第2話
その店は、本当に店なのか実に怪しかった。
階段下に小さな掛け看板があるだけなのである。
彼の後を少し時間を空けて追いかける。
いけないことをしている罪悪感と知らない世界に足を踏み入れるワクワク感。例えるなら、昔実家の近所の家に住んでいた犬が見たいために、内緒でご近所の家の庭に忍び込んだ時の様な。息苦しいものを感じた。
二階に上がると狭い通路にはそこかしこに荷物や古めかしいダンボールが積み重ねられ、そのどこかに店があるなんてわからない様な奇妙な光景だった。けれど、通路を進み数メートルもしないうちに、あることに気がつく。真っ暗な左の壁と違い、キラキラと光を放つそれは、暗い通路に面した窓。窓にしては小さめな、切子硝子のような窓ガラスの向こうには、席に座る彼の横顏が見える。
【宇宙堂】
その店の名前の通り、まるで彼と私は今、違う世界にいるような気がして仕方がない。
京都は何度も来ている。彼の母校があり、友達もたくさんいる。修学旅行でも来たことがある。そんな彼とは、もう三年の付き合いで結婚だって控えている。なのに、なぜ、こんなに虚しいんだろう。私の知らない彼が、そこに居る。
すると、下から階段を上がる音が聞こえた。
私はとっさにその通路をそのまま奥へと進んだ。2メートルほど進むと入り口が見えたがそれよりも奥へ。積み重なった真っ暗なダンボールの森へ身体を忍ばせる。
嫌な予感は当たってしまった。
階段から上がって来たのは、女性だった。長い黒髪になびかせた、花柄の紺色のワンピース姿。その手には真っ白な日傘とキャンバスバッグ。目と鼻の先にある扉を潜り、彼女も彼と同じ世界に入って行く。その横顏は、暑い京都にも関わらず、凛として驚くほど綺麗だった。
私とは正反対だった。
いつもジーンズ姿で仕事柄の男勝りな口調、普段からあまり多くを話さない彼とはとても相性が合うと自負していた。
けれど、目の前で不意に見せ付けられたこの光景はそんな私の決意を揺るがせた。
先ほどの切子硝子の窓から彼らを覗く。やはり、彼女は彼の前へ。先ほどまで私すら届かない世界にいた彼が、彼女の前で屈託のない笑みを浮かべる。苦しい。
いきなり入り口の扉が開いた。
驚いて足元のダンボールを蹴ってしまう。
「お嬢さん、良かったらお茶でもいかがですか?何かお探しものかな?」
そう私に声をかけて来たのは、茶色いベスト姿の初老の男性だった。真っ白で少し長めの髪と優しそうな顔からは、昔も今も、さぞかし女性が放っておかないだろうと思えた。
窓ガラスの隣に立ち、中を覗き込む。男性は小さく「あぁ。」と呟く。
再び入り口の扉を開け、「大丈夫。彼らはしばらくは周りに気づかないはずだよ。いつもそうなんだ。」と言って、手で中に入るよう促す。そうして私は、私の知らない、彼の世界へ背中を押さられるよう飛び込んだ。
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