第11話


 絶望は、夜明けとともに訪れた。


「あ……あああ……蟻だぁぁぁぁぁぁ!?」

 最初にその異常を発見したのは、街の外を巡回していた兵士であった。

 彼は急いで馬を走らせ、詰め所に報告する。


「激甚災害級モンスター、クリムソン・アルメイヤ!

 街にむかってまっすぐ向かっております!

 最寄りの村までの推定到達時間、八時間!!」

 彼の行動は、いささか間違ってはいなかっただろう。

 だが、不幸だったのはそこに一般人が聞き耳を立てていたことであり、そしてその中にとても考えの浅い人物がいたことであった。


「こ、こうしてはおられん! 早く蟻の来ないところまで逃げなければ!!」

 そして彼は街に入ると、あらん限りの声で叫んだのである。


「魔物が、魔物がくるぞぉぉぉぉ!! この街にむかって、もうすぐ激甚災害級の魔物の群れが押し寄せるぞ! はやく逃げないとみんな死ぬ!!」

 衛兵たちがその行動に驚くも、時すでにおそし。

 街の人間はパニックを起こして悲鳴を上げた。


「まさか!? もうすぐ近くにきているというのか!?」

「そんな話、聞いてない!!」

「兵士たちは何をしていたんだ!!」

「に、逃げろ!!」

 慌てふためいて逃げ惑う民衆は、着の身着のままの状態で蟻のいる方向とはちがう位置にある門へといっせいに押し寄せた。


 だが、そんな状態でまともに移動できるはずもなく、あっという間に牛や馬や人がごったがえす大渋滞が引きおこる。

 その姿は、皮肉なことに秩序を失った蟻の群れを連想させた。


 しかし、それでもこの出来事はこの事件における最悪のエピソードではなかった。

 その"最悪"が起きたのは、民衆の半分ほどが隣の領地との間にかかった橋を渡り終えた時のことである。


「橋を壊せ! 橋を壊せば蟻はこちらに渡ってくることは出来ない!!」

 それを叫んだのは、第一王子の直轄である隣の領地の代官であった。

 おそらくその言葉がなければ、この事件の被害にあった民衆は全員が安全なところまで避難できたであろう。


「やめてくれ! まだ橋を渡っている人間がいるのが見えないのか!?」

「お願い! 待って!! まだ子供がこっちにきていないの!!」

 だが、人々の願いも空しく、代官は告げた。


「黙れ! 貴様らの事情など知ったことか!!

 勝手に我が領地に侵入しておいて何をあつかましい。

 ……やれ!!」

 代官の命令により、魔術師たちは橋にむかって一斉に破壊の魔術を放つ。

 ドン、ドドン、何度も低い爆発音が響き渡り、橋の中央に大きな亀裂が生まれた。


「いやあぁぁぁぁぁ!!」

「人殺し! この、悪魔!!」

 耳を覆わんばかりの悲鳴とともに、橋が壊れて人と瓦礫が次々に落ちてゆく。


 ほどなくしてその無慈悲な凶行は、その現場から離れた場所……街の人たちが食料をもって逃げる時間をかせぐべく、蟻の襲撃に備えていた兵士と冒険者にも知らされる。


「畜生、自分たちさえよければそれでいいのかよ!」

「外道が……永遠に恨んでやる」

 いくら叫んだところで、こちらの領地に取り残されたものたちが命が助かる可能性はすでに無い。

 ――そう、神がその救いの手を差し伸べない限り。


「神よ! なぜこのような試練を我々に与えるのですか?

 こんなの、あまりにも酷すぎます!! もしもあなたが存在しているというのならば、なぜ我々をお救いにならないのですか!?

 それとも、我々など気にするまでも無い存在だというのでしょうか!

 聖典の中で、あなたが私たちを愛していると何度も告げた言葉は全て嘘なのですか!?」

 そう叫んだのは、家の事情でこの街の修道院に入っていた貴族の少女だった。

 彼女は壊れた橋を前に、空を見上げて神をなじる。

 だが、その時であった。


「見ろ、水が……」

「水が引いてゆく!?」

 まるで少女の声にこたえたかのように河の水位が下がり、河に落ちた人々がその姿を現す。

 しかも、瓦礫にあたって怪我をしたはずの者も、全員が傷ひとつ無い状況でだ。


 わずか十回ほど呼吸を繰り返すほどの間だったでろうか。

 その大きな河は奇跡のようにその深い水底を人々の目の前にさらけ出した。


「き、奇跡だ……」

「神よ!」

 そしてその変わり中から、冬の海のように灰色のかかった青い毛並みをした牛頭の巨人が現れたのである。

 精霊だ。

 人々が祈りをささげる中、その異形の巨人は先ほど神をなじった少女の前まで歩み寄ると、一本の杖を差し出した。


「これを……私に?」

 その言葉に、牛頭の巨人は優しい目をしたまま大きくうなずく。


 少女はおずおずと手を伸ばし、その杖を軽く握った。


「……冷たい!?」

 まるで氷のような感触に、少女は思わず手をひっこめる。

 それは黒く汚れの染み付いた古い木製の杖にしか見えなかったが、その表面はびっしりと霜に覆われていた。


「あの……これで何をすればよろしいでしょう?」

 巨人は少女の問いに答えるかのように、壊れた橋を指差した。


「これで……橋がなおるのでしょうか?」

 うなずく巨人に、彼女は半信半疑のまま壊れた橋に向かって杖を向けた。


 するとどうだろうか、ビシビシと大きな音を立てながら、氷が壊れた橋に絡みつき、みるみる間に壊れた部分を補ってしまったではないか。


「おぉぉぉぉ! 奇跡だ!!」

「これで向こう岸に渡ることができる!!」

 人々は歓声を上げながら再び河の向こうに歩き始めた。

 隣の領地の代官も、さすがにこの状況でこっちに来るなと告げる勇気はなかったのだろう。

 地面にへたりこんだままおびえたような目をしてこの光景を眺めていることしか出来なかった。


「あのっ、ありがとうございます精霊さ……ま?」

 気がつくと巨人の姿は薄れ始め、河の水も元に戻り始めていた。

 ただ、氷で出来た橋の存在が、今の奇跡が夢ではなかったことを雄弁に物語っている。

 そしてその姿が消える直前、牛頭の巨人は少女の顔を見て、蟻の押し寄せる街の方向を指差した。


「神様、私は貴方を口汚くののしりました。

 なのに、なぜ精霊を遣わし、私にこの杖を下賜されたのでしょうか?」

 いくら考えても答えはわからない。

 だが、何をさせたいのか……それだけは彼女にも理解できる。


「私に、この街を救えとおっしゃるのですね?」

 そう呟くと、少女は強い光を帯びた目で、歩き出した。

 今も震えながら蟻の襲撃に備えている兵士や冒険者たちのいる場所へと。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る