第12話

 白い白い、世界を染めつくすような白銀の奇跡。

 それは、まさに神話の世界に紛れ込んだようであったと、後の人は語る。


「皆さん、行きましょう!」

 彼女が杖を掲げると、頭上に真っ白な霧が立ち込めた。

 そしてその霧はまるで生き物のようにうねりながら、吹雪となって吹き荒れたのである。


「見ろ、蟻が死んでゆく!!」

「ざまぁみろ!!」

 次々と凍り付いて死んでゆくクリムソン・アルメイヤを見て、兵士や冒険者が大きな歓声を上げた。

 かくして、人の手には余るはずの局地災害は、たった一本の杖によって退けられたのである。


 危機は去った。

 子供たちは歓声をあげ、女たちは安堵のため息をつき、男たちは雄叫びを上げる。

 年寄りたちは冥土の土産話とばかりに目の前の光景を目に焼きつけ、堅苦しい役人たちも今ばかりは和やかな顔で生き残った民を祝福した。


 そして街の周辺がすっかり雪景色となった頃。

「あっ、杖が……」

 蟻を駆逐し終わると同時に、ピシリと音を立てたかと思うと、精霊から与えられた杖は粉々に砕け散ってしまった。


「そんな! 精霊から貰った杖が!」

「蟻がまた襲ってきたらどうなるんだ!?」

 その光景に、周囲にいた人々は悲痛な声を上げる。

 だが、その杖の持ち主であった少女は、静かに首を横に振った。


「いえ、これは役目が終わったということでしょう。

 過ぎたる力は、不幸しかもたらしません」

 その言葉を肯定するかのように、砕けた杖はキラキラと輝く光の粒となって天に昇ってゆく。


「もしも杖がこのまま残っていれば、今度はその杖の力を求めて争いが起きるのは目に見えています。

 ええ、これで良いのです」

 彼女は目を閉じてひざまずくと、杖を与えてくれた精霊に感謝の祈りをささげた。

 そして、この後起きるであろう醜い争いを予感して、その胸を痛める。


 ……そう、英雄の物語が終わった後も、話は続くのだ。

 目に染みそうなほどの腐臭を放つ、人の世の物語が。



「……というわけで、クリムソン・アルメイヤによる脅威は去ったわけですが、今度は生き残った民衆によって暴動が起きそうなのですニャ」

「ほぅ、そこの所もう少し詳しく」

 ムスタキッサの報告を聞きながら、俺は執筆のためのメモ帳にペンを走らせた。


「具体的な内容としては、今回の事件で民衆の避難を拒絶して橋を壊した第一王子の陣営が非難されているわけニャンですが、向こうにもそれなりの言い分があるわけでして」

「まぁ、そうだろうな。

 そうなるように、そそのかしたのだから」

 むしろそうなってもらわなくては俺が困る。


「本当に悪い方ですにゃあ、クラエスさま」

「そうか? 畑が雪に埋まってしまった農家にとっては災難だったかもしれないが、ちゃんと収穫の時期は外してやったし、大きな怪我人や死人も出ていないはずだぞ?」

 むしろ、壮大な物語を体験できたとみんな感謝しているんじゃないかと思っていると思っていただけに、この評価は心外である。


「俺はただ、小説のネタが欲しかったのと、俺の平穏を乱す邪魔者を始末したかった……それだけだよ」

「ご自身のやったことをよく思い出してほしいですニャア。

 どう考えても極悪人じゃございませんか」

「なんだよムスタキッサ。 お前だって大して罪悪感なんて感じてないくせに。

 人のことを悪くいう権利がお前にあるとでも思っているのか?」

「ございませんニャ。 なにせ、この内紛騒ぎに乗じて色々と軍事物資を売りさばいておりニャすので」

 いけしゃあしゃあとそう言いながら、ムスタキッサは毛むくじゃらの手を口元に当ててグフグフと低い笑い声を上げる。


 さて、俺がいったい何を仕掛けたかというと、実に簡単なことだ。

 クリムソン・アルメイヤを街にけしかけた際に、配下のゴブリンに命じて街の兵士にこう告げるように手配しておいたのである。


『橋を落とせ! さもないと、こっちの領地に入り込んだ難民共で俺たちの街がめちゃくちゃになるぞ!!』


 別に、嘘を言っているわけではない。

 難民が大量に入り込めば街に負担がかかるのは当たり前のことである。

 むしろ、俺は彼らにこのあと起きるであろう不幸について親切に教えてやったに過ぎないのだ。

 ……ただし善意はまったく無いがな。


「ですがクラエス様、よろしいので?

 このまま内戦になれば公爵閣下の不興を買いますニャ。

 次の策が必要かと存じ上げますが?」

「その必要はない。 むしろ何もしないほうがいいだろうな」

 そう、そのことについてはすでに公爵と話がついている。

 すでに手は打たれているのだ。


「なぜでございますかニャ?」

 あぁ、ムスタキッサ。

 第二王子とつながっている可能性のあるお前には教えてなかったな。


「今回、俺が選んだ少女は英雄に祭り上げても、第二王子の得にはならない。

 彼女は第一王子の派閥から追放された人間だったのだが、逃亡先として選んだ第二王子の派閥の修道院でもずっと虐待されていたからな。

 最初からそういう人間を選んであるんだ」

 むしろ、俺がこれ以上何か手出せば、第一王子をそそのかしたことが露見して公爵に不利益をもたらす可能性もある。

 当然ながら公爵もまたそのような展開を望んでいない。


 俺や公爵はこの国の天秤をほんの少し揺らして乱したいだけであって、天秤ごとひっくり返すつもりは毛頭ないのだ。

 そう、最低でも第一王子が俺に干渉する余裕が無くなればそれで十分なのである。


「すると、王子たちはどう動くと思う?」

「ニャるほど、英雄となった女性に安定した生活をちらつかせ、その代償として婚姻を結ぼうとする……そういうことでございますか」

 ムスタキッサは、ようやく俺の描いた物語がいかなるものかを悟ったらしい。


「すばらしく安直で使い古された手段だろう?

 だが、最も確実な方法だ」

 しかし、おそらく奴らの望んでいるようなラブロマンスは起きないだろう。


 そういう条件をも満たしているからこそ、俺は彼女を選んだのだから。

 たとえ軽薄な王子たちが百万の言葉を尽くしたとしても、誠意の無い言葉が彼女に届くとは思えない。

 

「……せめて本人に白い結婚を受け入れるような野心でもあれば面白かったんだがな」

 あいにくと、彼女の性格にはあまりにも英雄にふさわしすぎた。


 後日、俺の予想通り二人の王子は英雄となった少女を嫁にしようと同時に画策し、ものの見事に振られたらしい。

 かくしてこの騒動は、第一王子と第二王子が等しく民からの信頼を失うという結果に終わったのである。


 そう、俺の計算どおり第一王子の陣営により多くのダメージを残して。

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