第8話

 これは俺に限った話ではないのだろうが……むかしから機嫌の悪い女の相手は苦手だ。

 理屈じゃなくて感情でしか動かない生き物ほど不条理な存在はいないと思うし、その不条理を俺が心から憎んでいるのも大きいだろう。


 ただ……支離滅裂なことを叫ぶその背中で、早く構ってよと訴えてくるのはあまりにも卑怯ではないだろうか。


「相変わらず人を馬鹿にしおって! 貴様にまともな会話を期待した私が愚かであったわ!!」

 俺はまじめな話をしたはずだったのに、なぜこうなったのだろう?

 この王女様は相変わらず理不尽だ。


「王女殿下におきましては何故このようにお怒りになられているのかさっぱり理解できません。

 もしよろしければ、小職にその理由をお聞かせ願えればと思うのですが?」

「……とりあえず、その人をおちょくったような言葉遣いをやめろ。

 心にも無い敬語など聞きたくも無い。 慇懃無礼とは、まさに貴様のことだ!!」

 まぁ、確かに自分でも少し気持ち悪いな。


「そりゃ申し訳ない。 とりあえず時間も無いので話しをさせてもらうが……まずはこれを飲んでみてくれ」

 疲れて地面にへたり込んだままのハンネーレ王女に、俺は腰の水筒を外してその中身を差し出した。


「なんだ、また変な薬でも作ったのか?」

「失礼なことを言わないでくれ。

 学園に在籍していたときにネタとしてマンドラゴラから媚薬を作ったのは確かに俺だ。

 しかしそれを持ち出して騒動を起こしたのはハンヌ伯爵閣下だっただろ」

 それに、媚薬を飲んだはずのハンネーレ王女にはまったく効果が無かったのも忘れられない。

 薬物の調合に失敗したのは、後にも先にもあの一度だけだ。


「だが作ったのはお前だ。 怪しい薬じゃないというなら、まずお前が飲んでみろ!」


 やれやれ、俺もずいぶんと信用がないようだな。

 だが、信じてもらわなくては話にならない。


 俺は水筒の本体に口をつけて中身を一口飲んだ。

 ――うむ、美味い。 やはりこの甘みが疲れた体に心地よいな。


「ほら、なんとも無いだろう」

「とうだかな。 お前のことだ、私が疑うことを見越して器のふちに薬を塗りつけているかもしれん。

 ほ、ほら、そっちをよこせ!!」

 そう告げると、ハンネーレ王女は俺の持っていた水筒をすばやく奪い、俺が口をつけた場所に唇を押し当てた。


「お前なぁ、仮にも王女なんだからはしたない真似は控えたらどうだ?」

「よ、よけいなお世話だ!」

 なぜか呂律が怪しいが、はて……この薬にそんなん効果はあっただろうか?


「ふむ、少々意図した効果とは違う症状が出ているな。

 体に異常が出ていないかを調べるために解析の術をかけてもいいか?」

「だっ、断固として断る!!」

 ハンネーレ王女は俺の手を平手で跳ね除けると、手にした水筒をぐいっとあおる。


「……甘いな。

 だが、果物の甘さではないし、砂糖の甘さとも少し違う」

 一口飲んだ後、彼女は驚いたように目を見開いてボソリと呟いた。


「口に合わないか? 酒好きの飲兵衛には甘いものが苦手な奴が多いと聞くが」

「誰が飲兵衛だ。 いや、たしかに酒は好きであることは否定しないがな」

 そして美味そうにグビグビと喉を鳴らすと、一気に中身を飲み干した。

 どうやら口には出さないが、味は気に入ってもらえたらしい。


「新しい甘味料か。 いったい何処で見つけてきた?」

「実は、これは俺が赴任した領地で取れた新種の豆でね」

「……というと、ケーユカイネンか。 あの何も無い僻地にそんなものが隠されていたとはな」

「別に隠されていたわけではないが……。

 それにしてもケーユカイネンなんて僻地の名前をよく知っていたな。

 俺ですら赴任が決まるまで聞いたこともない土地だったのに」

「ま、まぁな。 私のライバルと見込んだ男の動向ぐらいはちゃんと把握しているさ」

「なるほどねぇ……ところで殿下。 気分はどうだ?」

 俺がそうたずねると、彼女は自分の体を見回し、腕を軽く動かして首をかしげた。


「ふむ、あれほど動いたのにまったく疲れが無いな」

 だが、次の瞬間に彼女の顔が凍りつく。


「もしや、これは魔草の類を使ったものか!?」

「ご名答」

「お、お前……これ、新種の魔法薬ポーションだろ?

 しかも、瞬時に疲労を回復させる秘薬だなんて、伝承ですら聞いたことも無い!!

 これがどんな恐ろしいものか、もちろん判って言っているのだろうな!?

 疲労を除去する魔法薬など、軍部に知れたらとんでもない騒ぎになるぞ!!」


 まったくもって彼女の言うとおりだ。

 もしもこの魔法薬が量産できれば、軍は一日中戦っても疲弊しない兵士を作り出すことが出来てしまうのだから。

 軍を動かすものにとってそれがどれほど魅力的であることは、わざわざ説明する必要もないだろう。


「判っているからこそ、ウチのブタ領主よりも先に殿下に飲ませたんだが、その意味はわかるよな?」

「つまり、ゴタゴタがおきないように力を貸せと?」

「さすが学園の主席卒業生。 相変わらず聡明でなによりでございます」

 俺が意地の悪い笑顔でわざと丁寧に告げると、ハンネーレ王女はムッとしたように眉を跳ね上げた。


「やかましい……貴様の口から主席などといわれても嫌味にしかならんわ。

 とにかく、こんなところで立ち話をする内容でもないだろう。

 続きは私の屋敷で聞く」

「なに? 今日は挨拶程度にして、後日改めて話しをするつもりだったんだが……。

 だいたい、お前も今日は予定が詰まっているだろうが」

 慌てて断ろうとする俺の腕を、彼女は逃がさないといわんばかりにがっしりとつかんだ。


「予定はすべてキャンセルだ。

 今日の予定など、この重要案件に比べれば実に些細な内容にすぎん。

 まさか、嫌とは言うまいな?」

 その勝ち誇ったような笑みに、俺は何も言い返すことは出来なかった。


 やれやれ、こんなところで一本とられてしまうとは。

 おとなしく手のひらで踊ってくれるはずは無いと思っていたが……だからこいつは苦手なんだ。

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