第四幕 二章 伯爵 アンフェル ロペの食卓 あるいはヤツオ ダミアンの朝餉

 キッチン・ゴウィンプカはホーツゴート労働者の第二の母と言っても過言ではない。

 慈悲に満ちた価格と、それに良い意味で釣りあわないボリューム。数枚の硬貨しか持たない乞食でも、ここならば腹一杯食べられる。

 常ならば、国定銅貨5枚でじゃがいも団子と白身魚のスープを頼むだろう。しかしロペは――たとえば飯を奢ってくれる偏狭な異邦人に会った時など――特別なことがあった日には、紙幣一枚相当の腸詰めのトマト煮込みを頼む。

 ブロッコリー、ジャガイモ、マッシュルームと様々な野菜と豚肉の腸詰キュウバーサめがホールトマトと煮込まれ、そのブイヨンと脂が混じり合っている。この腸詰めがロペの大好物だ。肉があらびきで歯ごたえがあるし、胡椒がふんだんに使われているため、強烈な肉の味が多大な満足感をもたらせてくれる。さらに底にはマカロニが沈んでいるのだが、老いた店主の手がよく震える日は、これがいつもより多めにかけられていることがあるのだ。

 そんな彼の大好物を、目の前にいる男は口に含むと、

「馬鹿の味だな」

と、一蹴した。隣の伯爵も、テーブルマナーの見本図のように丁寧に口に運ぶが、その表情は彫像のように硬いままだ。とても食事を楽しんでいるようには見えない。

「確かに、少々知性に欠ける調理方法ですね。素材の粗悪さを強い味付けで隠そうとしている」

「好き勝手いってくれるな……」

 ロペは苦言を呈しながらも、自分の腸詰めにかぶりついた。美味しい。噛むたびに肉の脂が口に溢れ出して、胃が喜びの声を上げる。こんなにも美味しいのに、目の前の二人は黙々とスプーンを口に運ぶだけだ。店の円卓中に人がごった返し、遅めの朝餉を啜る賑やかな店内で、その二人はハッキリ言って異様だ。

 目の前に座るアンフェルからの、理解しがたい言葉の後、ロペは自分が知る限り最も美味い店へ二人を連れてきた。そして女将がトマトスープを茹でなおしている間に¨全て¨を聴いた。真宵に語る御伽噺のようでありながら、多くの証左から、信じざるを得ない話を。

――――西方王の死の弾丸。不死者。不死身の英雄。暗黒大陸にまつわる怪異譚フォークロア―――。

 ロペもまだ少年だ。寝台の下に潜む亡霊の存在をふと信じることもあるし、旧い神々の実在を、夕暮れ時の雲中にふと夢見ることもある。だが、こんな荒唐無稽な話は信じない。目の前に、ほかならぬその証拠たる不死者たちがいなければ、だが。

「死なないのに、食べるんだ」

「ええ。どうせ食べなくても死ねませんからね。飢餓状態のまま生かされるだけです」

 伯爵はさらりと悍ましいことを口にした。そんなことが、あったのだろうか。

「……そこのあんたも、不死身なのか?」

 ロペの言葉にアンフェルは口角を上げると、フォークでその手の甲を突き刺してみせた。ロペが痛ましさから目を背ける前に、貫通したフォークを引き抜いて見せる。そこからは血の一滴も流れ落ちることなく、傷口も蒼炎と共に消える。

 それぞれ再生の仕方は違うが、この二人はまごうことなく不死身なのだろう。先ほどのように怪物に胸を貫かれても、どちらも死ぬことは無いのだろう。ロペは慄然とした。

 だがそれ故に――――そんな相手が自分と食卓を囲み、腸詰めにかじりついているのはロペにとって『奇妙』としか形容しようがない。

「つまり、あんたらはあの弾が欲しいんだろ?そしてそれを使って……」

「ええ。死ぬことが目的です」

 そんなことを真っすぐな瞳で言うのも、ロペには理解できないことだった。

 500年。500年も生から逃れられないと、人はここまで生を希求するようになるものなのか。

「弾が欲しいなら……渡す。今はないけど。でもそれはいいんだ。それよりも、なんで僕に食事を?」

「少し、君と話がしたかったからですよ」

 まずますわからない。そう思っていると、伯爵は両の手をテーブルに置き、まっすぐ彼を見つめた。

「君はあの東方の少女を拐かし、人攫いへ売ろうとしていた」

「いや違う!それは……半分誤解だ。確かに連れ去ったけど、売ろうと何てしてない。ただ……二人で逃げ出したかったんだ。彼女、娼館で酷い仕打ちを受けてるみたいだったから」

「そういう仕事だからな」

 詰るアンフェルを、ロペの両眼が睨む。そんな中伯爵だけは滔々と続けた。

「成程。では彼女について、貴方がしる限りのことを教えていただきたいですね」

「…………」

「その出生、娼館での扱い、何故この街にいるか、などの事柄なのですが」

「…………」

 そして、次の言葉は出てこなかった。分針が一周しても、ロペの口は死んだ二枚貝のように、硬く閉じられたままだ。それを見て、アンフェルが彼にフォークの先を向ける。

「まっさかお前、あの娘について何も知らねえってわけか!?」

「!な、名前なら知ってる!ヤツヲっていうんだ!」

「そうか良かったな。だがそんなのは当然のことだ。たしかにコイツは人攫いじゃねく、王子様だったみてえだな!頭ん中が¨童話メルヘン¨だ」

 恥辱が義憤か、少年の頭に血が上り、皿を浚うスプーンに力がこもる。スープから引き揚げたマカロニを、彼は力一杯噛みしめた。

「大体、なにか知っていたとしてもあんたらには教えないからな。なんでヤツヲちゃんのことが知りたいっていうんだ」

「惚れてるからだよ、伯爵が」

 ロペのスプーンが指から零れ落ちた。見れば、伯爵が眉間に指を当て唸っている。

「それは否定しませんが、それが全てではありません。私たちの目的に関係することです」

 否定しないのか――――目の前が眩んで崩れていく。ロペは一日の間に、自分の知らぬあまりに多くのことを経験し、脳が疲弊しきってしまったようだ。

 そもそも、何故こうして話し合えているかがロペにはわからない。彼らはエドゥアルドと取引をしたのだ。ロペの素性を教える代わりに、ヤツヲを確保する。一時的で打算的ビジネスな関係であるとはいえ、あの男の手先なのだ。

 それに彼らは強い。今この瞬間にも、ロペの体を七つに裂き、胸の三点に弾丸を打ち込めるだろう。そのようにして車上にてヤツヲと銃を持って行かなかったのは、自分の身柄の引き渡しも依頼にあることだからか?いずれにしろ、ロペは彼らに打ち勝つ術はない。

 だが、ならば――――

「……ヤツヲちゃんのこと、好き、なのか」

 ロペは言った。王の機嫌をうかがうような、腰の引けた声だった。

「それはむしろこちらが聞きたいことなのですが」

「ぼ、僕のことはいいんだ」

 少々予想してなかった返答に、ロペは同様し口ごもる。そのとき伯爵のまなじりが上がったのに、彼は気づかなかった。

「もし彼女を好きだっていうなら、頼みがある。ヤツヲちゃんをこのまま、この街じゃないどこか遠くまで連れて行ってくれ。いや―――ください。銃も渡します」

 彼に対し、伯爵とアンフェルは答えない。故に後に続く言葉は懇願の色を強めていく。

「あなた達の目的はわかってる。だけどそれを果たす前に、どうか女の子一人を助けてください。あなた達ならエドゥアルドの追っ手を振り切って逃げることもできるだろうし、だから――――」

 そこまで口を動かし、視線を手元で揺らし続けて、初めて気づく。向かい合う伯爵の視線の厳しさに。

 北方の幽谷のように険しく、吹きすさぶ谷風のように冷たい。そして渓谷が湛える底なしの闇のように、虚ろな瞳。伯爵はそんな目をしていた。

「最初に、断っておきます。私の信条からしてそれを承ることはできません。そして第二に、あなたは今重大な『責務』を手放そうとしている。それについて恥じ入るべきです」

「責務って……」

「他者を助ける。その行為がどんな結果をもたらすか、それは神にしかわからないことです。例えば此度、貴方はヤツヲ嬢を娼館という過酷な環境から助けました。しかし外の世界のほうが彼女にとって過酷かもしれない」

「そ、そんなこと」

「えぇそんなことはまだわからないのです。これから良き方向へ賽が転ぶか、悪しき方へ転ぶかは、最後までわからない。よって、それを誰かが見届けねばならないのです。良き賽の目が出たら祝福を、悪し賽の目が出たら責を負わねばならぬ役割――――それが他者を助けることの『責務』です」

 伯爵はここまで付け加えると、突き放すように、突き刺すように、言葉を付け加えた。

「あなたは今彼女を助けようとしているようで、その実……責務を手放そうとしているのですよ」

 その言葉の意味を、完全に捉えられたとはいえない。彼にはあまりに難しく、想像できない知識と経験を含んだ言葉。しかし、それなのに、ロペの体は手先から芯まで冷え切っていた。

 自分の見ていなかった、見ようとしなかった心の暗室。その存在を、ほかならぬロペが気づいてしまったのだ。

 叱られた子供のごとく黙し、震えだしたロペの様子に、伯爵は深く、湿ったため息をつく。そして次に口を開く寸前、

「伯爵」

アンフェルがそれを制した。見れば、彼は笑いかけている。嘲りではない、困ったかのような笑い。

「あんたがそこまで言う理由はわかるよ。それはあんたの500年にかかわることだからよ……だけどよ、まるで自傷するみてぇに言葉を紡ぎなさんな」

 自傷。その意味はロペにはわからない。だが伯爵は苦々しく口を閉じ、うつむいた。

「俺らは誰かに説教するほど偉くねえし、する義務もねえってこった……おい、ロペ」

 呼ばれて、ハッと顔を向ける。そこには乾いた笑いを浮かべた、大陸風の男がロペの口元を見ていた。


「そんな輩の、ためにならねえ話だが聞いてくれよ……俺はな、耳が聴こえねえんだ」


***


 キッチン・ゴウォンプカの厨房は、繁忙を極めていた。午前の稼ぎ時を迎え、引っ切り無しに注文が飛んでくる。春の雨が軒を打つように、常に食器がかち合う音、油がはねる音、野菜を切り刻む音が鳴り続けている。

 年若い料理人が、焼けたばかりの果実の焼き団子ピェロギに、アップルソースを垂らしていく。それを仕上げ、カウンターに置くと、ちょうど女の白い手がそれを取った。

「そりゃテラスに座ってる金持ちのだ、粗相がないようにな!」

「もちろんなのだわ!」

 快活に返事をすると、女は皿を持って出ていく。料理人が、あんな女給がいたかと訝しむころには、彼女は厨房を抜け、勝手口から裏通りへと出ていた。

 白壁に背を預けていたヤツヲは、皿を持って出てくるダミアンの姿を捉えると、顔を上げた。

「じゃん!焼きたてのピェロギよ!いただいちゃったの!」

 それが本当かどうかはわからない。いずれにしろ、ヤツヲは皿の上のものをまじまじと眺めていた。

 落ち葉の色になるまでじっくりと焼かれた、粘りある三日月形の生地。それがてらてらと光を反射する果汁を浴びて、四つ並んでいる。

「ちょうど半分こできるわね!はいな!」

「……ありがとう」

 ヤツヲに皿を渡すと、ダミアンは躊躇わずそれを指で摘み、食む。ヤツヲもそれにならい、皿を膝の上に置いたのち、一つ摘まむ。温かい。悴んだ指先に熱がしみ込んでくる。指一本ほど口を開いて、三日月の先をかじる。すると中に包まれていたチーズがにゅる、と伸びた。唇をもごもごと動かし、伸びたチーズも口に含む。おいしい。チーズがすっぱいキイチゴを優しく包んでいる。

「……おいしい」

 ほろり、そんな言葉をこぼしていた。ヤツヲ自身そのことに言った後気づいた。脇を見れば、ダミアンが半月のように唇を歪ませている。

「そういってもらえると、作った甲斐があるものだわ!」

「……あなたが作ったの?もらったんじゃなくて」

「どうだったかしら!」

 ダミアンは胸を張る。妙な風体の女性だった。恰好は娼婦が仕事に使うドレスのはずなのだが、その雑な着こなしから気品も淫蕩さも感じえない。七つの少女が親の衣服で悪戯しているかのようだ。

その体はたしかに成熟した女性のものだった。だが妙に青白い肌と、灰で洗ったかのような色の髪から健康的には見えない。振る舞い、表情は子供のようなのに、体は不健康な大人のそれなのだ。

 その、異様な輝きに満ちた瞳が、ふとヤツヲを舐る。顔を肩口にまで寄せて、彼女の瞳を覗き込む。

「あなた……かわいい顔してるわぁ」

 髪と髪が触れ合う距離で、ダミアンはささやく。

「……変なこと、いわないで」

 身を引いて、ヤツヲは距離を取った。ダミアンは気に掛けることもなく話を続ける。

「お姫様みたいなのだわ。ねえ私、ずっとずっと以前にはるか遠く東の国の御話を聞いたことがあるの」

「どんな御話?」

「東の国の御姫様と、その小姓が恋に落ちてしまう話。小姓は姫様を連れ去って、都よりずっと離れた山の中へといくの。そこで二人は小屋で静かに暮らし始めるの」

 滔々と、乳飲み子に聞かせるような口調。しかしそれに対して、ヤツヲの表情は日が暮れるかのように暗くなっていく。

「そんなある日ね、小姓が家を空けていると、御姫様が寂しくって彼を探しにいっちゃうの。そしてね、疲れ果て山の奥の湧き水で喉を潤したとき、自分の姿が映っているのを見るのね。山のつらい生活の中で、宮殿にいたときとは別人、すっかり荒れた自分の顔を」

 ヤツヲの身が、冷風に煽られたかのように縮こまる。その話は知っている。自分の生まれた国の話だ。

「……ねえ、やっぱりあなたはお姫様なの?」

 ヤツヲはその流れるような髪を揺らし、面を振った。

「私は御姫様じゃない。そんなきれいなものじゃない……だから」

――――だから、私はそうならない。

 まるで自分に言い聞かせるように、あるいは疼く古傷にあえてメスを入れるように、ヤツヲは言った。



 ふと、何かが頬に触れた。

 柔らかく、湿っていて、そして冷えていた。それが離れた後も印象が押されたみたいに、その感触の名残がそこにあった。見て見ると、本当にすぐそこ、肌が重なり合い吐息が混じりあうくらいの距離に、ダミアンの顔があった。ヤツヲは自分が頬に接吻されたのだとそこで気づいた。

「いいえあなたは綺麗なのだわ。私って、汚いことには疎いけど、綺麗なものにはビンカンなの!豚のぬめった鼻とかね!」

「意味が分からない……」

 疑問符がヤツヲの頭上を踊るのをよそに、ダミアンは脈絡なく立ち上がる。

「甘いものを食べたら?」

 ヤツヲが答える隙も無く続ける。

「塩味のものが食べたくなるわよね!カリカリに焼いた豚さんの足とか、塩を振ったポテトパンケーキ、サーモンの一夜干しをエールの上澄みと一緒に口に含みたいわ!」

 共和国派の政治家がそうするように、矢継ぎ早に大声でまくしたてると、彼女は歩き出した。まるでバレエのマネをする操り人形のような足取りで、再び店内に入る。

 ヤツヲはしばらくその勝手口を、ピェロギをもくもくと食べながら見ていた。だが数刻経っても戻らないので、二個目を食べる。美味しい。とろとろのチーズを口の中で弄び、アップルソースの味を堪能していると、すぐに二個目は無くなってしまった。皿の上にある三個目のピェロギが、午前の温かい陽光を受け輝いていた。もう一度勝手口を確認する。戻って来る気配はない。ヤツヲは三個目のピェロギをつまみ食む。店内から大きな怒声が響いた。

 身をすくませ、ピェロギが手から零れ落ちる。店内で何かが起きたのだろうか、ヤツヲは温い白壁から背を離し、足音を消して勝手口をくぐる。

 妙に五月蠅く、金属音が響き合っていた。不審に思いながらも、そろり、そろりと厨房を歩く。その時、フロアと厨房をつなぐ連絡口から、その向こうの様子が見えた時、ヤツヲは立ち止まった。

 手足から力が抜けていき、胸中に黒く、重いものが現れ息苦しくなる。その眼が捉えたものから、じわりじわりと景色が歪んでいく。

 彼女の視線の先―――フロアの中心の円卓には、狼皮のローブを着た男がこちらに視線を向けていた。


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