂場の蜂が魔獣化しました!!」

「やはりか」

 ゴブリンからの報告に、俺はたいした驚きも無く立ち上がって外出の身支度を整えた。


「まずは現場を確認したい。 怪我人の有無は?」

「怪我人はありやせん。 ただ、ちょっとこのままでは拙いのではないかと……」

 なるほど、トラブルは起きたが少なくとも最悪の事態ではないようだな。

 俺は歩きながら報告を聞き、緊急性の段階を二つほど下げることにした。


「あー クラエスだぁー! こっちこっち!!」

 くっ、やはり先に来ていたか、駄目精霊め。


「すいやせん。 止めるま暇も無く騒ぎを察知されやした」

「……過ぎたことはいい。 次回はうまくやれ」

 腰をかがめて恐縮するゴブリンにそう告げると、俺はエディスの傍らでバリバリと咀嚼そしゃく音を響かせるソレに目をやる。


「ある程度覚悟はしていたが、ずいぶんと大きく育ったものだな」

 そこにいたのは、人間サイズのミツバチの幼虫であった。

 間違いなく魔法植物を食べて魔獣化した存在である。


 今は管理を任せたブラウニーたちから花を受け取って、それをそのままバリバリと噛み砕いておとなしく食べているが、虫嫌いならば、その場で卒倒しそうな光景である。


「食事は植物でいいのか?」

「はい、本来は花の蜜と花粉を食べて生活する草食性の生き物なので、あとは水さえあれば大丈夫です」

 答えたのは新しくやってきたブラウニーの代表。

 聞いたところによると、前の領地でも養蜂を営んでいたらしい。


「見た目はこんなんですが、性格は犬みたいでして……なれるとなかなか可愛い奴なんですよ」

「……以前にもこんなことはあったのか?」

「はい。 なにぶん蜂というのは広い範囲を飛び回って蜜を集める生き物ですからね。

 偶然にも魔法植物から集めた蜜で育てられてしまうと、たまにこのビヤーキという巨大ミツバチが生まれちまうんです」

 そうなると、巣にいられなくなった幼虫は群れから離れて一匹で生き延びなければならなくなるらしい。


「今のところ魔獣化したのはこの一体のみですが、この後も次々と魔獣化した蜂が生まれることが予想されます。

 なにぶん、この土地に満ちる魔力はありえないレベルですから」

「やはりそうなるか……」

 この土地に来てから何度も巨大な昆虫系の魔獣と遭遇していたため、この展開は予想の範囲内である。

 むしろカマキリや蜘蛛のように凶暴な肉食の生き物でなかっただけマシなぐらいだ。


 なお、ここまで変異してしまうと、魔力を抜いても元の蜂には戻れない。

 そういう生き物として定着してしまっているので、逆に魔力の欠乏を起こして衰弱するだけだ。


「知能はどうなんだ? 蜘蛛の時のように意志の疎通は可能なのか?」

 以前にこの領地を襲撃してきたハエトリグモの魔獣は知能が高く、限定的ではあるが意思の疎通が可能であった。

 そのため、俺たちは捕獲した蜘蛛を調教し、食料と引き換えに糸を受けとることにしたのである。

 そして今ではレッドミノタウロスの集落にうつり、現地で非常に重宝されているらしい。

 

「はい、性格も穏やかですし、人間に近いレベルの知能を持っていると思われます」

 魔獣化した生き物は元の生き物よりも知能が上昇することが知られており、特に固体として大きくなるほどにその傾向が強い。


「問題は、巣に入ることが出来ないので、冬が来ると凍死してしまうことですね。

 おそらくそうなる前に成虫になると思われますが……」

「わかっている。 生育の許可を出そう。

 大事に育ててやってくれ」

 うまくやれば、新しい産業に出来るかもしれない。

 ……同時に、この領地の外に出せないものがまたひとつ増えることになるが、これについてはもう諦めたほうがいいだろう。


「ありがとうございます!」

 深々と頭を下げるブラウニーたちではあるが、その瞬間……俺は妙な音を耳にして幼虫のほうを指差した。


「ところで、あれはほっといていいのか? 腹を壊すのではないかと思うのだが」

 見れば、匂いのせいで餌と勘違いしたのか、ビヤーキの幼虫がエディスを頭から齧ろうとしている。

 まぁ、全身が植物性だから食べても問題は無いのかもしれんが。


「ひやあぁぁぁぁぁ!! 助けてクラエス!!」

「うわぁぁぁ! ダメ、それは食べ物じゃないから!! ペッしなさい!!」

 あぁ、やはりダメだったか。


 しかし、困ったな。

 これだけ大きいと、花の蜜を集めるという作業は出来ないだろうし、かといって無駄に餌を与え続けるというわけにも行くまい。


 俺は幼虫の丸い瞳を見つめ、この先こいつらの生活をどうするかについて頭を悩ませるのであった。

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