第四幕 三章 伯爵の詰問 エドゥアルドの哄笑


「よぉ御二方。この街を堪能してもらってるようでなによりだ―――改めてようこそ、ドン詰まりの街、ホーツゴートへ!」

 二カッと牙を見せ、女衒エドゥアルドは嗤った。対して、伯爵はまるで凍てついているかのように表情を返す、端的に返す。

「ええ、中々に興味深いですよ。この街は」

 伯爵の冷徹な言葉。エドゥアルドの大笑。ロペの背後で無数の足音が聞こえてきている。取り巻きを連れてきているのだ。足音からして三人、彼の娼館の用心棒たちだろう。

「そりゃあいい。で?お望みのものは見つかったかね?」

「いえ、貴方が求めるものも、今だ」

「悪かったな大将。あんたからの依頼をほっぽって、飯を食っててよ」

 アンフェルがそう言うと、女衒はやけに芝居かかった動きで首を振る。

「友よ。許してくれ……責めるつもりはないんだ。カカッ。そもそも旅人に任せるには手がかかることだったよ。足がつかなくていいんだがな」

 腕が再び伸びてきて、ロペのスプーンを掴む。毛の深く節ばった指。スプーンのスープの底を乱暴に浚うと、エドゥアルドの口に運ばれる。臼歯とステンレスが擦れ合う音。男の下卑た引き嗤い。

 ふと、考えた。この男は自分に気づいていないのではないかと。こうも平然と会話をしているし、まるで自分がいないかのように振舞っている。ヤツヲを連れ去った強盗としてではなく、案内人として雇われたストリートチルドレンとでも思っているのかもしれない。そんな考えが、彼の呼吸を少しだけ楽にさせた。

「今、もい一遍部下を街に走らせて、情報を集めてる。なんでか鮭の養殖場にトラックが突っ込んでやがった。このすぐ近くだよ……あれが盗人の乗ってたトラックなら、奴らはこの近くにいるんだろうな」

 やはり、まだロペとヤツヲが逃げ続けているような口ぶりだった。ロペは考える。いつ、どこで跳び出せば、この男から逃げきれるか。

「オーケイわかった。なんだったら何人かあんたらに付かせよう。命を張ることになれてる荒事屋たちだ。好きに使ってくれてかまわねえ」

 考える。この店を出て、通りのマンホールへ飛び降り、地下鉄へ。あるいはホールの暖炉を這い上がって屋上へ出て、そのまま隣の商店へ飛び移り、その裏のゴミ穴から――――

 ガリ、ステンレスに噛みつく音。

「俺はとりあえず、コイツを連れていく」

 反応する前に、それが突き刺さった。

 ロペは絶叫する。肩に雷が落ちたかのように、熱く、痺れ、痛む。見ればそこにはスプーンが。先が丸いのにも関わらず、シャツを破り、肉に突き立っている。そのまま後頭部を掴まれ、ロペはテーブルに押し付けられた。

 気づいていた。当たり前だ。そのうえで弄ばれてたんだ。ロペはじん、と目頭が熱くなるのを感じた。それは痛みからか、情けなさからかはわからない。

 彼が再び身をのけぞり叫ぶ。エドゥアルドの握るスプーンで、ゆっくりと(掬われた)のだ。突き刺さっていた先端が上がり、肉を掘り返す。血がシャツを汚していく。

「うあぁぁぁ!」

「ハハハハハハハッ!どうした坊主!生娘みてえに泣くじゃねえか!ウチで客取るか?」

 ぐり、スプーンが反対側に。そのたびにロペはもがくが、巨大な手によって押し付けられ、机上より脱することはできない。

「ご苦労御二方。こいつはもらってくぜ」

 その時、背後の巨漢が机の上に何かを放った。この店を今すぐにでも買えるほど額の、共和国紙幣が束になって机に散らばる。

「報酬さ。娘をつれてきたらこの倍はやる……オイ、坊主!」

 力が咥えられ、ロペはさらに頬骨を樫のテーブルに擦り付けられた。痛い。こらえようと、足掻こうとしているのに口からは涙声が漏れてしまう。それが惨めで情けなく、彼はこんな時であるのに肩を震わし泣いた。

「何先に一人で楽しんでんた。ウチの納屋に帰ったら、これ以上に何倍もいい想いをさせてやるよ」

 壊れたエンジンの嘶き、あるいは獣の遠吠えに似た狂笑が、静まり返った店内でただ一つ響いていた。


「もし」

 すんと、小さくも、よく通る声だった。笑い声の中でもそれは――アンフェルを除く――全ての者の耳に届いた。エドゥアルドの笑いが止まる。

「お取込み中のようですが、一つ、御耳にいれたいことが。よろしいですか?」

「……カカッ。なんでもどうぞ」

 伯爵は椅子を動かし、エドゥアルドと対面する形に座り直す。

「私たちはヤツヲ嬢と接触しました。それも、貴方のいうトラックの上で。ロペ君がここにいるということから、それはわかるでしょう。そしてその時―――信じられないことですが、巨人と遭遇したのです」

 ロペの脳裏に思い浮かぶ、あの爛れた表皮の巨人。対して、女衒はまた大袈裟な身振りでそれを嘲笑う。

「ははは、おもしろいこというな。だったら俺は便所で双頭のウサギを見たぜ」

「狂言と思うのは無理もありません。しかし貴方があのトラックを見つけたということはそこに痕跡はあったのでは?……切られた脚、致死量の流血、あるいは砕けた床板」

「……フン。あぁ臭い肉がへばりついていたね。それで?話はそれで全部かい?」

「いえ、ここからが本題です。その巨人は……私たちの狙う拳銃を、同様に狙っていました。」

「そりゃあ、なんとも奇遇なことだ。で?」

「私たちの求める拳銃はその時、ヤツヲ嬢が所持していましたので……その巨人は彼女のもとへと向かっていきました」

「それは、また……カカッ。どうやら重ねて礼金を払わねばならないようだな。いや、ここは一つまた依頼を出すか!不死身の怪物退治をな」

「そこ」

 とん、伯爵の人差し指が、打鍵するように机を打つ。

「そこ、可笑しいですよ。いつ私がその怪物は不死身だと言いました?」

―――――あ。

 その言葉に、一番驚いたのは妙なことにロペであった。思えばここに至るまでの会話の全てが、伯爵の話術の一貫だったであろう。

 こちら側から状況を提供するようでいて、相手側が隠し持っている情報を引き出すための。

 エドゥアルドの口角がゆっくりと下がり、代わりに眉間に険しく皺が寄っていく。

「……往々にして怪物ってのは銀の弾丸でしか死なず、胸に杭を打ち込み始めて殺せるものだろう?」

「怪物、とも申しておりません。私はただ巨人とだけ。怪物のような容姿ではありましたが―――そんなことは見ていない貴方にはわからないはずです。つまりは貴方は彼の存在を見たことがある。知っている。

 妙なものでした。貴方のような立場もあり人を動かすことのできる人間が、何故わざわざ私たちのような旅人に仕事を依頼するか。それはきっと、あの怪物―――ジーン・アヴェンジには大抵の人間では対処できないと踏んだからでしょうね」

「それだけじゃねえ。可笑しいところは」

 唐突に声を出したのは、アンフェルだった。彼は左手でスプーンを弄び、その表面に浮かんだ、歪んだエドゥアルドの顔を睨む。

「俺は¨見て¨いたからわかったんだが……あのヤツヲっていうガキ、あのバケモンを目の前にしてもなんら臆したふうじゃなかった」

 どくん、ロペの鼓動が早まる。それは彼も思っていた。思っていたようで、考えるのを避けていたことだ。思い浮かぶは、己がトラックに飛び乗ってからのこと。迫りくる怪物の眉間を、ためらいなく打った彼女の表情。

「まるで馴れているかのようでしたね。それに加えて、あの少女……怪物に追い詰められて、ヤツヲ嬢はこう言ったのですよ」

 貴方に近づかれたら、私は

 貴方を¨壊して¨しまう、と。

「え…………」

 それは、どういう……胡乱な口ぶりでそう続けようとしたロペを、伯爵は手で制する。その瞳は言っていた。それを問う相手は私たちではないと。

 アンフェルが卓上に身を乗り出す。女衒から、背後で硬直するその部下たちを、ゆっくりと睥睨していく。

「なぁ、あんた」

伯爵が手を机の下に降ろし、愛用の杖に指を掛ける。

「ええ。エドゥアルドさん……貴方は」

卓上にて、豹が一歩一歩と得物に歩み寄る様に、二人は言葉をもってして女衒を包囲していった。

「「何を、知っている?何を隠している?」」


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