第9話
「……どうしてこうなった」
そう呟く俺の前には、メイドたちが不気味な笑みを浮かべて立ちはだかっていた。
「さぁ、覚悟をお決めくださいませ。 これが貴族の習いでございます」
そんな台詞とともにメイドたちの手が、わきわきと動きながら俺の隙を伺う。
彼女たちの手には、恐るべき凶器……美肌マッサージ用のオイルと柔らかなパイル生地のタオル、そして保湿クリームが握られていた。
「嫌だと言ったら?」
「喜んで実力行使に移らせていただきます」
くっ、入浴ぐらい一人でやらせろ!
だから貴族の屋敷に招かれるのは嫌なんだ!!
「やめろ、痴女! 男の服をむしりとるとは、それでも淑女の端くれか!!」
「おほほほほほ! これも職務でございますので、ごめんあそばせ!」
「あら、素敵な腹筋」
「胸板も思ったより厚みがあるのね、素敵」
普段ならばメイドごときに遅れをとる俺ではないが、逃げ道を念入りに封鎖された上で大勢を相手取ればおのずと限界がある。
しかも、何らかの訓練をつんでいるのか彼女たちの動きはやたらと機敏で、おまけに男の俺が彼女たちを殴るわけにはゆかない。
つまり、最初から詰んでいるのである。
「やめろ、そこは俺のプライベートゾーンだ!!」
その後、何があったかはあえて沈黙させていただこう。
ただ、何とか相打ちには持ち込むことが出来たので、かろうじて俺の尊厳は守られたとだけ言っておこうか。
そして俺が悪夢のような入浴を済ませると、なぜかサイズがピッタリな服が用意されていた。
この着心地、確実にオーダーメイドなのだが、俺の体の寸法などいつのまに調べたのだろうか?
この国の王家もなかなかに侮れないようだ。
そして私的な客を招くための部屋に案内されると、しばらくして入り口のドアが開いた。
「誰だ、お前」
入ってきた女を見て、俺は思わずそんな台詞を呟く。
だが、これは確実に俺の知っているハンネーレではない。
「何気に失礼だな、貴様」
「あぁ、そうか。 これは泉に斧を落としたきこりの物語のソレだな。
俺の知っているハンネーレ王女はピンクのドレスの似合うかわいい女でもなく、思わずむしゃぶりつきたくなるような巨乳美女でもなく、ただの怒り肩で胸に筋肉の装甲をつけたメスゴリラです」
「……殴っていいか?」
その確認の前にこぶしが飛んできて、俺の目の前に星がまたたいた。
「こ、この女にあるまじき怪力……信じられない話だが、どうやら本当にハンネーレのようだな」
「もう一発殴られたいようだな、貴様」
怒りに満ちた声でそう呟くハンネーレ王女だが、なぜかその目は泣き出しそうなように見えた。
こ、これはいったいどうしたことだろう……?
怒り狂ったハンネーレ王女が愛らしく見えてしまうとは、どう考えてもありえない。
もしや、先ほどの保湿クリームに催淫剤でも混ざっていたのだろうか?
「ふむ、傷ついたというなんら素直に謝罪しよう。 それで気が済むならもう一発殴られるぐらいは我慢する」
「では目を閉じて歯を食いしばれ。 いいか、絶対に目を開けるなよ」
まぁ、そう言うなら従おう。
本来ならば、不敬罪で牢獄送りになっても仕方が無いことを言った自覚はあるからな。
そして俺は言われたままに目を閉じたのだが、一向に痛みがやってこない。
じらして相手に精神的な苦痛を与えるという作戦か?
気になる……だが、目を開かないという約束だから、ハンネーレの様子を確認することは出来ない。
ん? 何かが近づいてきたな。
いよいよか。
俺の耳に、なぜか荒い息遣いが聞こえてくる。
いったい何をする気だ!?
すると、俺に頬へとためらいがちに何かやわらかいものが触れた。
「も、もう目を開けてもいいぞ」
「なんだもういいのか? ぜんぜん痛くなかったのだが」
目を開けると、まるで熱病にかかったかのように真っ赤な顔をしたハンネーレ王女が気まずそうに横を向いていた。
なんだ、この状況は?
まるで、恋愛小説のようではないか。
「いったい俺に何をした……」
「そ、そういえば、その新種の魔法植物、名前は決まったのか?」
気になって疑問を呟こうとした瞬間、ハンネーレはあからさまに話をごまかそうとする。
まぁ、そこまでして言いたくないなら俺も我慢するほかはない。
好奇心が疼くのはとても辛いが、先ほどの無礼に対する罰だと思えばそれも仕方が無いだろう。
「いや、まだ名前は決まっていない。 今から名づけようと思っている」
「では……カ・カーオというのはどうだ?」
視線も合わせずに告げられた言葉を吟味して、俺はおもわず顎に指をやる。
「ほう? この国の西に住んでいた民の使っていた古い言葉だな。
カーが私の、カーオは純愛だから、"私の純愛"という意味の言葉になる。
苦くて甘いものにその名をつけるとは……お前にしてはなかなか詩的でいい感じじゃないか」
「なっ、なんで意味を知ってる!? くっ、出来るだけ知名度の低い言葉を選んだつもりだったのに!!」
目を見開いて驚くハンネーレ。
おいおい、そんな驚くようなことか?
「それは、俺が小説家だからに決まっているだろ。
だとしたら……このミルクで割って口当たりをやわらかくした飲み物は"私の初恋"とでも名づけるか?」
「や、やめろ! やっぱり無しだ!」
慌てて俺につかみかかろうとするハンネーレ王女だが、俺は体をひねってその指をかわす。
「きゃっ!?」
「おっと、危ない」
そしてなれないドレスのすそを踏みつけてバランスを崩したハンネーレ王女を横から抱きかかえる。
同時に、俺はあまり使わない言語の記憶を探って短い言葉の翻訳を試みた。
「たしか初恋がコーオゥアで過去形扱いの言葉になるから、あの言語の文法だと主語も過去形になるから……カーが過去形名詞のコーに変わって、コー・コーオゥアか?」
「は、話はこれで終わりだ! 後ろ盾の件は了解したから、お前はもう帰れ! 大至急、速やかにだ!!」
突然暴れだしたハンネーレ王女を解放すると、彼女はまるで俺から逃げるようにして部屋の出口へと走り出す。
「おいおい、急にどうした? あいかわらず行動の原理がよくわからん奴だな」
「うるさい! お前なんか、大嫌いだ!!」
振り向きもせずに走り去った彼女の言葉に、俺はただなすすべもなくぽつんと部屋に取り残された。
「……ふむ、いまのリアクションなかなかに愛らしかったな。 次の作品で使うか」
そんな俺の台詞に、なぜか部屋の入り口で聞き耳を立てていたメイドと侍従たちがそろって顔に手を当てる。
はて、なんとも解せぬ反応だ。
その後のことは俺が現場にいなかったため、後日ハンネーレ王女から聞いた内容になるが、彼女の誕生パーティーに訪れた招待客たちは、次々にこの新しい飲み物を褒め称え、その出所を探ろうとしたらしい。
表向きはブタ伯爵……もといハンヌ伯爵からの贈り物ということになっているが、直前まで何も知らされていなかった伯爵の顔は始終引きつっていたという。
「で、なぜお前がここにいるんだハンネーレ王女」
「その呼び方はあまりうれしくないな。
ここは王都でもないし、今は従僕もいないことだし。 貴様にはアンナと愛称で呼ぶことを許そう」
「……そんな権利はいらん。 それと、質問には明確に答えてくれ」
すると、彼女は機嫌が悪そうに鼻を鳴らし、なぜか俺の背中に胸を押し当てるようにしてしなだれかかる。
「おい……何をしている王女殿下」
「アンナと呼べといったであろうが、この駄目男。
カ・カーオ……微妙に呼びにくいからカカオと呼ぶが、その豆の栽培と流通は正式に私の管理するところと決まった。
ならば、現場の視察に来るのは当然だろう?」
「だったらとっとと現場に行け! なぜ俺に抱きつく!
執筆の邪魔だ!! 締め切りが近いんだぞ!?」
「なぜ? 貴様に嫌がらせをするために決まっているだろうが。
貴様が私をどれだけ傷つけたかを理解するまでは、王都に戻らない所存と知れ!」
な、なんだと? くそっ、心当たりは色々とあるが、ここまでされる謂れが無いものばかりのはずだぞ!?
この天才である俺をもってしてもこいつの考えていることはさっぱりわからん。
このままでは、執筆の締め切りに……締め切りに間に合わなくなってしまうではないか!?
「ひゅーひゅー おあついねぇ、おふたりさん」
俺が頭を悩ませる横から、エディスが余計なことを口走る。
貴様! 守護精霊ならさっさと俺を助けろ! このダメ精霊が!!
俺は無性に腹の立つ表情でこちらを見ているエディスの顔に手を伸ばすと、それを全力で握りつぶした。
お、おのれ……俺は転んでもただでは起きんからな!
だが、俺の危機的状況はそう長くは続かなかった。
数日後、この体験を基にした恋愛小説の原稿を横から見ていたアンナが急に顔を真っ赤にしたまま逃げるように王都へと帰っていったからである。
――あの女のことは本当にわからん。
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