第9話

 翌日の夜明け前。

 ルスケアレーミネン氏族の宿営地では、男たちが目を血走らせながら終結していた。


「いいか、お前ら! 今からホルステアイネンの軟弱野郎共をぶちのめしに行く!」

 この戦士団の代表であるルスケアレーミネンの戦士長が檄を飛ばすと、それに反応して周囲から怒りに満ちた声が沸きあがった。


「そうだ! あいつらが二度と反抗しようと思わなくなるように徹底的に殴り倒せ!」

「ホルステアイネンのクソ野郎共に死を!」

「おとなしく嫁を差し出して従っていればいいものを……まぁ、最初から宝を返すつもりはないがな!」

「そうだ、あいつらの女を全員かっさらって俺たちのものにしてやる!!」

 そんな彼らの横顔を、地平からようやく顔を出した太陽が明るく照らす。


「……夜明けだ。 行くぞ、野郎共!!」

「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」

 勇ましく声を上げて宿営地を出たルスケアレーミネン氏族の戦士たちだが、彼らは気づいていなかった。

 ――戦いはとっくに始まっていたことに。


 彼らが宿営地を離れてかなり経った頃である。

 2メートル近い潅木の生い茂る深い茂みを切り裂いて作られた道を歩いていると、ブオォォォォォォォォォ……と、低い角笛の音が周囲に響き渡った。

 同時に、ガサガサと音を立てて何かがものすごい勢いで近づいてくる。


「な、なんだ!? 何の音だ!」

「気をつけろ、数が多いぞ!!」

 突然の出来事に、ルスケアレーミネン氏族の戦士たちは道の真ん中で狼狽した声を上げた。

 先日の人間に武器は使用禁止だと宣告されていたために、使い慣れた斧がここにないのがひどく恨めしい。


 そしてガサッと大きな音とともに現れたのは……


「くそっ、敵襲だ! ホルステアイネンの奴等が奇襲を……ぐはっ!?」

 声を上げたルスケアレーミネン氏族の戦士の声が、肉を殴打する音とともに途切れる。

 続いて、列の後方からいくつもの悲鳴があがった。


「くそっ、奇襲とは……なんて奴らだ! 野郎共、反撃だ!

 ホルステアイネンの卑怯者共を返り討ちにしてやれ!!」

 だが、ルスケアレーミネン氏族の戦士たちが後列に駆けつけると、そこにはすでに倒れて気を失っている仲間しかいなかった。

 全員が体中を何度も激しく殴打されており、もはや完全に戦闘不能である。

 そしてこの襲撃で、五人の仲間が使い物にならなくなった。


「おい、しっかりしろ!!」

「あいつら……一人を相手に複数でかかってくる……気をつけろ……」

 かろうじて意識のあったミノタウロスが、歯の折れた口で苦痛をこらえつつ忠告を残す。


 ――完全にはめられた。

 考えてみれば、この道も昨日ホルステアイネンの奴等がやってきたときに作った道である。

 何気なしにこの道を通って奴らを襲撃するつもりだったが、奴らは最初からここで俺たちを奇襲するつもりでここに道を通したのだ!!

 道を作れば、当たり前のようにそこを通ることを見越して!!


 ルスケアレーミネン氏族の戦士長がそれを理解すると同時に、再び大きな角笛の音が響き渡る。

 今度は列の先頭のほうから悲鳴があがった。


「また奇襲か!?」

 主力である戦士たちを率いて戦士長が駆けつけると、そこには同じように戦闘不能にされた仲間たちがうめき声を上げている。

 しかも、駆けつける途中でいきなりピンとロープが張られ、何人もの仲間がそれにつまずいて倒れた。

 そしてその後ろにいた奴等が倒れた仲間を踏みつけ、あるいは同じようにつまずいて倒れ、怪我をして動けなくなっている。


「この見通しの悪い場所で奇襲を繰り返し、反撃を受ける前に撤収。

 そしてかならず自分たちが多数になるような状況を作り出してから攻撃する……誰だ、誰がこの陰湿な作戦を考えた!?」

 脳裏に浮かぶのは、昨日彼らの宿営地を訪れて宣戦布告をしていった黒髪の人間だ。

 一人を大勢で叩くという効率を重視したやり方も、反撃を受ける前に離脱するという戦術も、ホルステアイネンの敗北主義者どもに思いつく話ではない。


「ルスケアレーミネン氏族の戦士諸君」

 そのとき、深い茂みの向こうから、ホルステアイネンの若頭の穏やかな声が聞こえてきた。


「どこだ、この卑怯者! 姿を見せろ!!」

 叫びながら、戦士長は相手の声から位置を探る。

 指揮官を捕らえてしまえば、今みたいな組織だった攻撃は出来なくなるはずだ。


「君たちのうち、すでに三割の兵が我々の手によって戦闘不能になった。

 これは軍事において全滅の指標となる数字だ。

 無駄な抵抗はやめて、おとなしく降伏することをお勧めする」

 だが、逆に言えばまだ七割は健在だ。

 ルスケアレーミネン氏族の誇りにかけてこの状況で降伏など出来るはずは無い。

 そして、そんな事は向こうも承知の上のはずである。


 ――ならばこれも罠か。

 だが、戦士長がそう判断するよりも早く行動に出る者がいた。


「そこだ! ホルステアイネンの若頭を捕らえろ!!」

「よせ! まだ動くな!!」

 血気はやった戦士が数名、ホルステアイネンの若頭の声を追いかけて茂みの中に飛び込んでゆく。

 そして二十秒ほどしただろうか?

 茂みの向こうから悲痛な悲鳴が響き、彼らはいつまでたっても帰ってこなかった。


「……全員動くなよ。 動けばまた奴らの策に引っかかる」

 気がつけば、倒れて動けなくなった奴らの姿がいつのまにか何人か見えない。

 おそらく、捕虜として連れて行かれたのだろう。


 ――まずい、完全にもてあそばれている。

 戦士長の精悍な顔に汗がしたたり、顎をつたって地面にこぼれた。


「お、おい、俺たちが戦っているのは本当にホルステアイネンの腑抜け共なのか!?」

「こんな恐ろしい手を使ってくるような奴らじゃなかったはずなんだが……」

「あいつら、もしかして悪魔にでも取り憑かれたんじゃ!?」

 戦士たちの間から、不安げな言葉がいくつも囁かれる。


 そのとき、ガサッと背後から音が響いた。


「う、うわぁぁぁぁ!」

「て、敵襲! 敵襲だ!!」

「畜生、刺し違えてでも一発殴ってやる!!」

 その音に混乱し、ルスケアレーミネンの戦士たちが大きく騒ぎ立てる。

 ある者は地面にへたりこみ、またあるものは逃げ出し、何人かは奇声を上げながら茂みの中に殴りかかっていった。


「やめろお前ら! 落ち着け!!」

 戦士長が必死に声をかけるも、彼らの混乱は収まらない。

 そして、そんな彼らをあざ笑うかのように茂みの中から一羽のきじが飛び立つ。


「な、なんだ、鳥か」

「驚かせやがって……」


 その様子を人事のように冷静に見つめながら戦士長は一人心の中で呟いた。

 ――この勝負、勝てないかもしれない。


 濃い緑の香りの中に混じって、誰かが粗相をしたらしきアンモニアのツンとした臭いが漂っていた。

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