第7話 〈主観〉を誇る人たち
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私は、スピーチのプロではない。それが私の誇りである。
英語スピーチコンテスト・審査委員長
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祖父の言葉、「この世の中では、君が思いもしない恐ろしいことが行われている」とはどういうことか。
告別式で再会した学生時代の友人・小田切に陰謀論の世界を知らされた私は、激しく知的好奇心を刺激された。
それまでも私は〈不可知論〉を否定していなかった。
ヨーロッパ人のように、「自分が発見していない」からといって、「アメリカ大陸は存在しない」なんてありえない。私の知らない世界は遥かに広がっていると認識していた。
だが、実際にその世界に一歩足を踏み入れると、新たなる地平が現れる。そして、新たなる疑問が雪崩のようにわき起こった。
ソクラテスは、「私は、自分が知らないということを知っている」と、自らの優位性を説いたという。だが、古代の賢人の言葉は、自省の言葉ではなく、極めて具体的に「知らない世界」を把握していたに違いない。
それは、ある意味、新倉イワオ氏が紹介し続けた「あなたの知らない世界」なのかもしれない。
「知っている世界」「知らない世界」。このふたつで、世界は成り立っている。
祖父にとって新たなる地平は「実存主義が終わった後」の世界。それは「ポスト実存主義」の時代と言ってよいだろう。
ニーチェの「神は死んだ」という発言の後、神のいた場所には「思索する人間(コギト)」が居座った。
しかし、モダニズムの時代が終わると、「思索する人間」はその座から引きづりおろされた。
引きづりおろした主体こそ、祖父自身。彼が学問に誠実であるが故の所作である。結局のところ、実存主義の究極の奥まったところなど、専門家にしか伺い知ることはできない。その構造は、アインシュタイン博士が「相対性理論」を発表した当時、理論が理解できる人が世界に五人しかいなかったというのに等しい。しかし、博士はノーベル賞を受賞している。
私は祖父の書庫で数万冊もの蔵書を見たが、彼の思索の膨大さを伺い知るだけで、〈実存主義〉の是非など、思いもつかない。その書籍の量によって、彼の思索のボリュームをうかがい知るのみである。
だからこそ、祖父の「実存主義はダメだ」の一言は衝撃的だった。膨大な書籍の量は、祖父の徒労の証明でしかない。
○
ひとつの時代が終わりつつあり、新しい時代が始まりつつあることは、凡庸な生活者であっても誰もが感じていることだろう。
終わりつつある時代とは、バブル経済の終わりの終わりであり、それを引き起こした資本主義の終わり。戦争で焼け太りをするアメリカ帝国主義の終わり。
だが、その終わりつつある潮流に乗っている人は、全身全霊をかけて、終わることに抵抗する。だが、沈みつつある船に居る人の殆どは、船底に穴が開いていることに気づこうとしない。激しい嵐だから、水しぶきが上がっているとしか思わない。
もし、「沈むから下船しましょう」と話しかけようものなら、猛烈に反発してくる。
もっとも、船を降りたからといって、安全な陸地があるわけでもないから、そんな彼らも間違っているとはいえない。
私は高校生になった頃、フランスでは記号論という学問があることを知る。その後、表象、構造論、脱構築。それらをまとめる言葉がポストモダンであると知る。
それらから、「学問は、さらに深部を目指す」。または、「学問は多様化している」との印象を私は持った。うかつにも、それらがいままでのアカデミズムを否定しているなど思いも寄らなかったのである。
それから十年以上の時が経ち、ようやく、脱構築が「ギリシア以前の学問に戻ること」であると気づく。
「学問が多様化している」のではない。「学問が、テキストを否定しにかかっている」「それまでのアカデミズムを否定している」とようやく理解するようになった。
ポストモダンは、Yes,but.や Yes,and の学問ではない。
No, But の学問だったのだ。
○
モダン(近代)。
それは、宗教の時代の後にやってきた。
〈近代〉は科学の時代だった。では、「科学の時代」は〈近代〉と運命をともにして、終わっていくのだろうか。
原子力発電所の事故が発生し、科学の時代が危機に陥っている。だからといって、宗教の時代が復活するとは思えない。
啓蒙主義の時代があり、蒸気機関が発明され、重工業、石油化学工業、電子工業・・・。
今後、情報工学の時代はさらに進化し、遺伝子工学、ナノテクノロジーも革新していくにだろう。
とはいえ、人間の根源的な問い〈存在〉を、モダンな時代が答えてくれないと分かった今、何が教えてくれるのか。
どんなに科学の進歩したとしても、〈存在〉という人間の根源的な問いに、科学が答えてくれるとは思えない。
祖父は実存主義の研究者だったが、その根本はキリスト者であり、キリスト教の研究者。その彼が「実存主義はダメだ」と嘆いたのだが、それはキリスト教にも及ぶのか。
「人生、不可解なり」との遺言を残して華厳の滝で自殺したエリート高校生の時代は遙か昔である。あれから百年以上が経ち、そのような問いに煩悶する青年を最近見ない。
今思えば、明治時代に突如やってきた旧制高校的な世界観が、それまでの仏教的な世界観を崩壊させたため、考えることにまじめなエリート高校生は〈存在〉の確信が持てず、自死を選んだのではないか。
それを青春期にありがちなうつ病と葬り去っていいのか。
旧制高校的なアカデミズムが人間存在の根本的な問いに答えないことを遠因と考えたジャーナリストが「時代の最先端の出来事」として報道したのかもしれない。
どちらにしても、藤村操の死は、夏目漱石、岩波書店創業者など多くの文化人を深く傷つけた。明治初年、西欧の学問と出会った人たちにとって〈存在〉の問題は、いつも脳裏を離れなかったに違いない。
そのような時代の延長線上で、祖父は〈実存主義〉に答えを求めたのではないか。
しかし、平成の今はどうだろう。
「ここはどこ?」
「私は誰?」
という〈存在〉の根本的な問いに、誰も答えない。
哲学も、宗教も、「どうやったら心のバランスをとりながら、上手く生きていけるか」そんなことばかりを扱っている。
今、根本的な問いに答えるのは、怪しげな宗教たちだけ。それらは、世界宗教の本道からいえば、極めて異端であり、スピリチュアリズムを大胆に取り入れている。
多くの人が「知らない世界」「知り得ない世界」を、「(私だけが)知っている」と主張している。
しかし、「(特定の)私だけが知っている世界」は、「(特定の)私だけの世界」であって、「(他の誰かにとっての)世界」であることを保証しない。それを一般化しているのだから、危険極まりない。
祖父は世界宗教の専門家であり、当事者だった。
つまり、「信じる側」ではなく、「信じさせる側」。その立場で、彼が何を思索したのか。
私は、祖父の書庫の中に、異端派や神秘主義系の書物があったことを覚えている。それらはかつての禁書であって、一般信徒は読むことが許されなかった。
教義と異端・神秘主義のぎりぎりのところを祖父はどのように思索していったのか。
処女懐胎、死後復活という科学の常識からいえば、ありえない物語を世界中で何億もの人が信じている。そのことは、人間のどのような心の有り様を明かしているのか。
「信じさせる側」は、それを事実としていたのか。もし、事実なら、「信じることなど、必要はない」のに。
○
最晩年の祖父はモダニズムが終わったことを確信する。
だが、世の中の人のほとんどは、モダニズム(近代)が終焉したことに気づいてなどいない。
モダニズムが否定されるなら、資本主義も否定される。モダニズムが否定されるなら、個の主観が否定される。それが都合が悪いと感じる人が世の中には多く存在する。
繰り返しになるが、モダニズムの指針は以下の二つである。
・個の主観がすべて。 vs.客観。
・すべては進化する。 vs.文化相対主義。
主観主義は、芸術の分野には今もびこっている。
作品は、「芸術家のオリジナルな個性の表現」という芸術論が教育界を中心に根強く残っている。
しかし、美学者・青山昌文氏は、それら近代主観主義の芸術論でしかなく、その時代はすでに終了していると、指摘する。
この200年を除けば、アリストテレスの〈ミーメーシス芸術論〉こそが普遍的であったと断じている。
〈ミーメーシス〉とは、模倣・再現という意味である。
芸術作品は、自然の模倣であり、過去の作品の模倣である。
過去の作品を、創作される時代に合致させるとともに、さらにインパクトを強化して再現することこそ、芸術家が目指すべきことである。
芸術家は「自分の個性」を表現するために創作してはならない。
芸術家の創作は「この世界の本質」を表現するためにある。
芸術家は自分の肉体や精神をヨリシロにして、「この世界の本質」=〈存在〉を作品で表現することを究極の目的にする。
「自分の個性を表現する」のがモダニズム芸術論であり、「この世界の本質」を表現するのが、ミーメーシス芸術論である。
○
イタリアのルネサンスの芸術家たち。
レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロやラファエロは、ミーメーシスの芸術家。
彼らは、それぞれがお互いをライバル視していたことは事実だろうが、その画風を見れば、お互いが尊敬しあいながら、ルネサンスの芸術を盛り上げていったことが理解できる。
それぞれのスタイルに特徴はあるが、それが他の誰かの作品を否定していない。
それから数世紀経ったフランスの印象派はどうだろう。
ルノワールの印象派は柔和な表現だが、ゴッホの印象派は攻撃的である。一方、ゴーギャンはベタ塗りで、ルノワールやゴッホと別世界を築いている。ほとんど同時期と言ってもよい時間的な近さなのに、画風はお互いを否定する。
さらに驚くべきことは、同じ画風を共有する画家はほとんど存在しない。その様子は、彼らが、誰かに「似ている」と指摘されることをひどく恐れていたのではないかとイメージできる。
○
理系の学問では、主観を排し、客観的であることが研究者の常識・規範である。
だが、芸術に限らず、文化系の学問のほとんどは、〈主観主義〉の支配下にある。理系の学問の規範が文化系の学問に滲んできてもよいようなものだが、そのような現象はほとんどない。
理系学問の分析手法が文系の学問に取り入れられること珍しいことではないのに、理系の学問の根本にある〈客観〉性は唯一例外だった。
文化系の進歩的な学者は論争を避けるためか、続々とメタな領域に進出し、モダンなアカデミズムは置いてきぼりにされる。
サルトルとレヴィ・ストロースの議論も、そのひとつだったのかもしれない。
そして、認知科学や情報工学が進化している現在においても、その状況がまったく変わらないのは現代の異様な風景といえる。
1980年代に盛り上がったポストモダンの流れが拡散した今、アカデミストたちの大部分が、そのような潮流がまるで無かったかのように振る舞っているのは、まったくもって恥知らずである。
小田切と話し込んだ喫茶店のテレビに映っていた元東京大学教授N.S氏は、その一人である。
○
娘は中学三年になると、英語スピーチコンテストで東京都代表になり、全国大会に進んだ。しかし、全国大会の準決勝大会で敗退する。
私はパーティーの前に行われた決勝大会を見学し、さらに、決勝のあとに開かれた審査委員長の懇談会にも顔を出した。
その理由は、審査結果に納得がいかなかったからである。
上位スピーチは、難病やいじめを扱った「お涙頂戴」ものであり、新しい時代を切り開くようなメッセージ性は皆無だった。
私の英語のヒアリング能力には限界がある。もし、私のヒアリング力が万全だったら、納得がいかないというレベルではなく、激怒していたに違いない。
娘が友達になった、ヒアリングに堪能な女の子は、「どうして悲しい話ばかりが賞を取るの?」と不思議がっていたという。
懇談会で、審査委員長の話を聞いて私は唖然とした。
なんと、長年にわたって重職を担ってきた彼が「私は、スピーチのプロではない」と公言したのだ。
彼は、「プロフェッショナルでないこと」にプライドを持っている。何ものにもとらわれないで、素直な自分の心にしたがって審査をすると、強調する。
彼は、きわめて素朴な〈モダニスト〉であり、原理主義者である。
だが、彼の言葉は、自分の生徒たちを全国大会に送り出した英語教師たちを失望させた。
当然のことである。彼らは、来年も優勝者を出すために、「評価基準は何か」を知りにきた。
しかし、そんなものはない。その日の私の気分(何物にもとらわれない純粋な主観)によって、順位が決定するのだ。
審査委員長の〈モダニズム〉に妥当性はない。
何故なら、同様なことを英語教師がしたら予選突破や、全国大会での上位進出は期待できないから。「英語教師の気分」と「審査委員の気分」が合致することなど、ほとんどありえない。
教員なら、指導において〈公平性〉をつねに考えている。えこ贔屓はあってはならない。しかし、審査委員長は〈主観主義〉を錦の御旗にして、えこ贔屓を堂々と行う。
英語教師たちの落胆は深い。なぜなら、英語スピーチコンテストへの準備は、ただ一人の教師ではすまないから。
参加者の選定はもちろん、テーマの選定から、日本語文章の作成。英訳、添削、パフォーマンス指導など、複数の教師の協力が必要だし、出場者を学校代表として送り出すのだから、出場前の度胸試しとして、全校生徒の前で発表する機会もあるだろう。
同僚教師たちを納得してもらえなければ、協力は得られない。
さらに生徒の両親や、生徒の通っている英語塾の先生がアドバイスすることもあるわけで、彼らに対して納得のいく説明をするために、英語教師たちが審査委員長を真似て〈主観主義〉を貫くことなど、不可能。そんなことをしたら袋叩きに会う。
だが、世の中を見渡してみると〈主観主義〉・「審査委員たちの主観批評・印象批評」で優勝者が決定することは珍しいことではない。
小説やシナリオの懸賞でも、評価基準が分からない場合がほとんど。応募者たちは、審査委員の過去の作品から、評価基準を想像するだけである。
芥川賞・直木賞にしても、審査員の主観批評によって受賞作が決定する。
ただし、文芸誌に各審査委員が講評を公開するとともに、受賞作の結果次第で審査委員を辞退する委員もいる。
自らの進退をかけた主観批評なら、許されるような気もするが、評価基準が明確でないことに変わりはない。
○
ところで、審査委員長が一番気にしていたのは、「指導者の関与」を感じさせないスピーチだという。
しかし、指導者が関与しないで、優勝に値するような日本語原稿の作文ができるはずはないし、英文作成も同様である。
そのことは、「指導者の関与」を感じさせないような不完全な原稿、不完全な英語が上位に選出されるということを意味する。
それが事実なら、英語教師たちは、「上位進出をめざして」、わざと「不完全な原稿」「不完全な英語」にしなければならない。
このような矛盾を、審査委員長は一切イメージできていない。
さらに驚いたのは、受賞パーティーの場で、優勝した子に英語でインタビューをしたいと、審査委員長が懇親会で発言したこと。
英語スピーチコンテストは、日常生活で英会話に接する機会の少ない日本人が、一生懸命勉強して、英語のスピーチをつくりあげて、発表する。そのためのコンテストである。日常的な英語力を審査するなら、別の大会があってよい。
本来、教育とは、努力を評価することである。
足の速い子が運動会で一等賞を取ったからって、教育的な意義はない。
足の遅い子がビリになっても、全力を尽くす。そこにこそ教育の神髄がある。
実は、上位進出者の中には出場資格を満たしているものの、日常的に英語を話す環境にある子が存在する。
非英語圏。たとえば、アジアの国などでの海外生活体験がある人や、非英語圏の同居者がいるが、実際には英語でコミュニケーションをしていた子は、出場条件を満たす。
帰国子女は日本語がおかしかったり、価値観が違うので、クラスで浮いてしまうなどいじめの対象になりやすい。彼らが劣等感を克服するために、英語スピーチコンテストが利用されるという複雑な事情もある。
だが、そのような複雑な事情を審査委員長は一切考慮しない。
先入観にとらわれないために、本来は考慮しておくべき情報を彼は拒絶しているのだ。
ラジオ・テレビの英語講座で有名になった審査委員長。しかし、彼とて英語をマスターできたのは、海外生活である。
英語スピーチコンテストは本来、ありふれた日本の環境の中で、英語を勉強する子こそ、評価すべきである。
自分が印象批評をしていることを一切反省しない審査委員長は、英語教師たちの憤懣に我関せず。審査委員長も、英語教師も、モダニズムの時代が終わったことなど知るよしもない。
○
きっと、審査委員長が人生の最期に遺す言葉は、祖父のような「自らの人生」を否定するものではなく、「自らの人生」を讃美するものに違いない。
そこにおいて、「実存主義はダメだ」とつぶやいた祖父を私は誇りに思うし、研究者としての人生を貫いたと拍手を送りたい。
一方、審査委員長が死ぬなら、それはまさに一つの時代の終わりであって、それ以上でも、それ以下でもない。
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