第四幕 三章 アンフェルの独白 エドゥアルドの再入場
耳が聴こえない?
まず最初に沸いたのは、その言葉に対する疑問。その次に、そのことへの罪悪感と恥。
「……でも、でもあんたは今こうして話してる。それに、あの陸橋の上で僕の声を『いい声』だって……」
「読唇術。それから勘。だからうつむいて話してくれるな。¨見づらくなる¨」
ロペは無意識に下げていた顔をハッと上げた。真っすぐに見たアンフェルの顔は、笑っていた。
「そして、橋の上でテメエにいったこと、ありゃ¨幻聴¨だ」
「幻聴?」
「……音が聴こえなくなったのは、俺が不死身になった時――第一次¨新大陸¨開拓時代のときだ」
それが何十年前のことか、正確な数字は学のないロペにはわからない。だがその戦争はたしかロペの曽祖父の生まれた時代だったはずだ。
「俺は屯田兵軍の遊撃隊にいた。そこで反乱を起こす原住民を殺す仕事をしていた」
途端、耳の内から喧騒が消えていく。男の声だけが、洞穴の反響みたいに拡大される。
「武器を持った男よりも、逃げる女子供を撃つ方が多い仕事さ。それを5年、続けた。原住民がほとんどいなくなるまで」
坊主、知ってるか。こういうのを『虐殺』っていうんだ。そう付け加えた彼の表情は、みるみる内に喜色が消え失せ、強張っていく。新緑の葉が風塵に煽られて、潤いを失っていくように。
「最後の、最期の任務はコンドルが滑空する荒野が戦場だった。最後まで支配を認めない部族の殲滅だ。上は調子に乗って、数にモノいわせた軍隊を真っすぐに行進していった。それはとんだ馬鹿だったよ。原住民たちの罠と地の利の前に、部族はちりぢちになり壊滅。そっから攻守が逆転して、俺らにとっての死の行軍が始まった。三日三晩、糞をひる間も惜しんで逃げ続けたよ
毒の矢で一人が死んだ。飢えでなく渇きで一人死んだ。降伏を心願して、三人が上官から死刑をくらった。俺も苦しいし、恥ずかしいし、悔やんでいた。だが死ぬ気にゃなれんかったよ。俺には愛する音楽があったからな。
音楽ってすげえんだぜ?俺らが耳を澄ませば、どこにでもそれは存在するんだ。高原じゃ風が奏で、森じゃ木々が歌う。どこでも美しい旋律があんだ。それを見逃さず、そこ十二の音階を当てはめるだけでいい。
んなことできねえって?自慢っぽくてわりぃが、俺はできたんだな。なんつったって、俺は絶対音感ってやつだったからよ。
だった、んだ。
いずれにせよ。音楽が俺を繋ぎとめる楔だったわけだ。あの環境で銃口を咥えないための楔。砂塵の中でも、狼の巣でも、弾雨の下でも、そこに音があり、波長があれば、俺の世界は幻想で彩られたのさ。
だがそれすらも奪われることになった。いやその言い方はよくねえんだろうな。それ以上のものを俺は彼らから奪ったんだから………話を戻すぜ。飢えたまま行軍を続け、物資に困窮した我が部隊はどうしたと思う?」
「……どう、したんですか?」
「村を襲ったのさ。開拓者たちに服従を決めた、原住民たちの村を」
沈黙。湖底の泥を呑んだような、重く苦い空気で胸が詰まる。
「突然の襲撃に村は壊滅。俺らの部隊もそこで力尽き、反撃を受けてあらかた死んだ。俺はそこで、原住民の
「死ななくなることが……呪い……」
「呪いになるのさ。なんせ、それと同時に俺は最も愛するものを奪われたんだから。不死になった途端、俺は耳が聴こえないことに気が付いた。不死なんだから聴覚が壊れちまったわけじゃないんだろうな。心が、音も、旋律も、空気の振動すらも受け付けなくなってんだ。
そこから先は、昼でも真っ暗で乾いた人生さ。砂を食み続けるような190年間だった。
この無音が明日も、また明日も続く。そう考えて、無意識に頭を打ち抜いていたこともあった。
だがある日―――聴こえだしたんだよ。偽物の音がな。俺の心が、開いた亀裂を埋めるために、失った『音楽』を自己生産し始めたんだろうな。坊主、陸橋の上でお前にいったのもそういうことだ」
そこで、アンフェルは途端に顔色を変えた。先ほどまで陰鬱としていた表情は陽が指したように明るくなり、その眼には痛ましいほどに輝く。
「俺には見える。喧騒はまるで蝶の集団給水だ。俺の視界を極彩色に染めてくれる。食器と食器がかち合って、小人たちが駆けだしていくのも。誰かが咀嚼するたびに、その口の中で
「……そ、それは聴こえているんですか。見えているんですか」
アンフェルの言動が支離滅裂としていたからだろう。少年はわずかな怯えを持って彼に尋ねた。その二人を見て、伯爵は思わず組んだ指先に目をやる。悼むように。
「どっちもだ。どっちでもあるのさ。音楽は即座に、俺にイメージを与えてくれる。俺だけに見える妖精の国……だがそれは幻聴だ。阿片の夢と同じ、俺の脳が創ってる虚偽のものだ。だけど俺はそうして自分を騙し、夢を見続けないと死んじまうのさ……体じゃなく、心がな。坊主、こんな奴を何ていうか、知ってるか?」
ロペは口を開き―――それを言うのを躊躇った。故にアンフェルは彼に先んじる。
「狂人だよ」
だから、だ。
独白の後に、しばしの沈黙。そしてアンフェルはそう口火を切った。
「そんな奴に頼るな。縋るな。信じるな。大事な女を預けんじゃねえ」
目の前にいる彼に、なんと声をかければいいのだろう。いや、どう口を動かせばいいのだろう。それを判断するには、ロペは余りに幼過ぎた。今の彼にできるのは定まらぬ感情を、胸中でかき回すことのみ。
「……どうして、僕に話してくれたんですか?断るだけなら、そう言うだけでよかった」
ロペは意識して口を対面する相手に見せ、唇をゆっくりと動かした。その様に、アンフェルは噴き出す。実直で、不器用な奴だ。
「さぁ?なんでだろうな。テメエ見てたら勝手に喋ってたんだよ」
そう、何故彼がそう語ったか―――それはアンフェル自身にもわからない。このことを話したのは他には伯爵だけであったというのに。自分は進んで傷口を相手に見せ、同情を買うような安い人間だったのだろうか。そう考えて自嘲する。
「……でも」
ロペが次の言葉を続ける前に、その背後から手が伸びた。手は顔の横を素通りすると、皿の上の腸詰めを摘まむ。振り返るころには、腸詰めは男の口の中へと消えていった。
男は長身にして痩躯。灰色の口髭と頭髪を共に、燃ゆる柴のように躍らせている。幾重にも刻まれた目元の隈と、その向こうの黄金の瞳。そしてその身に纏う、鞣された狼皮。
―――――エドゥアルド!
娼館の主。ホーツゴートの裏の首長。そして最もロペが会いたくない相手が今、彼のテーブルをゆっくりと睥睨し、そして肉食獣のように、口を歪ませた。
「よぉ御二方。この街を堪能してもらってるようでなによりだ―――改めてようこそ、ドン詰まりの街、ホーツゴートへ!」
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