第5話
「……臭い」
「臭いですねぇ、旦那」
「かなり匂いますニャア」
……とはいっても、誰かが粗相をしたわけではない。
その臭気の源は、隣のブースの屋台からである。
どこの領地だったか名前を思い出せないが、隣に構えた物産展のブースの一角に、ブタの丸焼きを作って売るという店があるのだ。
しかも、その領地の名物なのか腹に大量にニンニクを詰めて焼いているので、その焼ける匂いはすさまじいの一言に尽きる。
「うーん、これはよろしくありませんニャア」
「そうだな。 うちの売り物だと、特に香水の売り上げに影響が出る。
食事のほうも、この匂いの中では楽しめないだろうな」
だが、俺たちにとっては悪臭であっても、腹を減らした男達にとっては食欲をそそる匂いなのだろう。
その香りにつられるようにして、今もフラフラと労働者らしき男がその店の話うに引き寄せられていった。
当然ながらその店は向こうの物産展ブースのいちばん風下に配置して、自分たちに被害が及ばないようにしている。
ほぼ、間違いなく故意犯だ。
そもそもこの手の問題は運営側が考慮すべきなのだが、いったい何を考えているのだろう。
明らかにすみわけが出来ていない。
他のブースの人間も文句を言いたそうにしているが、問題のブースには腕っ節の強そうな護衛が何人も控えており、クレームをつけに来た人間を威圧して追い返している。
何らかの妨害を仕掛けてくるとは思っていたが、まさかこんな幼稚であからさまな手を使ってくるとは思わなかったぞ。
そもそも、周囲の売り上げを下げるようなことをして、いったい何がしたい?
ふと見ると、向こうのブースの幟旗に『当広場最大の人気店』という文字が記されている。
しかも、その横にはトロフィーのようなものが飾られていた。
そういえば、この広場のバザールには売り上げによるランキング制度があると言っていたな。
おそらくその名誉が目当てというわけか。
……くだらん。
「こんな連中に店を開かせているあたり、お前の知り合いもたいしたこと無いな、ムスタキッサ」
「その点につきましては、面目しだいもございませんニャ。
あとできっちり締め上げておきますので、どうか今はご容赦を」
「それについては任せる。 今はこの匂いへの対処だ」
これをなんとかしないことには、こちらの商品が売りにくい。
「ニンニクに罪は無いが、我々のみならずこの匂いには市場を利用するご婦人方も困っているようだしな……ムネーメ、頼んでもいいか?」
普段から秘書として俺の横に控えている風の精霊に呼びかけると、返事の変わりに緩やかな風が頬をなでた。
「うわっ、なんだ!?」
「急に、風向きが……」
「馬鹿な! 精霊使いは何を!!」
どうやら、連中はこんなくだらないことのために精霊使いを雇って風の魔術を使っていたらしい。
慌てふためく連中の痴態を呆れながら眺めていると、風が一枚の書類を俺の手元に運んできた。
「なんだこれは……雇用契約書ではないか」
どうやら向こうの精霊使いと契約していた精霊を、ムネーメがヘッドハンティングしてきたらしい。
向こうの精霊使いはご愁傷様だな……と特に干渉に浸ることもなく契約を済ませると、こちらの店の屋台から甘いクッキー生地の焼ける匂いが漂い始めた。
「さぁさぁ、よってらっしゃい、見てらっしゃい!
誰も知らない神秘の異郷、ケーユカイネン名物の新鮮で薫り高いバターをふんだんにつかったミノタロウスクッキーはいかがかな?」
「ハンネーレ第二王女愛用の超美容健康食、カ・カーオが入ったブラウンクッキーは、数に限りがありますのでお早めにお求めください!」
「カリッと香ばしい生地の器に、たっぷりのホワイトソースを注いで焼き上げた、手のひらサイズのおいしい一品!
お昼には、ケーユカイネン名物ペレペリをどうぞ!」
すかさずゴブリンたちが呼び込みを始めると、女性客を中心に俺たちのブースへと客が集まり始める。
俺たちの物産展は主に女性をターゲットにしているので、これは予想通りの展開だ。
店のあちこちにはゴブリンたちの作ったガラス細工であったり、香水ビンなどが置いてある。
なお、飲食ブースにおいてある香水は試供品であり、誰もが試しにつけてみることが出来るようになっていた。
……むろん、最初からここで販売する食べ物のことを考えてオレンジなどのフルーツ系を中心にした品揃えである。
「なにこれ、こんなお菓子初めて! なんでこんなにバターの風味がしつこくないの!?」
「……すごい。 甘い香りとかすかな苦味が癖になって手と口が止まらない。
……どうしよう、今月のお小遣いが」
客たちが客の評判は上々で、店内からは悩ましくも喜びに満ちた悲鳴が飛び交っている。
ちなみに、領内で作られたハーブを使った茶は無料での提供だ。
そしてお菓子を食べつくして一息つくと、彼女たちはそこかしこに飾られているガラス細工や、試供用の香水瓶の存在に気付く。
さぁ、その財布の中身を空っぽにするがいい。
それに見合うだけの幸せを与えてやろう。
「さて、俺もそろそろ仕事に入るとするかね」
「お願いしますニャ」
荷物の中かにバイオリンを取り出すと、店の隅で竪琴を奏でていたマルックさんの隣に立って弦を歌わせる。
甘いお菓子に、甘い香り、そして甘い音楽に酔いしれて、女性たちは目を閉じたまま至福の時間を楽しむのであった。
ただ、ひとつだけ予想外の失敗がある。
「居心地が良すぎて客の回転率が悪いですニャ」
ムスタキッサの辛らつな一言に、俺は何も言い返すことが出来なかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます