第5話

香山と別れた後、俺はまっすぐ家には帰らず、一人商店街に立ち寄った。

香山には、寄り道はしないと言ったがそのまま家に帰る気分にはなれず、かと言って香山と喋っている気分にもなれなかった。一人になりたかったのだ。

高校に入学して、香山に出会って、2週間程経った。

まだ2週間しか経っていない。時間の流れがかなり遅く感じる。

まるで夢の中で、さらに太腿あたりまで水が浸かった状態で走っているかのように、日が経つのが鈍い。


午後7時前、この時間帯の商店街はまだ活気があった。

婦人服売り場の店先で世間話をする女性店員と買い物帰りの主婦。

魚介売り場の店主は大声で「らっしゃい!らっしゃい!」と客を呼び込んでいる。

新鮮な魚たちが死んだ目をして並べられており、その前を通ると魚臭い匂いが漂う。

古い看板に”中古ゲーム販売、買取”と書かれた店の中から2〜3人の男子中学生らしき人影が出てきた。

俺は横目で商店街にいる人々を見ながらただ下を向いて歩いている。

すると前から「おーい九重くんー」と女性の声が聞こえた。

俺のことか?と今まで下に向けられていた視線をグッと左前方にもっていった。

すると肩の前あたりで小さく手を振る20代後半の女性が立っていた。


カランカランとベルの音を立てて”喫茶スガワ”に入る。

中に入ると店いっぱいに広がる珈琲の香りが鼻を通り俺の脳を刺激した。

いい香りだ。店の雰囲気はレトロな雑貨が置かれており暗めなテイストで落ち着く。

「そろそろ店を終うところだったけど、ちょうど父が一杯淹れるところだったの」

彼女はこの喫茶店で父親と共に働いている京子さんだ。

「なんだかすいません、まだ数回しか来たことないのによくしてもらって」

「気にしないで、ゆっくりしていってね」

京子さんはそう言ってカウンターに向かった。

カウンターではこの喫茶店の店主であり京子さんの父親でもある男性が手際よく珈琲を淹れていた。カップに珈琲が注がれる音と共に珈琲の香りがまたも店いっぱいに広がった。

「学校の帰り?」

京子さんは両手にカップを持って聞いてきた。

「はい、そうです」とテーブルにカップを置く京子さんの手をみながらそう答えた。

残り一つのカップを向かい側に置き、京子さんはその前に座った。

「ずいぶん遅いのね、部活?」

「あ、いいや部活には入ってないですよ、ちょっと友人と遊んでいたらこんな時間に・・」

「あら、そうなの早く帰らないと親が心配するわね・・・って私が呼び止めたんだけど」と京子さんは苦笑いしながら言った。

「全然大丈夫ですよ、うちには門限とかないですし、それにここの珈琲をまた飲みたいなって思ってたんです」

この店に初めてきたのは、この地区に引っ越してきた日だった。


引っ越し屋さんと一緒になって家具を家の中に入れていると父が

「疲れただろ、ちょっと休んでいいぞ」と言いながら千円札を俺に渡してきた。

「どっか遊んでこいよ、通学路を下見しておくのもいいだろう」

「いいの?まだやることいっぱいありそうだけど」

「かまわんさ、遅くならんうちに帰ってこいよ!」

そう言って父は作業に戻った。

俺は見知らぬ住宅街を自転車で走っていた。

(なんもないな・・家ばっかりだ)とか思いながらしばらく走っていると

『木山商店街まで500m』と書かれた錆びた看板を目にした。

早速、木山商店街を目指して自転車を運ばせた。

500mの距離はあっという間だった。

〜木山商店街へようこそ〜

(ここは歩きの方が良さそうだな)

商店街の入り口よこにある駐輪場に自転車を止めて商店街に入った。

土曜の昼過ぎということもあってか人が多い。

特に主婦とみられる女性が多く、若者はあまり見かけなかった。

この商店街は野菜や魚介類が盛んで、今晩の夕食に悩んでいる主婦にはありがたい場所なんだろう。

自転車を手で押して歩いている人がいた。

(やっぱり・・止めて来てよかった)俺は素直にそう思った。

10分ほど歩いていると左側に『喫茶スガワ』の看板が見えた。

カランカランとベルの音を立てて入店。

「いらっしゃいませ」と凛とした声が俺を出迎えてくれた。

店主と女性の店員、二人で店を支えているのだろうか。

小さな店だが、客がそれなりに入っていた。

「こちらへどうぞ」と女性店員にカウンター席に招かれ「ご注文がお決まりでしたらお呼びください」と言ってカウンターに戻っていった。

なんだかファミレスを思い出してしまった。

なぜそんなことを思ったかというと、個人でやっている喫茶店のほとんどは

自分の好きな席に座れるはずなのに俺は今女性店員によって席を決められたからだ。

まぁその理由は店内を見ればすぐにわかる。

テーブル席はほとんど埋まっており、残っているのはカウンター席しかなかったからだろう。俺がその店で初めて頼んだのはたしか・・

”店主オススメの一杯”だ。


「どうしたの?」

俺はハッとなって京子さんの顔を見た。

「あぁ、いや・・初めてこの店に来たときのことを思い出してたんです」

「そういえば初めて来たときは・・ごめんなさいね、あのときは人がいっぱいでカウンター席しか空いてなかったの」

あぁ・・やっぱりそうだった。

「いいえ、全然大丈夫でしたよ、それにあの席に座っていなかったら京子さんや店主と仲良くなれませんでしたしね」

と俺は本当にそう思っていたことをそのまま言葉にした。

「それはよかったわ」

「そういえば、弟はちゃんと学校行ってる?」

京子さんは不意にそう聞いてきた。

「弟・・?俺は一人っ子ですけど・・」

「あ、いや違うわ、私の弟よ」

京子さんは笑いながらそう言った。

しかし俺は笑うどころか驚いた顔で京子さんを見つめている。

「どうかしたの?」

「弟って与一君ですか・・?」

「そうよ、あれ?言ってなかった?須川与一って子、九重君と同じ組だった気がするけど」

「は、はい同じ1年3組です!」俺は少し声を大きくしてそう答えた。

「あの子、喋らないでしょ、家でもそうなのよ」

京子さんは悲しげな顔になった。

「友達ができるか心配なのよ私」

「そんな、できますよ須川君は・・たしかにあまり喋らないですけど」

「ふふっ・・よかったら仲良くしてあげてね」

京子さんは少しひきつった笑顔になって俺にそう言った。


気づけば20時前。

(そろそろ帰らないとな・・)

俺は「ごちそうさまです」といって520円を支払おうとしたが。

「今日はいいわ、こんな時間まで居させちゃったから」といい

「またいらしてね」と凛とした優しい笑顔で俺が店の扉を閉めるまで手を振っていた。


(明日、須川と喋ってみよう・・)

俺はそう心に決めて自転車を止めてある商店街の入り口に向かった。


帰り道ふと思い出した

”喫茶スガワ”

なんで気づかなかったんだろう。

ずっと引っかかっていたことがようやく解けた。

俺は高校に入る前に須川与一に会っていたのだった。

初めてあの店に行ったとき、俺が座っていたカウンター席のちょうど目の前にあった扉から少年が出て来て、店主となにやら喋っていた。

(あれは、須川与一だったんだ・・・)


次の日、須川は学校には来なかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る