第2話 二人の穏やかじゃない放課後
放課後。校門の前に立つ莉子を見て、大上は変な顔をした。まるでアマゾン奥地の原住民が、自宅でくつろいでいるところに出くわしたみたいに。
呆然と立ち尽くしていた大上は、急に時間を取り戻したように焦りだした。ものすごい早さで駆けてくる。
「ごめんっ、お待たせ!」
「そっちがデートって言ったくせに遅すぎ。気合いが足りないんじゃない?」
「いや、だってまさか、本当に来てくれるとは―――あ」
慌てて口を塞いでももう遅い。やっぱり本気じゃなかったのだ。分かってはいたけれど、強引に約束しておいて失礼な反応である。
しばらく謝り倒した後、大上はやたら嬉しそうに目元を和ませた。
「莉子ちゃんて、律儀とか義理がたいって言われない?」
「近寄りがたいとか、取っ付きにくそうとかなら言われるけど」
莉子はなおさら可愛げなく、つんと横を向いて答えた。
「ホント?せっかくカワイイのにね」
「そういうのいいから、早く帰ろう」
「ヒッデー。さらっと流さないでよ~。本気なんだから」
さっさと歩き出す莉子に、大上はすぐ追い付いた。
「ごめんね。昨日は気付かなかったんだけど、待ち合わせ場所自分の学校の前とかありえないよね。莉子ちゃんの学校から遠かったんじゃない?訂正しようにも連絡先知らないしさ……とにかくホントごめん」
「別に。私、長渡高だし」
隣に並んだ大上は、いまいち飲み込めていないようだ。莉子はさらに付けたした。
「長渡高から星田高なんて、歩いて五分くらいだよ」
両校が目と鼻の先にあることは、地元の人なら誰でも知っている。ましてや在校生が知らないはずない。不思議に思って見つめると、大上は肩をすくめた。
「ごめん、オレ引っ越してきたばっかなんだ」
「そうなの?」
「六月までは東京にいた」
なるほど。彼のどことなく洗練された雰囲気は、この辺りの人間にはありえないものだ。言われてみれば納得である。
「じゃあこっちはなんにもなくて、退屈でしょう」
大上はすぐ首を振った。
「こっちにもイイトコいっぱいあるよ。空気キレーだし、野菜おいしーし、お年寄りは優しいし」
「ムリに褒めるトコ探さなくていいから」
「ムリじゃないよ。莉子ちゃんにも会えたしね」
莉子は渋面になって立ち止まった。
「それ、やめてくれる?」
「それ?」
「かわいいだなんだって口説くの」
「何で?ホントにカワイイと思って言ってるのに」
大上が大げさな素振りで驚くから、道行く人が振り返った。長渡高は制服だから、同じように下校中の生徒にすぐ気付かれる。ただでさえ彼といると目立つのに、やめてほしかった。
いっそ他人のふりに徹しようと、莉子は早足になった。大上が声をかけてきても無視だ。
大通りを横切る横断歩道を渡り、住宅街に入れば通行人もまばらになる。ようやく歩調をゆるめると、再び隣に大上が並んだ。
「ねぇ莉子ちゃん。未来ってどんなふうに視えるの?」
莉子はまた立ち止まる。大上が不思議そうに首を傾げた。
「どしたの?」
「いや……聞かれると思ってなくて」
予知に関しての質問を一つもされないから、すっかり流されたものと思っていた。信じないのも当然なので仕方がないことと受け止めていたのだが。
この男、最上級のお人好しなのか、大馬鹿者なのか。どちらにせよ変わっていることは確かだろう。
だが、見る目は変わった。
「信じてくれるの?」
「それを判断するために聞きたいの」
そういうことか。期待した分、肩透かしをくらった気がした。
けれど軽々しく信じると言わないだけ誠実かもしれない。前向きに捉え、話を進めることにした。
「なんて言えばいいのか……何枚かの写真を、連続で見てる感じ、かな。でも、何が起こるのか、本当のところ断言できないの。解釈によって意味が変わってくるから」
「じゃあ、オレの予知も?」
「うん。車が突っ込もうとしてるのが視えただけだから……ごめんなさい。私もまだ慣れてなくて」
莉子の言葉に、大上は意外そうに目を見開いた。
「え?予知に慣れてないってこと?」
彼が驚くのも無理はない。予知を視るようになったのは、実は最近なのだ。
「半年くらい前に階段から落ちたことがあって。特に外傷もなかったんだけど、三日間意識が戻らなかった。それで、戻った時にはもう」
「予知能力に目覚めてたと」
莉子はつま先を見つめながら頷いた。
「それからは身近な人から他人まで、色んな人の予知を視た。君みたいに危険かもしれないものもあった。そういう時は、ダメ元で声かけたりして」
横目で大上を見上げた。
「まともに聞いてくれたのは、君が初めて」
ありがとう、と言うのも違う気がして、口をつぐむ。それでも、莉子の気持ちは伝わったようだ。とても温かな大上の視線にぶつかる。照れくさくて慌てて目を反らした。
――この人、本当に手慣れてるかも。警戒心ゆるむ。
出会ったばかりなのに、隣にいることに違和感がなくなっている。異性に慣れない莉子とは大違いだ。
はたと、異性と二人きりであることに気付いた。しかも相手は、本当か分からないが、莉子を好きだと宣言している男。そう思うと急に意識してしまう。
自分が普段どんなふうにしゃべっているのかも分からなくなり、内心焦っていると、大上が口を開いた。
「こっちの秋はキレイだね。空が高い」
つられて見上げると、夕焼けの空にいわし雲が浮かんでいた。辺りは一面茜色。木々も家の壁も燃えているみたいで、地面に伸びる長い影だけが黒い。
初秋の冷たい風が吹き、髪を乱した。手ぐしで髪を整えていると、髪の隙間から、優しく微笑む大上が見えた。とても、距離が近い。
「ここ、はねてるよ」
彼の手が髪に触れる。細身なのに、意外と男らしい大きな手。節の目立つ長い指が頬にすべり降りてくる。
青みがかった白目と対照的に、莉子を捉える瞳は深く黒い。綺麗すぎて息さえ忘れた。そうして、長いまつ毛がゆっくりと伏せられ、唇が近付き――――。
「って、何すんの」
冷静に大上の顔面を押しのける。
「……ちぇー。いけそうな雰囲気だったのにぃ」
「どこが。景色のくだりとか、かなり唐突だったと思うけど」
「あは。バレたか」
はじめこそドキドキしたものの、ふざけた言いぐさに段々呆れの方が上回ってくる。怒って言い合っているうちに、先程までの緊張がすっかり消えていた。
――もしかして、わざと?
彼は莉子の焦りに気付いて、わざとふざけてみせたのかもしれない。だとすると不埒な真似も、初めから本気でなかったということになる。考えすぎかもしれないが。
「……大上君て、うるさいし図々しいし、人の迷惑とか考えてなさそうだけど、本当は周りをよく見てるんだね」
「それフクザツだな~。俺ほめられてる?けなされてる?」
「なんか、下に兄弟いそう」
「ハズレ~。俺バリバリ一人っ子だよ」
「―――――」
道すがら予知の話をしようにも、大上がなぜかうやむやにしてしまうため、くだらない話が続いた。しかしそれは、存外楽しい時間だった。
だからだろうか。一人っ子だと口にした時、彼が見せた一瞬の痛そうな表情が、莉子の胸に強く焼き付いた。
「―――あら、大上さんとこの」
不意に声をかけてきたのは、腰の曲がった優しそうなおばあさんだった。
「これ、よかったら持っていきな」
おばあさんが玄関のダンボールから取り出したのは、真っ赤に色づいた林檎。
「えっ、いいんですか?」
「いい、いい。親戚から毎年山ほど送られてくるんだ」
「林檎好きなんで嬉しいです。ありがとうございます」
「お母さんによろしくね~」
おばあさんと別れると、裸のままの林檎を三つ抱えた颯太は、一つを莉子に差し出した。
「莉子ちゃんもよかったら」
「大丈夫。うちも林檎いっぱいあるから」
秋になるとこの辺りでは、はねだしの林檎が多く出回り飽和状態になる。なので地元民には林檎を買う、という概念が存在しない。莉子の家も例に漏れず、頂き物の林檎で溢れていた。
「あ、やっぱり?うちももう結構ヤバイ」
「ジャムにするとか、お肉柔らかくするのに使うとか、とにかくジャンジャン使った方がいいよ。これからピークだから」
「う、覚悟しとく」
大上は神妙な顔つきでカバンに林檎をしまっていく。その様子がおかしくて少し笑った。
「それより意外。大上君、ちゃんとご近所付き合いするんだね」
「するよ~。みんな優しくていい人だよね」
大上が嬉しそうに笑った時、先ほどのおばあさんの声が背後から追いかけてきた。
「そういえば、くれぐれも車には気を付けるんだよ~」
莉子は引っかかりを覚えて振り返った。
「あの、すいません。今のってどういう……?」
おばあさんは莉子にも親しみやすい笑顔を見せた。
「知らないのかい。樹君ね、最近二度も轢かれそうになってるんだよ」
「…………二度も?」
「そう。違う車に、たまたま二回も」
莉子は顔が強張っていくのを感じた。大上を振り返ると、彼は困ったように苦笑いしている。
具体的にどんな車種だったか聞くと、おばあさんは不思議そうに首を傾げながらも答えてくれた。
「白のワゴンと黒っぽいセダンとか聞いたような……ごめんねぇ。よく覚えてないんだよ。まぁ、本人に聞けばいいじゃない」
家に戻っていく小さな背中を見送ってから、莉子は大上に向き直った。
「……警察には相談してあるの?」
「しないよ~。偶然運が悪かっただけかもしれないもん」
さすがにこの短期間で二度も轢かれかけるなんて、偶然とは思えない。それを偶然だと言い張るなら百歩譲るが、三回となると必然――いや、故意だ。そして、その三回目があることを、莉子は知っている。
莉子が予知で視た車は、色はともかく絶対に軽自動車だった。
「まぁ、大丈夫だよ。俺って運いいし」
命が狙われているかもしれないのに、大上はあくまであっけらかんとしている。まるで他人事のようだ。
「…………車種は違っても、偶然じゃないかもしれない。大上君は、狙われる心当たりとか、ないの?」
大きく伸びをしていた大上が振り向く。冷たい風が吹いて、一瞬彼の顔を隠した。
「ないよ。全然分かんない」
莉子は知らず、震えそうになった。
震えそうになるくらい、彼の笑みは凄絶で、綺麗だった。
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