第3話

アパートの前にある自販機で、このご時世に100円で買える缶コーヒーを買い、上着のポケットに入れる。駅に着くまではまだまだ肌寒い。それまでの、寒さ凌ぎ。

白い息を吐きながら出町柳を抜ける。

三条大橋で鴨川縁に降りそのまま自転車で駆け抜ける。12月の京都は、まだまだ日は上らない。

七条大橋で塩小路通りに上がり、京都駅方面へ。通い慣れた通勤路。


通勤時間のホーム整理のアルバイトは、元国鉄職員だった祖父の影響だった。都会に出るなら、一度は通勤ラッシュをさばいてみたかった。右往左往する人の流れを操り、鉄の生き物に食べさせて行く。


その日のホームには雪がちらついていた。

僕の地元は雪が降らない。珍しさを感じてる最中、目の前に女の子がたつ。

一瞬、目を疑った。きっと雪のせいだ。天使が舞い降りた、なんてキザな考えが浮かんだ。


「駅員さんすみません。さっき、人にぶつかって、線路に本を落としてしまいました。どうしても先を急ぐので…」


そう言い残し立ち去ろうとする彼女に思いがけず声をかけてしまう。

「連絡先を聞いてもいいですか?本、拾えたなら、連絡します」


彼女が渡して来たのは、名刺だった。彼女の名前でも連絡先でもない。

【出町柳 宇宙堂】とかかれた店の名刺と店の連絡先だったのだ。


その後、本は拾えたが、溶けた雪と鉄粉のせいで読めるような状況ではなかった。



大学の講義が終わった後、本屋で彼女が落とした本と同じ本を見かけた。

その時はやましい気持ちなど幾分もなく、ただの好奇心だった。その本を購入し、出町柳へと自転車を走らせた。

店はなかなか見つけられず、周りが暗くなる5時をまわっていた。

階段を上がり、入り口の扉を開ける。ただの喫茶店。ただ、家具が古いだけでなく照明や窓ガラスの1つ1つが古く輝きを放つ。まるで日の落ちてすぐの空をそのまま持って来たような、濃紺のカーテンと絨毯に包まれたその店内は、まるで異世界だった。


「駅員さん?ですね。わざわざすみません。連絡を下さったらよかったのに」

そう言いながら駆け寄る彼女は、今朝と違い真っ白なエプロンをしている。

「すみませんが、コーヒーをいただけませんか?」

案内された窓側の席からは出町柳駅に吸い込まれては吐き出されて行く人波が見える。

コーヒーを持って来た彼女に買ったばかりの本を差し出す。

「今朝のは、ごめん。もう読めなくなっていたんだ。代わりに同じものを買って来た。もらってくれませんか?」

ニッコリと笑い受け取った彼女は本を受け取るなり奥に下がって行った。

人波はサラリーマンが増えて来たような気がする。京阪電車から乗り換えるのだろう。

「お礼です。今日は、もうお客さん来ないと思うので、ゆっくりして行って下さい。自慢になるのですが、自家製なんです。」

そういって真っ白に縁が紺と金色に彩られた皿に乗るのは、まるで月のような黄色いレモンケーキだった。その横には…


さっき、僕が渡した本。


不思議そうに顔を見つめると、彼女は言った。

「もし、読んだことがあるならすみません。ないなら…感想きかせてくれませんか?」


これが、彼女との出会いだった。

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