第11話 マトリックス
---------------------------------
現実が脳に運ばれた5感によって成立するなら、この現実は電気信号でしかない。
マグリット美術館・館長
---------------------------------
陰謀論者の太田龍は生きていた。
彼は誤報を流して、世の中から自らを葬り去ったのである。
人間は二度死ぬことはできない。ならば、彼も〈彼ら〉から命を狙われていたのだろうか。
そして〈彼ら〉とは一体誰なのか。
祖父の死と、陰謀論者の偽りの死。ふたつの死の関係は何か。
私は、太田龍の本の出版社を訪ねることにした。
臨海地域の雑居ビルの8階に、目的の出版社はあった。
8階のボタンを押すと、大きな音がし、エレベータはゆっくりと上っていく。
ブザーを押しても鉄の扉は開かなかった。
出版社といっても、社員が何人もいるような会社ではないようだ。あたりを見渡すと、さびれた工業地帯の夕暮れの風景が広がっていた。
せっかく来たのだから、少し待とう。私は非常階段に腰掛けた。
30分も経っただろうか。新聞配達の男がやってきた。
「この事務所。誰か帰ってきますかねぇ」
私は初老の男にきいてみる。
「今、いないんなら、もう、誰も帰って来ないんじゃないかなぁ」
ポストに夕刊をつっこむと、男はぶっきらぼうに答えた。
「仕方ない」
私は重い腰をあげた。
新聞配達の男と私は、エレベーターで一緒に降りることになった。
私は一階のボタンを押す。
大きな音がして、エレベーターが動き出したかと思うと、再び大きな音がしてエレベーターは止まる。
再び、一階のボタンを押すと、エレベーターが動き出した。
エレベーターの動きは遅いが、ようやく一階に着いた。しかし、今度はドアが開かない。
ボタンを押しても、何の反応もない。
「困りましたね」
新聞配達の男は言う。
「こんなこともありますよ・・・」
男は、このような事態も予想していたのか、動揺していない。
私は携帯電話を取り出したが、圏外である。
男も携帯電話を持っていないようである。
エレベータの操作盤の下の扉を開け、電話を取り出すが反応はない。
男は長期戦になると諦めたのか、その場に座った。
○
私は、15センチほどの小さな窓から外を眺めていた。
夕暮れの街は、すでに薄暗い街へと変貌していた。
しばらく時が流れたと思う。
「仕方ないですなぁ・・・」
男はぶっきらぼうに答えた。
私は、祖父に迫っている危険が自分にも迫ってきたのではないか。という根拠のない不安にかられた。
もしかすると、目の前の男が私を始末しに来たのかもしれない。その思いは、私を饒舌にした。
太田龍の本を出版していること。彼の本は陰謀論に関するものであること。
私は、出版社を訪れた理由を男に正直に話した。当然のことだが、祖父が殺されたかもしれないこと。太田龍が死んだかもしれないし、多分、生きていることを除いて・・・。
男は、すべて分かっているとでもいうように、穏やかな表情を返してくる。
「あなたのような人がいつかやってくる。そんな気がしていましたよ」
「ずっと、新聞配達を?」
私の質問に、男は新聞配達を始める前に、経営コンサルタントをやっていたことを明かした。
「会社経営っていっても、すべてはニューヨーク証券取引所で決まる。私の父なんか、一生懸命ベンチャーを育てていたんですけど、オイルショックですべてを失いました」
男は、私の話に少し興味を持ったようだ。
「そもそも石油の値段が同じ量のミネラルウォーターの値段よりも安いなてどうかしているんです」
男は大笑いする。
「自由市場なんて嘘っぱちで、裏で操っている奴らがいる」
男は静かに、自分の話を始めた。こいつなら、自分の話を与太話と思わず、真剣に聞いてくれると確信したからに違いない。
彼はヨーロッパの有名企業と日本の合弁会社に勤めていた。
その会社が合弁を解消して、日本支店に改編した時は、彼は副社長になった。しかし、数年が経つと彼は突然解雇される。外資系の人事体制は、解雇することを躊躇しない。
本社の指示を100%実行するには、昔を知っている人間は邪魔だったのである。
世界の経済は、得体の知れない輩に牛耳られている。「国際金融財閥」の背後にいる〈彼ら〉について、私は男に尋ねた。
「ひとつの勢力だと考えたら大間違い。〈彼ら〉の中にもいくつかの派閥、グループがあり、争いもある。いい奴と悪い奴がいる」
イギリスとアメリカ。ロスチャイルドとロックフェラーのことを言っているのだろうか。
彼が副社長をつとめた会社は、「比較的に良心的」だという。たしかに、その会社の評判はけっして悪くはなかった。
軍需産業の部門を持ち「死の商人」と揶揄されることを聞いたことはない。
太田龍は〈彼ら〉の正体が、ある民族の歴史と深く関わっていることを一貫して書いてきたことを男に伝えた。いわゆる猶過論である。
「それだけじゃないんですよ」
男はうれしそうな顔を見せると、次のように続けた。
「世の中が人間の意志だけで動いていると思いますか?」
男の質問が私を直撃する。
「私には、人間の意志だけではどうしようもない、運命っていうか、神の意志っていうか、たまたまとか、偶然とはいえないものがある気がします」
私は具体的な事例を思いだそうとした。
「たとえば、戦争なんて、誰も戦争をしようとは思っていないのに、今も世界のどこかで戦争が起きている」
男は私をいたぶるように笑った。
「そんなことはないでしょう。戦争をすることでお金儲けをする人たちがいる。自分が死なないならそれでいい。死の商人は珍しいことじゃない。100人中、99人が戦争は嫌だと思っていても、一人が戦争を仕掛けるなら、戦争は起きてしまう」
日々痛感していたことであり、理解していたことなのに、男の口から指摘されることになった。
だが、それはどこか心地よい。それは、相手が自分の気持ちを代弁しているかのように感じられたからかもしれない。
男は続けた。
「たとえば、競馬。強い馬が勝つとか、弱い馬が負けるだけじゃないと感じられることがたまにあるでしょ」
「あんまり競馬に詳しくないんで・・・」
「テレビの競馬解説で、語呂合わせや、数字あわせなど、まったく馬に関係のない要素で予想をする競馬評論家がいる。それって、どういうことだと思います?」
「番組をおもしろくさせようというか・・・」
「あれは、〈彼ら〉が運命を操っていることを見せつけるためにやっているんです」
〈彼ら〉とは誰か---。
太田氏の本では、陰謀はフェニキア人によって始まると説く。
フェニキア人はアルファベット(表音文字)を始めた民族として有名である。表音文字が邪悪なら、表意文字は清らかだと言うことになる。
ならば、表意文字の漢字を培ってきた中国は、〈彼ら〉の対抗勢力ということになる。とはいえ、現代中国は漢字の簡略化を進めており、それは表音文字化である。
ならば、昔ながらの漢字を使っている日本こそ、世界で一番清らかといえるかもしれない。
「見える世界と、見えない世界があるんですよ」
男はさらに続ける。
「見えない世界と言っても、そう単純ではない」
その先の話に、私は唖然とした。
それは、一言でいうと「マトリックス世界観」とでも言うもの。
マトリックスとは、図表の意味である。
ワシャウスキー兄弟が監督し、キアヌ・リーブスが主演した映画「マトリックス」を思い出す人もいるだろう。
簡単にいうと、この世界は「プログラムされている」ということ。
私たちは5感という「ブラウザー」を使って、この世界を観ている・体験している。
ならば、「この世界を作っているプログラム」が、この世界とは別の場所に存在する。
さらに、「この世界のプログラム」を書いた人が、どこかの次元に存在する。
そして、私たちの居場所も、実は「この世界」とは別の場所にあって、「このプログラムに参加している」に過ぎない。
「偶然なんてありえないんです。すべては必然。というか、プログラムされていることが実際に起きているに過ぎない」
男の言うことを、すぐには理解できなかった。混乱した頭で、オーバーランゲージしてみる。私は、テレビゲームをイメージした。
○
たとえば、「スーパー・マリオ」。
ゲーム参加者は、「ピーチ姫に逢うため」に、さまざまなステージを乗り越えていく。
そこには様々な障害物があるし、敵がいる。隠しキャラや、秘密の設定があり、ゲーム参加者は、喜んだり、悔しがったりする。
しかし、登場人物もゲームの舞台の環境も、すべてコンピューターゲームのプログラムに書かれていることによって発生することでしかない。
つまり、ゲーム参加者たちは、プログラマーがつくった複数の運命のうちのどれかを選択しているにすぎない。
その様子は、ゲーム参加者とプログラマーの対話と言い換えることができるかもしれないが、ゲーム参加者は、自分の言葉で話すことはできない。
そして、オンラインゲームの場合は、複数のゲーム参加者がいる。
登場人物はプログラマーが書いたそのままではなくて、ゲーム参加者が乗り移っている。
ゲームキャラクターには、プログラマーが作ったものと、ゲーム参加者が乗り移ったものの二種類がある。
その様子は、ゲーム参加者同士の対話と、プログラマーを含めた対話ということになる。しかし、この場合も、ゲーム参加者はプログラマーが書いた言語でしか語ることができない。
「競馬だけじゃない」
無差別殺人など、犯人の動機がはっきりしない不可解な事件があるが、それがマスコミを通じて報道されると、社会不安が起きる。
そんな重大事件が何年かに一度起きている。
秋葉原で起きた無差別殺人もその一例である。
そういう事件は、プログラムが書き換えられることによって起きるのだと、男は主張する。
犯人の意志ではなく、「偶然という必然」が悲惨な事件を起こしたということだ。
インターネットの世界では、クラッカーが存在する。
ハッカーは他人のプログラムを見るだけだが、クラッカーは見るだけでは満足できずに、プログラムが「悪いこと」をするように書き換えてしまう。
もちろん、「悪いこと」とは、私たちの価値観にすぎず、〈彼ら〉にとっては、「良いこと」なのかもしれない。私たちが「犠牲者」と呼んでいるのも、彼らにとっては「生け贄」である。
.
マトリックスの世界にも、クラッカーが存在して、「悪いこと」が起きるように、プログラムを書き換えることが起きているのだという。
なんと、男は、プログラムの世界に行ったことがあり、書き換えられたプログラムを元に戻す作業をしてきたのだとか。
○
私の知らない〈次元〉が存在する。それは〈異界〉。アルタードステーツ。
私は、仏教の「輪廻転生」のイメージに妥当性を感じてきた。そのサイクルの中に、この世界も、彼岸という異界も存在する。漠然とそういうことかもしれないと感じてきた。
世の中には、唯物論者や無神論者が存在する。だが、彼らが葬儀に参列して、宗教なんて嘘っぱちだと暴動を起こしたことなど聞いたことがない。
それは、日の丸否定論者たちが、オリンピックなどの国際大会に出向き、日の丸反対を叫んだことがないのと同じ。ただ言っているだけで、確信がある訳ではない。
つまり、世の中の大部分は、異界の存在を信じている。ならば、あえて私が反論する必要もない。私は現実主義者である。
人間の魂は永遠であり、人間の魂は、輪廻転生を繰り返しながら現世と異界を行き来する。そのプロセスで魂を磨いていき、最終的に尊い魂になることを目指す。
こんな信条を明かすと、オウム真理教の麻原教祖の「私は最終解脱者である」という発言に騙されてしまいそうである。
私のような信条を持った人が多いから、カルト宗教に洗脳された若者が多かったのかもしれない。
しかし、「神秘の世界」は、分からないから「神秘の世界」なのである。
カルト教団は、「見えない世界」を「見える世界」にした。取り込まれてしまった人たちは、「見えない世界を見えるようにした」ことを画期的と思った。だが、「見えない世界が見えるようにした」からこそ、詐欺であり、ペテンなのだ。
宗教の世界と科学の世界を混同・誤解してはいけない。
科学の実験では、再現性が求められる。つまり、早稲田の小保方さんが実験しても、京大の○×さんが実験しても、同じ結果が得られなければ、科学的な証明にはならない。
だが、「神秘の世界」は逆である。
早稲田の小保方さんに最初にやった占いと、二度目にやった占いの結果が同じ結果が出ることはまずありえないし、占いを二度やるという時点で、すでに掟破りであり、占いは無効である。
さらに「神秘の世界」には、「恥じらい効果」というのがある。
「純粋な目的」のための神秘実験は、信頼に足るが、大衆を説得するような「不純な目的」のために神秘実験が行われると、「降りてくるスピリット」がそれに反応して、純正な反応が現れないということがある。
科学と「神秘の世界」はまったく異なる仕組みなのだ。
男はさらにつづける。
彼は、プログラムを修正しただけでなく、クラッカーたちと戦ったというのだ。
「ゴジワニの首をへし折ってやった」
だから、もう大丈夫と彼は言う。
まったく訳が分からない。
まず、プログラムの世界が分からない。
コンピュータープログラムのような英字と数字が混じり合ったような世界なのか。映画「マトリックス」でいえば、作品冒頭の緑色の文字が上から下に流れるシーンのような。
もしくは、映画「2001年宇宙の旅」で、宇宙飛行士が人工知能HALの息の根を止めるために入り込んだ、ハードディスクが上下左右に広がっているコンピュータールームのような領域なのか。
それとも、ロマンポランスキーの映画「惑星ソラリス」に登場するソラリスの海のような「想念の固まり」。実体があるような、無いような・・・。
思索を続けるうちにはたと気づいた。
私が「どんなブラウザーを使って見るか」によって、ビジュアルなイメージは変化する。
コンピューターのアプリケーションソフトの本質は、2進法の記号の集合体である。モールス信号でいえば、「トン」「ツー」という2種類の記号・信号しかない。
しかし、「トン・トン・トン」と3つ連続すると、英文字の「S」という記号になる。「トン・トン・トン」「ツー・ツー・ツー」「トン・トン・トン」と聞くか、「SOS」と読むかは、私がどんなブラウザー(閲覧ソフト)を使うかによって異なる。
男が足を踏み入れた「プログラムの世界」がどのようなものであるかは、分からないが、「意味的なブラウザー」で見れば、「この世界のプログラム」なのである。
○
ルネ・マグリットというベルギーの画家がいる。
パリでアンドレ・ブルドン、ダリ、ミロ、ブニュエルらとも交流したから、シュルレアリズムの画家といえるのかもしれない。
しかし、彼の作風は、オートマティズム(自動筆記)とは異なる。
シュルレアリストの多くは、「作者の自我」が恣意的に作品に関わることを避けようとしていたのに対して、マグリットは「作品世界」と「現実世界」の関係を作品の中で表現しようとした。
彼の代表作品に「イメージの裏切り」がある。
オフホワイトを背景にパイプの絵が描かれている。その下に「これはパイプではない」とアルファベットで書かれている。
このテキストは、ディドロの短編「これは作り話(コント)ではない」をもとに発想されたという指摘がある。
私たちは観客として、「絵画の中の世界」を「もうひとつの世界」として認識している。だから、マグリットに指摘されなくても、二次元で描かれているパイプに火をつけようとも思わないし、タバコの葉を詰められるはずもない。
なのに、画家は、「これはパイプではない」とあえて宣言する。
額縁の上の金のプレートに「これはパイプではない」とあれば凡庸な作品だったが、絵のタイトルを書くべきでない場所、つまり、キャンバスに書かれたことが革新的という見方もあるが、それも適当ではない。
フランス啓蒙時代の哲学者・ディドロの小説を読んだことはないが、小説の本文に「これは作り話ではない」との注意書きがないとすれば、マグリッドの作品は、ディドロを一歩進めたことになる。
ベルギーにあるマグリッド美術館の館長は、マグリッドの不可解な作品に困惑する観客たちに、次のように語るのだという。
「私たちは5感によってこの世界を実感している。知覚器官が感じ取った情報は、電気信号になって神経細胞を伝達し、脳細胞で処理される」
そして、映画「マトリックス」のイメージを思い浮かべさせると、
「この現実は電気信号でしかないのです」
と、観客たちの好奇心を刺激する。
マグリットの絵は、パイプでないばかりか、絵の具の固まりでしかない。
それは、フランシス・ベーコンの作品が、「人間は、肉の塊に過ぎぬ」という表現と同じ系譜にある。
祖父は「実存主義はダメだ」と言い、亡くなった。
どんなに認識を追求していっても、存在を証明することはできない。
しかし、マグリッド美術館の館長は、「信号こそ、存在の本質」と指摘する・・・。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます