第10話 デートと千夜一夜
月曜日の放課後。カラオケに誘われたのだが、とてもそんな気分になれず断ってしまった。頭の中は今も、清吾の予知でいっぱいだった。
もしかしたら危険な予知かもしれない。それに関わっているあのネイルの女性は何者だろう。疑問は次々浮かぶのに、結局何一つ聞けず、不自然な態度を取ってしまった。
莉子はため息をつき、晴れ渡った空を見上げた。秋の空は澄みきって高い。ぐんぐん流れていく雲をボンヤリ眺めていると、後ろから肩を叩かれた。
「やほー」
「……大上君」
もはやあまり驚きもなかった。帰り道に彼と遭遇するのが、なんだか当然のような気さえしている。
「なんで俺たち、いっつも会っちゃうんだろーね?やっぱ運命だから?」
「実は待ち伏せしてるって言われても、私は驚かないよ」
「ヒッデー。正真正銘偶然なのに」
大上が、当たり前のように隣に並ぶ。一人になりたいと思っていたはずなのに、莉子も自然と受け入れている。相手の心に違和感なく寄り添えるのは彼の特技だと思う。
「またなにか悩み事?」
なぜそんなになんでも筒抜けなのだろう。眉間にしわを寄せて大上を見た。不快というほどじゃないが、頭の中を覗かれているみたいで少し怖い。
「なんで分かるの?」
「分かるよ。好きだからね」
いつもの軽口で返され、ますます眉間のしわが深くなった。よく飽きもせず続けられるものだ。
「バカなことばかり言ってないで。そっちこそ、あの時の怪我はもう大丈夫なの?」
福田邸を訪れる際、まだ通院していると聞いた。
「俺はケガが残ったってへーき。男の子だからね」
「そういうこと言ってるんじゃないから」
「つめてー。でもそこがだんだんクセになるんだよなぁ」
「変態なの?」
「莉子ちゃんに関することなら」
「…………」
今まで誰にも向けたことがないくらい冷たい視線を送った。それでも大上はにこにこしている。まるで、こうして一緒にいるだけでいいとでもいうように。
「てか、センセのヤバい未来でも視えた?」
大上が気負うことなく、放るように言った。追求というより確信に近い言い方だった。
「…………そこまで分かるんだ」
「福田さんの赤ちゃん見に行った辺りから、おかしかったもん。ちょっと考えれば分かるよ~」
「大上君でも考えるんだ」
「ヒデー評価。否定しないけど」
大上は感情をほどくようにふっと笑った。なぜか儚い笑みだ。
「考えるよ。好きだからね」
呟きは秋の風にまぎれてしまいそうに密やかだった。
莉子は思わず顔を上げる。先ほどの軽口と同じ言葉なのに、大上の笑顔はやけに胸に迫るものだった。なぜだろう。彼は最近こんな表情をする。それは、太陽みたいに明るい彼に似つかわしくないように思えた。
次の瞬間にはいつもの笑顔に戻る大上に、その理由を問うことはできなかった。
「じゃ、さっそく調べてみようよ」
「調べるって、どうやって?聞いても答えてくれるかどうか……」
莉子はまるで逃げるように当たり障りのない質問をして、胸に浮かんだ疑問から目をそらす。考え出したら、何か核心に触れてしまう気がした。
大上は莉子の態度を気にしたふうもなく答える。
「真っ正面から聞いて答えてくれるわけないでしょ。プライベートなことだし、俺たちお友達ってわけでもないし」
断言されると悲しいが事実だ。
「じゃあなおさら――――……」
「正面から聞かなきゃいいんだよ。莉子ちゃんって、そゆとこ不器用だよね~」
「……バカにしてるでしょ」
「ううん。やっぱりカワイイなって」
なにを言っても似たような言葉が返ってくるだろうと予想できたので、莉子は頬をひきつらせながらも、ぐっと口をつぐんだ。
◇ ◆ ◇
……口八丁の見本を、間近で見学しているようだった。
「実は今スポーツ整体に興味あってー。ほら、俺も来年受験じゃん?どっかいい大学とか、センセなら知ってるかなーって。ついでにいい参考書とかも教えてもらえたらなーって」
いぶかしむ莉子を引き連れ、大上はその足で月森診療所にのり込んだ。一体何を言い出すつもりかはらはら見守っていると、彼はいつもの調子であることないこと並べ立て始めた。
あまりの流暢さに、もしかしたら本当に相談をしに来たんじゃないかと、莉子すら思ってしまうほどなのだ。人のいい清吾なんてあっさり陥落した。
「なるほど。少しでしたら協力できると思います。僕の古い知識がどこまで役に立つか分かりませんが」
いとも簡単に騙される清吾を見ていると、罪悪感がずしんとのし掛かる。一方張本人は涼しい顔で嘘を上塗りした。
「うわー、助かります。それじゃさっそく、日曜にでも参考書見に行きたいな~」
空々しく手を合わせて喜ぶ大上に、清吾は申しわけなさそうな顔をした。
「あぁ、今週の日曜は、すみません。ちょっと先約がありまして」
「先約?センセ、友達なんていたんですか?」
「失礼ですよ」
「すいません。で、どんな先約?」
「…………大した用事じゃありませんよ」
月森診療所を出た途端、大上は口を開いた。
「ありゃ怪しいな」
清吾が嘘をついているのは一目瞭然だったので、莉子も否定しない。あれほど隠し事が下手な人もそういないだろう。
「しかもあれ、女と会うよ」
「…………何で分かるの」
「カン」
「ばっかばかしい」
いつものふざけた言い草なのに、少しきつい口調になってしまった。はっとしたけれど、大上は堪えた様子もなく話を続ける。
「じゃあ賭ける?日曜日センセが女と会ってたら俺の勝ち。ごほうびにデートしようよ」
何でそういう話になるのかと思ったが、彼と話す時、全てに『何で』を唱えても意味がないことは分かっていた。こちらの体力が消耗するだけだ。
「会ってなかったら?」
「莉子ちゃんのお願いなんでも聞いたげる」
「それって、私にうまみが全くないよね?」
大上にお願いしたいことなんて思いつかない。
「気のせい気のせい。じゃあ日曜、一緒にセンセを尾行しよう。月森診療所の裏で待ち合わせね。フフ、初めて二人でのおでかけだね」
待ち合わせしておでかけ。
……それは、一般的にデートと呼ばないか。
「やっぱり騙されてる気がする……」
「気のせい気のせい」
結局、へらへら笑う大上に押しきられる形になった。
◇ ◆ ◇
好天に恵まれた日曜日。駅前は人でごった返していた。
午前中から月森診療所で張り込み、莉子はここにいた。前方には、尾けられているなんて夢にも思っていないだろう清吾が、ラフな普段着で歩いている。
「大上君が言うようにデートだとしたら、あんな普段着で会わないんじゃない?」
好きな相手には格好いい自分を見せたいと思うはずだ。
「分かってないなぁ。子供じゃないんだから、デートのたびにオシャレしてたら破産しちゃうでしょ。あれこそ、普段着でもいいくらい何度も会ってるってことじゃない?」
そういう大上も着飾っているわけではない。生成りのシャツにカーキのブルゾン、くるぶし丈のパンツ。真っ白なスニーカー。けれど清吾とは対照的に、気負わない着こなしが洗練されて見えるから不思議だった。その証拠に、すれ違う女の子たちが大上を振り返っている。どこにいても目立つ人だ。
「よく分かるんだね。慣れてるんだ、そういうの」
「お、嫉妬?」
「だと思う?」
「思いません。はい、すいません」
横目で睨むと、大上はあっさり降参した。
「まぁつまり俺が言いたいのは、はたから見れば俺らも付き合ってるように見えるんじゃね?ってことよ」
大上だけでなく、莉子も普段と変わらない服装をしている。厚手のブラウスにカーディガン、紺色のショートパンツだ。
「いや感激。莉子ちゃんの初私服。俺とのデートのためにオシャレしてくれたんだと思うと、もういても立ってもいられない」
「ごめん、これ普段着」
「普段着という名の勝負服でしょ?」
話が通じない。というか、やっぱりデートのつもりじゃないか。
「そんなことより、先生見失っちゃう」
「そんなことって……いや、なんでもないです」
大上はがっくり項垂れたものの、すぐに切り替えて通りの向こうを指差した。
「ほら、あそこ」
くだらない会話の間にも、きっちり居場所を把握している所がすごい。
清吾は人込みの向こうに移動していた。コンビニの前で腕時計を確認する姿は、確かに待ち合わせをしているように見える。
そこに、一人の女性がやって来た。
真っ白なジャケットを着た、華やかな印象の女性だ。まさかと固唾をのんで見守っていると、女性はぴたりと清吾の前で立ち止まった。
「うっそ…………」
大上の呟きが耳をすり抜けていく。清吾たちが連れ立って歩いていくのを、呆然と見つめた。
「センセにあんな綺麗……派手な人をつかまえる甲斐性あったんだね」
莉子を慮ってか『派手』と言い直したが、女性は文句なしに綺麗だった。髪からつま先まで気を遣った、隙のない身なり。ふっくらとして肉惑的な体。女性らしさの全てにおいて莉子より勝っていた。
そんな魅力的な女性と清吾が知り合いというのも驚きだが、莉子はもっと根本的な事実に驚愕していた。
――先生が、女の人と歩いてる……。
考えてみれば彼は莉子よりずっと大人だ。恋人くらいいても当たり前。なのにそんなこと、考えもしなかったのだ。
二人は時々お互いの顔を見つめ合い、楽しそうにしている。話も弾んでいるようだ。
見てはいけないものを見てしまったような、これ以上何も見たくないような、そんな気になって莉子は俯いた。いっそこのまま見失ってしまいたかった。
「莉子ちゃん、行こう」
「え?」
「何のために来たと思ってるの。あの人が莉子ちゃんの予知に出てきた女の人なのか、ちゃんと確認しないと」
もし視たのが彼女なら、予知が今日現実になるかもしれないと考えているのだろう。予知では雨が降っていたから今日ではないと思うが、すっかり動揺している頭に、大上の冷静さはありがたかった。
「もっと近くで見ないと分からないな。手しか視てないから……」
「何か特徴は?」
「爪が真っ赤だったの。すごく綺麗で……」
「よし、確かめてみよう。予知が近い内に起こるもんなら、ネイルは大分ヒントになる」
確かに、すぐ塗り替えでもしないかぎり、予知の当日まで同じネイルのままでいる可能性は高い。ちゃんとしたネイルならそんなに早く傷まない。
追おうとする大上のすぐ横に並んだ。
「やっぱり慣れてるんだね、大上君」
「へ?」
「ネイルが綺麗な人と付き合ったことあるんでしょ」
「ちょっ……それはホント誤解!友達にそーゆう子がいただけで……!」
「『は』ってことは、慣れてるって方は誤解じゃないんだね」
「…………!」
「あ、ちなみに言いわけしなくていいからね。付き合ってるわけじゃないんだし」
口がうまいくせに、大上はたまに迂闊だと思う。おしゃべりしすぎるせいだろうか。彼の好きだとかいう言葉が仮に本気なら、莉子の前では絶対に出しちゃいけないボロだ。
「誤解っていうのは、慣れてるとかそういうことじゃなくて……」
「だから、本当に言いわけしなくていいんだよ」
「そうじゃなくて!」
珍しく声を荒らげる大上に驚いて、思わず立ち止まった。あまりに強い視線を向けられ身がすくむ。世界に二人だけになったみたいに、彼しか目に映らない。
「俺が過去にどんな付き合いをしてたか、そんなのはどうだっていい。誤解されても気にならない。だけど、」
滴り落ちそうな程の意思の強さにくらくらする。彼は、こんな目をする人だっただろうか。
「今、俺が莉子ちゃんを好きだと思う、その気持ちだけは誤解しないでほしい。――――本当に、君が好きなんだ。君だけを」
ため息のような呟きは雑踏にまぎれてしまいそうなのに、莉子の耳にはっきり届いた。なぜか屋上での彼を思い出す。やけに切ない顔で好きだと言った彼を。いつも笑っていて欲しいのに、側にいるとこんな顔ばかりさせてしまう。
「俺の心が全部伝われば、君は――――」
「君たち、何してるんですか?」
二人だけの世界は、突如として終わりを告げる。
気が付くと、清吾が不思議そうに莉子たちを見つめていた。
「先生ってば、邪魔しちゃダメじゃない。デートに決まってるでしょ」
清吾の隣で先ほどの女性がおかしそうに笑った。
「違います」
莉子が反射で否定すると、大上は額をおさえて呻いた。
「こんなマジな告白聞いて、ばっさり否定って……」
ぼやきながらも大上は観念したように清吾たちと向き直る。しまらない態度だが、その目は油断なく女性を観察している。
「センセたちこそデート?やるじゃん、そんな綺麗な人ゲットして」
「何を言ってるんですか。そんなわけ――――……」
「先生」
女性が清吾の脇腹を小突くと、彼は慌てて口を閉ざした。本当に分かりやすいもので、目が思いっきり泳いでいた。
無言で見つめる若者二人のプレッシャーに耐えられなくなった清吾は、助けを請うように女性を見た。女性は辺りに素早く視線を走らせると、ある一点に目を止めた。視線を追うと、そこには男がいた。背が高く痩せた男だ。
男は四人分の視線に気が付くと、すぐ人混みにまぎれていった。明らかに挙動不審だ。
男の姿が見えなくなると、女性はようやく警戒を解いた。
「じゃあ、合流しましょうか。ダブルデートって楽しそうだし」
「だからデートじゃ……」
「そーゆうの全部どこかで話しましょ。そうね、せっかくだし、私この子と二人きりになりたいな」
いきなりぐいと手を引かれた莉子は、驚いて反論もできなかった。一体何がせっかくなのか。
「なんで莉子ちゃんと二人きりに」
「たまには若くてかわいい子とゆっくり話したいの」
あまりの展開の早さについていけず、清吾たちも彼女のペースに翻弄されている。
「じゃ、男性陣はテキトーに時間潰しててね」
「と、言われても……」
「事情はちゃんと話しておきますって。そこは信用して」
言い出したら聞かないと諦めたのか、一つ息をついた清吾は大上を振り返った。
「では大上君、せっかくですし本屋にでも行きましょうか」
「え」
「約束したでしょう。参考書さがしに付き合うって」
「ええぇっ」
こちらも何がせっかくなのか。とにかく話がまとまりつつあるのは確かだ。
大上と目が合った。なぜこんなことになったと彼の瞳が語っている。きっと莉子も同じ顔をしているだろう。
そのまま押しきられ、莉子たちは二手に別れることになった。
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