第8話ジャズの暗黙知

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 ジャズは、新しいことへの挑戦です。


            原信夫(ビッグバンド・指揮者)


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 中学1年の時、娘が「女優になりたい」と泣き出した。


 英語スピーチコンテストで出会った女の子は、少女雑誌のモデルとして登録していることを知り、刺激されたのだろう。

 とはいえ、彼女の母親は、登録だけで具体的な活動はほとんどない。カッコだけだと嘆いている。


「舞台に立つ前に、私を見て、って心の中で叫ぶんだって。うちの子ちょっと変でしょ」


 容姿に恵まれた女の子の多くは、幼い頃からからかわれたり、羨まれたり、嫉妬される。その結果、屈折する。だから、ルックス以外のことで自分を認められたい。スカウトされるような子に限って、心の中で断りたいと思っている。

 一方、嫉妬した側のスカウトされない容姿の子に限って、用もないのに原宿あたりをうろうろする。


 容姿を原因にいたたまれない幼少期を過ごした子は青年期になり、嫌な思いをしたんだらと開き直って、ようやく芸能界を目指す。普通はそんな感じだろう。


 だからこそ、彼女は素晴らしい。容姿に優れ、自分の身を晒す勇気を持っている。そんな彼女の将来は輝いている。だが、彼女の母親はそれを理解していない。なんとも残念である。


 一方の我が娘。必ずしも容姿に恵まれていない。

 私は娘に言う。


「東宝シンデレラに応募するなら10キロ痩せろ。でなければ、20キロ太って吉本に行って芸人になれ」


 役をもらえなければ、俳優はセリフを言えない。

 役をもらうには、有名人の二世か、チケットを沢山買って周囲にばらまくだけのお金があるか、ルックスが良いか、いずれかの条件を満たしている必要がある。


 娘はどの条件も満たしていない。


 私はインターネットで、さまざまなオーディションを探す。

 そして、書類を準備する。

 最後に応募の為の写真を撮る。


 だが、娘は痩せるでもない。

 かといって、インパクトがあるほどに太るでもない。


 そこで、娘に言う。


「俳優の演技が良いか悪いかは、演出家やプロデューサーの独断によって決まるんだ。だから、俳優として成功するには、幸運に恵まれないと難しい」


 容姿に恵まれた子を除けば、長い期間、児童劇団にお月謝を払ったかどうかで、役がつくかどうかが決まる。

 だが、児童劇団のレッスンなど、学芸会の練習と同じだから、ほとんど意味はない。

 本番の数でしか、演技力は向上しない。

 演技は、本番の経験の積み重ねが磨かれる。しかし、その本番経験がなかなかできない。


 児童劇団に所属すこともせず、映画や舞台のオーディションのエントリーシートを書き続けたが、書類審査すら突破できない。


 唯一の例外は、映画評論家の水野晴男氏の「シベリア超特急」の続編のオーディションだが、それも水野氏の逝去によって頓挫する。


 見かねた私は、


「芝居よりも音楽の方が、客観的に評価してもらえる。音楽で世の中に顔が知られるなら、ドラマや映画に出演することもできるだろう」


 と提案した。

 そして、娘は、世界的なジャズミュージシャンH氏が主催するビッグバンドジャズのワークショップに参加した。


 ○


 ワークショップの入所式。

 H氏は、


「ジャズで一番大切なことは、スウィング」


 と中学生たちに語りかけた。


 だが、入団する中学生たちはもちろん、見学にやってきた保護者たちも含めて、どれほどの人がスウィングについて理解しているのだろうか。


「スウィングしなければ意味がないよ」というスタンダードナンバーがあるくらいだから、スウィングという言葉は大人ならほとんどが知っているだろう。

 だが、スウィングとは何か? と問われて、答えられる人は殆どいないはず。


 老舗音楽番組でも、有名ジャズピアニストのYY氏がビッグバンドジャズ部の高校生の


「スウィングってどういうことですか?」


 という質問に、次のように答えている。


「世界的にみても、スウィングの仕組みはよく分かっていない」


 かなりの音楽ファンであっても、スウィングを説明することはできない。

 素晴らしいジャズの条件がスウィングであって、ジャズを聴いて気持ちが良くなれば、それがスウィングしていること。

 スウィングとグルーヴが同じ意味だということさえ知らない人がほとんど。


 H氏はアーティスト・芸術家である。したがって、言葉でスウィングを教えるような野暮なことはしない。自分の演奏で「スウィングとは何か」を中学生たちに音で教える。

 だが、その場にいた中学生のどれ程が、スウィングを理解できたのか疑問・・・。


「こどもには、素晴らしい芸術を鑑賞させよ」と考える人が多いがそれは間違っている。「素晴らしい芸術」だけを見ていては、どこが素晴らしいのが分からない。

「スウィングしていないジャズ」「ダメなジャズ」を知らないなら、中学生たちはH氏の演奏を素晴らしいと感じることができない。


 それだけではない。

 義務教育の音楽の授業でしか音楽を勉強してこなかった子は勿論、ピアノ教室で音楽を習ってきて、自分は音楽が分かっていると思っている子でさえ、H氏の演奏の素晴らしさが、H氏の凄さが原因ではなく、ジャズという音楽が原因であると勘違いする。

 ジャズを演奏すれば、誰でもスウィングできると勘違いする。


 だが、H氏は世界的な音楽家なのである。それは単に有名というのではない。

 最近、カルロス・サンタナが来日に先だって、FMラジオのインタビューに応じている。


「日本のアイドルミュージックも悪くないと思うよ。でも、良い音楽を聴くことも必要だ。ウェイン・ショーターや、Hさんのような・・・」


 サンタナは世界で知らない人はいない有名なロックギタリストである。

 彼は、良い音楽の筆頭に、H先生の音楽を挙げた。


 ローリングストーンズのミック・ジャガーは、


「勢いや若さでロックすることは誰でもできる。だが、ロールはなかなかできない」


 と発言している。

 彼の言うロールこそグルーヴであり、ジャズでいうスウィングではないか。

 ミックの発言からいえば、プロフェッショナルであっても、グルーヴすることは難しい。


 このように、スウィングも、グルーヴも暗黙知化されている。

 ジャズの教本を何冊も調べたって、グルーヴ・スウィングに関する記述を見つけることはできない。


 NHKのジャズピアノ講座でも、「タンンン・タ」を3連符の「タン・タ」として演奏するのがジャズの特徴だと教えていた。

 ワルツが、「イチ・ニイ・サン」「イチ・ニイ・サン」と続く単純な3拍子ではなく、「ン・チャッ・チャー」「ン・チャッ・チャー」というのが本格的なワルツとでもいうようなことだろう。


 私が調べ、そして推理した結論は、スウィングとグルーブは同じであり、グルーヴとは、音だしのタイミングを拍(パルス)から微妙にずらすこと。

 音だしを遅めにするのが、「タメ」。早めにするのが「クイ」である。


 シンコペーションのように、楽譜に記せるようなタイミングで拍をずらすのは、ジャズの特徴ではあっても、グルーヴ・スウィングではない。


 NHKのジャズ講座の講師のジャズピアニスト嬢は間違っている。

 案の上、彼女の演奏はグルーヴしていない。スウィングしていない。

 音楽大学のピアノ科を卒業した後、ジャズに転向した彼女は、ジャズの本質を理解できない。


 テレビに登場する有名ジャズミュージシャンにしてそうなのだから、世の中のスウィングに対する理解は知れている。


 昔、踊る指揮者として知られるスマイリー小原というビッグバンドの指揮者がいた。彼は指揮をしないで、演奏中ずっと踊っていることで知られていた。指揮しないで踊っているなんておかしいと批判する人もいたが、彼は正しい。

 アインザッツ(出だし)の指示を出せば、あとは演奏者たちに任せればよい。

 スウィングしたいなら、指揮者は邪魔になる。演奏家たちが指揮棒に従うなら、スウィングできない。


 ○


 娘は得意のピアノではなく、ドラム&パーカッションでの入団だったから、不安でいっぱい。

 同期には、ドラムを何年もやっていて自信満々の男の子が複数存在した。


 私は練習場まで娘を車で送るだけ。

 練習から帰ってきた娘の話を楽しみ、そして、パート講師やH氏が言った言葉の意味、ジャズの基本用語を解説した。


 私の一歳年上の姉はロックファン。アイドルに接するような姉のロックミュージシャンたちへの情熱は、思春期の私にとって気持ち悪かった。その気持ちが変容して、私はロックを遠ざけ、ジャズに傾倒する。

 高校で吹奏楽部で入部し、クラリネットからサックスにパートチェンジを余儀なくされたことも、ジャズに対する興味が深くなった理由でもある。


 姉はブリティッシュロックが専門で、ビートルズは早々に卒業して、レッドツェッペリンやピンクフロイド、ディープバープルを聴いていた。姉のヒーローは、なんといってもロバート・プラントである。


 一方の私は、ハービー・ハンコックやフィル・ウッズがヒーロー。

 VSOPの「処女航海」は愛聴盤である。

 ジョン・コルトレーンは難しすぎて分からない。勿論、ミュージカル映画「サウンドオブミュージック」の音楽を変奏した「マイ・フェバリット・シングス」を除いては。


 高校時代の私は、渡辺貞夫を聴きに新宿ピットインに行った。

 新宿厚生年金会館では、カウント・ベイシー、ソニー・ロリンズのコンサートに行った。有名ジャズマンの来日コンサートには、必ずといってよい程、ジャズファンで知られる藤岡琢也(「渡る世間は鬼ばかり」のおかくらの主人を演じている)が聴きにきていた。

 まさに、ジャズの全盛期である。



 フィル・ウッズを新宿厚生年金で聴いて、一週間もたたない頃に新宿ピットインの午前中のライブに行くと、若き日の本田俊之が、フィルウッズのコピイしていたのを印象的に覚えている。ピットインの午前中の部は料金も安く、若手に演奏の場を提供していた。ジャズ評論家・本田俊夫のご子息ということと、サックス奏者ということで、たまたまピットインを訪れていたのである。

 本田俊之と言って分からなくても、伊丹十三の映画「マルサの女」のテーマ曲を作った人といえば、彼がソプラノサックスを吹いているシーンを思い出せるかもしれない。


 だが、私はジャズファンではない。アドリブのためのスケールの本と、ジャズ理論の本を買ってはみたものの、まったく歯が立たなかった落伍者である。ある意味、素直にジャズが楽しめない。素人以下である。


 ○


 娘は、ドラムを派手に叩きまくる同期生たちに圧倒されて、意気消沈。

 もともと自信はなかったが、さらに自信を失っている。


 リズムパターンを正確に叩くための努力で精一杯で、オカズのことを考える余裕などない。オカズとは、ドラマーの腕の見せ所であり、コーラスが終わる部分である。


 ワークショップが半分にさしかかった頃に、保護者たちに練習を公開するイベントがあり、私は出かけた。

 練習場は統廃合で使われなくなった小学校の校舎を使っている。公開練習は体育館に椅子を並べて開催された。


 練習は進んでいくが、娘がドラムを叩く順番はなかなか巡ってこない。

 何曲かが終わって、ようやく娘がドラムのポジションについた。


 曲はデューク・エリントンの「メイン・ステム」。恐ろしくテンポが速い。

 H先生がカウントをとり、演奏が始まったが、上手く行かない。


「俺のカウントを待ってるんじゃダメ。自分の中でカウントの準備をしていて、カウントが始まったら、すぐに始めるんだ」


 さらに練習が進んでいくと、


「お嬢さん。おしとやかじゃダメなんだよね」


 と娘のドラムスティックをとりあげ、と、実際に叩いてみせる。

 H先生はトランペットが専門だがドラムも凄い。

 同じ楽器を叩いているとはとうてい思えない、スパイシーでクランキーな演奏である。


「俺は、見込みのある奴しか、怒らない」。

 それがH先生のモットーである。

 娘の同期の派手なドラミングを得意とする男の子は、


「俺は、怒られたことがない」


 とガッカリしている。だが、その理由が分からない。

 娘は、怒られないほうが良いに決まっているから、複雑な気持ちである。


 H先生は、何を理由に、「見込みがある奴」と「見込みのない奴」を振り分けているのか・・・。その理由は明らか。


「スウィングできるかどうか」。


 ○


 中学生たちは吹奏楽出身者が多く、ジャズを理解していない人が殆ど。先輩たちの中には、「譜面通りに演奏すればよい」と後輩たちを指導する人もいる。しかし、それはジャズではない。


 そもそも、ジャズは、軍楽隊の音楽家が、行進曲に不協和音を加えたり、リズムを意図的に崩すことによって始まったのである。


 吹奏楽やクラッシックと同じ指導では、本物のジャズにならない。譜面に従い、指揮者に従っていたのではスウィングできない。


 ○


 ジャズとはいったい何なのか---。


 私は思う。

 ジャズはモダニズムの典型であり、モダニズムの最終段階に現れた音楽形式。


 日本のジャズ界の重鎮・原信夫氏(シャープ&フラッツ・指揮者)は言う。


「ジャズは、新しいことへの挑戦です。しかし、独りよがりになってはいけません。独りよがりにならないために必要なことは、人間としての深さです」


 一方、ロックは「抵抗」の音楽。ギターをへし折ったり、ドラムを壊すミュージシャンがいる。だが、ジャズではけっしてそんなことは起きない。


「挑戦」とは「進化」を目指すこと。〈進化論〉である。


 モダニズムの要諦は、以下。


 ・個人のオリジナルな創造力。(主観論)

 ・過去の作家や作品を否定する。(進化論)


 ジャズの歴史は、絵画史における印象派以降の潮流と呼応するように変化してきた。

 絵画において、モダンな潮流は印象派以降であって、私たちはその前のアングルやドラクロアの作品にモダニズムを感じることはない。

 かといって、初めて絵画表現で立体を表現したルネッサンス期のジョットまでさかのぼって、モダニズムが始まったとも思えない。


 一方の音楽はどうか---。


 音楽におけるモダニズムのスタートは、平均律の音楽をスタートさせたバッハの時代ではないか。ジャズ・サキソフォン奏者の菊池成孔氏の「東京大学のアルバート・アイラー」には、それを匂わせている。


 一神教による宗教の時代は二元論の時代である。その時代が否定されて、モダニズムの時代が始まった。


 音楽においては、バッハの平均律によって、長調・短調の二元論が始まった。それまでの音楽(グレゴリオ聖歌以前)は、多神教・多元論のようであり、複数の音楽が「転調」によって交わることなどなかった。


 ジャズは、バッハから始まったモダニズムの進化の最終段階である。進化の様子は現代音楽よりも分かりやすい。


 クラッシック音楽が現代音楽の時代になり大衆からの支持を失ったように、ジャズにおいてはフリージャズが同じ役割をした。


 ジャズマンたちはこれではマズいと、フュージョンやファンクを開発した。だが、それらは「進化していくジャズ」ではなかった。リスナーたちには「ジャズが後退している」ように感じられたのである。そのようにして、ジャズの人気は後退していく・・・。


 ○


 中学生たちは、モダニズムの時代が終わったジャズ。ポストモダン時代のジャズを扱っている。

 ジャズの進化はすでに終わっている。とすれば、ジャズにとって一番重要なことは、スウィングである。

 では、スウィングするには、何が必要なのか。それは、堅調なパルス(拍)である。


 派手なドラミングを自慢する同期の男の子は、派手に叩くため、拍を乱している。これではスウィングできない。


「タイム感って、知ってる?」


 ドラムのT先生が娘に言う。

 これがなかなか難しく、H先生のバンドのメンバーもタイム感が狂っているって、よく叱られるという。つまりこういうことだ。


 ジャズミュージシャンは、メトロノームのように正確・一定な時間感覚と、感覚的・感情的な時間感覚のふたつを持っていなければならない。メトロノームのような時間感覚をクロノス時間。感覚的・主観的な時間感覚をカイロス時間と呼ぶ。

 このふたつの時間感覚を同時に持っていることがなかなか難しいのである。

 和音を出す楽器であるギターやピアノであっても、メロディーと和音を一つの時間感覚の上で演奏することが普通である。

 しかし、それではグルーヴしない。スウィングできない。


 管楽器など、単音の楽器の場合はなおさらである。

 娘たちを指導するトロンボーン講師のK先生は、


「ビートをバンドに預けてしまっては、グルーヴできない」


 と指導する。


 ソリストは、バンドの演奏の上にメロディーを乗せるというイメージではなく、バンドのメトロノームと自分のメトロノームをシンクロ(同期)させて、その上にメロディーを乗せる感覚でなければ、グルーヴできない。スウィングしない。


 H先生に叱られるに値するほど娘が見込まれたのは、自分のメトロノームを乱さなかったことに尽きる。というか、メトロノームを崩さないことを心がけている結果、派手なドラミングができないのである。


 一拍を8つに刻むことができない娘は、4つに変更してもらう。情けない話だが、ジャズにおいて何が重要かが分かる。


 スティーブ・ガッドという有名ドラマーがいるが、ある時、オカズをひと叩きだけでプレイしていることに驚いた。

 まさに名人のなせる技である。


 ○


 ジャズは、初期のニューオリンズジャズ、ディキシーランドジャズから、グレン・ミラーを経て、ベニー・グッドマン、デュークエリントン、カウントベイシーと続いていく。

 小編成のコンボジャズでは、チャーリー・パーカーのビーバップから、ジョン・コルトレーン。

 モダンジャズ。

 そして、マイルス・デイビスのクールジャズ。さらに、コンテンポラリージャズから、何でもありのフリージャズへ。


 フリージャズでは、「規則や法則がないのが規則」「構成」も否定される。しかし、フリージャズでも、絶対に破ることができない規則がある。それは、「始められた音楽は、必ず終わらなければならない」こと。

 音楽において終わることは「ケーデンス(終止形)」と呼ばれ、きわめて重要である。

 フリージャズでは、終わることが難しいために、長々と演奏が続くことが珍しくない。「何でもあり」のフリージャズにも、「終わらなければならない」という絶対的な規則が存在する。


 現代音楽のジョン・ケージの「4分33秒」という無音の音楽や、美術館に便器を持ち込むマルセル・デュシャンのような〈メタ表現〉は、ジャズではありえない。


 ジャズは、単純な形式から、次第に複雑化していき、最後には混沌として、進化の余地がなくなる。それがモダニズムの終着点。

 ポストモダンの時代のスタートである。


 しかし、中学生たちは、ジャズの進化を同時代的に経験していない。ポストモダンなこどもたち。「戦争を知らないこどもたち」呼んでもいいのかもしれない。


 そして、H先生はスウィング・グルーヴを言語化しない。彼は芸術家であって、教育者ではないから当然のことである。

 だが、そのことが、一般におけるジャズの理解を妨げており、グルーヴしないジャズミュージシャンをサバイバルさせている。


 結果、味気ないジャズがあふれている。果たして、そんな日本で良いのだろうか。


 YYというジャズピアニストは、ジャズに取り組む高校生たちに、「スウィングは世界的にみても、解明されていない」と言った。そして、出だしの音が合った時の爽快感や、少しハシる感じが、スウィングに近いと指摘する。


 ジャズピアニストとして日本で一番知られていると言っても、けっして過言ではない彼が、スウィングについてそんな理解とは考えられない。彼はエッセイストでもあり、何冊も本を出している。私は、そんなことはありえないと思う。


 コンピュータによる自動演奏には、「グルーヴ・クオンタイズ」という設定があり、人工的にグルーヴを発生できる。グルーヴの仕組みはすでに解明されている。

 さらにいえば、コンピューターによる自動演奏は「打ち込み」と呼ばれ、プロの音楽シーンでは珍しいことではない。一流のプロなら「グルーヴ・クオンタイズ」という技術を知らないとは考えられない。


 そう考えながら、彼のピアノ演奏を聴いていると、グルーヴしていないことが分かる。

 グルーヴについて解明されてしまうとジャズマンとしてサバイバルできない。だから、あのような発言になったのかもしれない。


 H先生のご子息はベーシストだが、彼は、日本のライブとアメリカのライブの違いを次のように指摘する。


「アメリカのライブでは、まず気持ちの良い、ミディアムテンポの曲を最初にやってから、次に速いテンポの曲をやる。でも、日本のライブでは、最初っから、速いテンポの曲をやるんですよね」


 ニューヨークで育ったH先生のご子息は、日本との違いを指摘している。

 この差がどこから来ているのか。

 それは、タイム感の共有の有無に違いない。


 つまり、タイム感が重要なアメリカでは、まずミディアムテンポで、タイムを共有してから、次に行く。

 しかし、タイム感という概念がない日本では、刺激を求めて、最初から速い曲をやるのだ。


 ○


 娘のビッグバンドでも、速い曲がかっこ良いと考える人が多い。

 スウィングが分からなければ、当然のようにそういうことになる。


 だが、クラッシック音楽で考えてみれば、それが間違いだと分かる。

 幼い頃は、「剣の舞」など速いテンポの曲が魅力的だった。しかし、それらに魅力を感じるのは、せいぜい小学生まで。大人のクラッシックファンで、速いテンポというだけで、楽曲に魅力を感じる人は皆無である。

 娘がドラムを叩く「メイン・ステム」は、そういう人たちが選曲したのである。


 ○


 祖父だけが、モダニズムの終焉に気がついたのではない。

 ほんの少し、あたりを見回してみれば、モダニズムの時代はすでに終わっていて、この世界が虚無化していることとが分かる。理解できる。


 祖父は、そんなありふれたことを言っていたのかもしれない・・・。

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