第4話 送り人


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人間は、不完全な死体として生まれる。


         寺山修司 (劇作家)


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祖父の五十日祭に、私と妻と娘の三人は参列した。


キリスト教の五十日祭は、仏教における四十九日のようなもの。映画の中の西欧では、葬儀というと土葬される墓地に関係者が集まるが、火葬が一般的な日本では、五十日祭として納骨される。


妻の叔父の件があったから、私の祖父の五十日祭でも、同じようなことがあるのではないかと、私は期待した。


だが、何も起こらなかった。


妻曰く、理屈っぽい人は、霊的な能力を封印している人が多い。

バカは死ななきゃ直らないとの俗諺があるが、実際は、バカは死んでも直らない。祖父のような現世主義の人が彼岸に行った場合、混乱してしまい、此岸とコミュニケーションを取る余裕などないのかもしれない。


彼に限らず、熱心に宗教を信じた人も、実際に死んでみると、教えられたプロセスと違うことに面食らうのだとか。


説教、納骨、献花が終わると、遺族たちは墓地を離れ、場所は料理屋に移る。

食事も一段落つくと、酔いも混じって、歓談となった。



「今日は、どうもありがとう」


祖父が、ビールを継ぎに来た。


「こちらこそ、本葬にしか行けませんで・・・」


「祐一君は告別式に参列してくれたのか」


そういえば、伯父の姿を本葬で見ることはなかった。一体どういうことなのか。


「父の死を使って、何かをしようとする人たちがいたんだ。彼らは得体が知れない。義母も恐れていた」


祖父の最期を看取った連れ合いは、伯父が社会人になった後に、結婚した人。後妻だから、伯父もあまり親しくはない。伯父も、祖父の最期を看取っていない。


「私も面倒は嫌だ。だから、義母と相談して、早々に火葬して、内輪だけで葬儀を行ったんだ」


「・・・そうなんですか」


「だから、告別式は何も関わっていないんだよ」


彼らは伯父に同意して、単独で告別式を行った。

遺族がいない方が、自分たちの思い通りのことができる。そういう判断かあったもしれない。


祖父の最後の言葉、「この世の中では、君が思いもしないような恐ろしいことが行われている」。


それは老人の誇大妄想・感傷ではなく、具体的な恐怖をはらんでいたようだ。


彼らとは、具体的に誰なのか。


私に見えているのは、祖父が所属していたアカデミズムの団体・組織でしかない。


それが、具体的な恐怖を伴って存在するとは、どういうことなのか。



中学生の娘にとって、祖父の葬儀は初めての体験だった。

お経を聞いていても意味はまったく分からない。だが、牧師の言葉は、子供にも理解できる。


説教は本来、死者を弔うためのものであろう。死者と救世主(メシア)がどう関わっているのか。その関係を、仏教徒の娘に理解できないのは当然である。


説教の目的は、隣人の死に際して、宗教の意味や価値を強いインパクトを持って、信者たちに定着させるためのもの。遺族たちにとって不愉快である。


宗教の意味も価値も知らない娘にとって、墓地での説教は違和感を持って迎えられたようだ。


「宗教って、どういうこと ?」


多神教の私たち日本人に、一神教が理解できないのは当然である。

娘の素直な問いかけに、私は少し考えて、次のように答えた。


「お前はどうしてこの世に存在するんだ?」


「ママのお腹から生まれてきたからだよ」


「ママのお腹から生まれたのがお前だとしたら、ママはどこから生まれてきたんだ?」


「おばあちゃんのお腹から生まれてきた」


「じゃ、おばあちゃんは?」


「おばあちゃんのお母さんから」


「じゃ、その、おばあちゃんのおかあさんは?」


「・・・」


「ずっと考えていっても、答えは出ないよね。その答えを出してくれるのが、宗教なんだよ」


「・・・」


「そして、何故、この世の中があるのかも、宗教はこたえてくれる」


娘に分かりやすく説明したつもりだが、果たして、そんな単純なことなのだろうか。救世主(メシア)は何故、存在するのか。そのことを私は答えていない。


結局のところ、実存主義が〈存在〉を証明できなかったように、宗教も〈存在〉を説明できない。

宗教が信者に「信じること」を強要するのは、そういうこと。

ならば、人間は〈神秘〉の世界をただただ漂うしかない。



私の考えはひとつの立場であり、思想でしかない。したがって、娘がそれを信じるかどうかが、すべてを決める。

一方、霊能力のある妻は、実体と経験を伴っている。娘が信じようが信じまいが、事実である。


「宗教なんてお布施を集めるためだけにある。だから、詐欺と一緒。お坊さんや牧師さんなんか必要ないって言う人がいる。だけど、それは間違ってる」


「どういうこと?」

娘は妻に問いかける。


「交差点に制服を着た警察官がいると、みんなピリッとして、交通事故は起こらないでしょ。それと一緒で、派手派手しい袈裟を着ているだけで、集まったスピリットたちは、人が死んで、魂がこれから彼岸に旅立つことが、はっきりと分かる。それって、魂が成仏するためにとっても重要なの」


「たとえ霊能力がなくても・・・?」


「そう。無くてもいい」


霊能力を煩わしく思っている妻には、意外にも聖職者たちへの配慮があった。

「墓地や遺骨に囲まれて過ごしているんだから、霊能力があったらうるさくて暮らしていられないでしょ」


家族は宗教団体のようなもの。私は納得する他ない。



話しは遡るが、結婚して間もなくのことである。義母が亡くなった。

そして、義母の残した遺産を巡って、相続のための裁判が行われることになった。当時のマスコミは、宜保愛子の大ブーム。

妻は、兄弟の諍いの原因が、先祖の因縁にあるのではないかと考え、「あなたの知らない世界」で知られる新倉イワオ氏に相談を持ちかけた。


新倉イワオ氏は放送作家であり、「笑点」の企画者としても知られるが、日本心霊科学協会の理事でもあった。

毎年、お盆の時期になると、日本テレビは「あなたの知らない世界」という特集を組み、「亡くなった魂たち」のこの世でのふるまいについての再現ドラマを製作した。

局員が夏休みを取るためではあったが、幽霊をホラーとして扱わない画期的な企画だった。


新倉氏は、宜保氏と親しかったが、大忙しの彼女に会わせることはできない。そこで、信頼できる霊能者が紹介されたのがN先生である。


N先生は妻に逢ったとたん、その霊能力を認めた。

妻は、そのことでN先生の偉大さを痛感する。

なまじっかな霊能力の人は、霊能力のある人を霊視することを嫌がる。何故なら、自分の能力を見透かされるから。それを厭わないN先生は信頼に足る。

散髪と一緒で、どんなに優秀な理容師であっても、自分の髪を切ることはできない。霊能者も同様である。

N先生に霊視をしてもらうと、さまざまな霊が妻に働きかけているのだという。しかし、それはどれも、「実現不可能なこと」であって、要領を得ない。


N先生の勧めにしたがって、私と妻は縁のある墓地を訪ね歩いた。

伝え聞く墓地ばかりではない。供養していない墓地が原因になっているのかもしれないと考え、ペンデュラムの力を借りて、墓地を探したこともある。


ペンデュラムとは、振り子である。

その振り子に語り掛けることによって、静止した振り子が回り始める。

右回りがイエス、左回りがノー。

このような占いには日本古来のものがあるが、あえて名前は書かない。動物霊によるものであり、低級霊がつかさどるから、その答えが正しいにしても関わるべきではない。

一方のペンデュラムは、霊能力のある人には、敏感に反応するが、そうでない人なら、それほどでもない。

妻と娘は東京タワーの土産物屋の中にあるペンデュラムのショップを訪れたことがある。妻が振り子に念じたとたん、売り場のペンデュラムの殆どが大きく回りはじめたので、何も知らない店員は眼を丸くしたのだとい。


結局のところ、妻は勿論、N先生にも、決定的な因縁を見つけることができない。新倉先生に番組で取り上げてもらうような、ドラマチックな出来事は起きなかった。


そして、N先生は、私たち夫婦に施餓鬼をすすめた。


施餓鬼とは、寺院などで、お盆に一般的に行われる行事である。

施餓鬼は餓鬼に施すと書くが、自分の先祖ばかり供養をしていると、他の魂たちが嫉妬する。そこで、「見ず知らずの魂たち」のために供養するのである。


N先生の流儀では、干潮の時間を見計らって、川ににおにぎりを流す。雑念が入るといけないので、人から話しかけられても、答えてはいけない。結果、1日に干潮は2回あるから、深夜の時間帯におにぎりを流しに行くことになる。

おにぎりを流している時と勿論、出かける前と帰った後に仏壇で般若心教を唱える。

さらに、般若心経を写経するのだから、かなりの手間である。


N先生に見えているものと、妻に見えているものは、ほとんど同じである。そのことは、私には見えない世界が存在していることを証明している。その手がかりは嬉しかった。


だが、スピリチュアルに近い宗教にあっても、「現世利益」はご都合主義でしかない。とすれば、私たち夫婦の行為は、けっして誉めたことではない。


医者に行けば、風邪は三日で治るが、医者にいかなければ、風邪は三日かかる。

先祖供養、施餓鬼、さらに、放生会を行った私の感想は、そんなところ。

神仏は敬えども、けっして頼らず。宮本武蔵の言葉である。


放生会とは、生き物に対する供養の行事である。

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