第四幕

第四幕 一章 アンフェルの回想 あるいはダミアンとヤツヲの邂逅

 荒野の果てはいつも陽炎で茫洋としていた。

 その、空と地平線が触れ合うようで、離れていく妙な間を、アンフェルはいつもじっと見ていた。ことの合間合間に視線が無意識にずれて、そのゆらゆらと踊る様を眺めていた。なんだろうか?視線を、荒野の果てへ。

 引鉄を引く。山羊を連れていた原住民が血を噴いて踊る。

 荒野の果てへ。

 引鉄を引く。槍を構えていた若者たちがばたばたとなぎ倒される。

 荒野の果てへ。

 引鉄を引く。頭に血が上った軍曹が、総攻撃の指令を繰り返す。

 荒野の果てへ。

 引鉄を引く。原住民たちの矢が戦友の喉仏に立つ。

 荒野の果てへ。

 引鉄を引く。藁で編まれたテントを弾丸が貫いて、女たちが断末魔を上げる。

 荒野の果てへ。

 引鉄を引く。行き場を無くし、祭壇に駆け寄った老人や子供が散り散りになっていく。

 視線を、荒野の果てへ。そこに一匹、高高度をゆっくりと飛ぶ、なだらかなW型の影があった。鷲だ。そうだ、あれが見たかったんだ。

 空を飛ぶというのは相当な力を必要とする芸当だ。重力に逆らい、体重をそぎ落とし、風に乗らなければならない。猛禽たちが中空で翼を広げている状態は、人で言えば常に筋肉を緊張させているようなものだろう。

 それなのに、あの生き物の飛ぶ姿は美しく、悠々として、それでいて一定だ。重力、風圧と常に闘っているはずなのに、一切の雑音を感じさせない。この世で最も心地よい和音の生物だ。

――――侵略者よ。貴様は鷲が好きか。

 古木が語り掛けてきたようなしゃがれた声がした。見ればそこには異様な風体の老人がいた。山羊の頭骨を被り、髭を伸ばし切った老人―――シャーマン、というやつなのだろう。

――――侵略者よ。だがお前は鷲にはなれない。鷲のように生きることもできぬ。

 見ればもはや周囲に人はいない。原住民たちは皆鉛玉を受けた。仲間の隊列は皆散り散りになって、死んでない奴らは逃げたんだろう。ここにはもはや何も残っていない。何も残らない戦いだった。

――――なぜならば、お前は罪を犯したからだ。(原住民の言葉で、人」の意味)はその生を全うすれば、魂は鳥となり、太陽へと帰る。しかしそうはならぬものがいる。呪詛を浴びたものはそうはならぬ。

 そこで気づく。体が、熱い。じりじりと腹中に熱が溜まるのがわかる。炙られた鉄の棒で、口から食道までを貫かれたかのようなのだ。

――――呪詛を浴び、鳥となれなくなったものは、荒野にて永遠の時を過ごすのだ。お前はそうなる。ならればならぬ――――儂が、そう呪詛をかけた。

 ぱりぱりぱり。何かがひび割れていく。それは俺の体だ。俺の腕が、足が、胸が、熱風を浴びた岩壁のようにひび割れて、崩れていく。

――――侵略者よ。哀れなる者よ。お前はこれから永遠に荒野にいるのだ。故郷(くに)へ帰っても、世界の裏へいこうとそれは変わらぬ。荒野とは―――生きる糧の得られぬ場所なのだ。

 老人はそう言い残すと、火のついたテントへと潜っていった。その最後の言葉。憎悪に黒ずんでも、悲哀で青く変色してもいない、空虚な響き。

これより前に聴いたことはなく、これから先にも聴きたくない旋律だった。


***


 今もまた、地平線を見ることがある。この街の湾には鷲どころか鳥すら飛んでおらず、何も聴こえないというのに。

 ホーツゴートの港にて、アンフェルは煙草をふかしていた。波風がふぅと彼の頬を撫でていく。風切り音が、緑の翅を震わせながら彼の横を過ぎていく。風に煽られ、魚屋のドアベルが揺れて、中から金色の小人が零れ落ちる。彼の咥えた煙草が燻り、火蜥蜴サラマンダーたちがのそりと頭を出し、散っていく。

 これは現実の光景ではない。彼だけが見える妖精の国。彼は音を視覚としてとらえる。震える琴線からは水霊ウィンディーネが、打たれたティンパニの内には家守ブラウニーが。彼の、彼だけの妖精眼が見せる世界。

 酔ったような胡乱とした眼中で、しばしその世界を堪能していたが、やがて自嘲気味に笑うと視線を足元へ降ろす。

そんな彼の足元には、人体。子供の描いた絵みたいに滅茶苦茶な構造のそれは、煙を噴き始める。わらわらと、八本足の蟻精ムリアンが散っていく。

 海風が吹き、黒々とした煙状の闇が地を這い人体を包むと、やがてそれが蠢きだす。そして風が去り、その煙を剥ぐ頃には、そこには毅然として立つ二重廻し姿の伯爵がいた。

「……煙草」

 小さな一角獣が彼の唇が動くたび、眼前を駆け抜けていく。調律されたきったヴィオラが生む一角獣と、同じ白銀の毛色だった。

伯爵が小言を口にする寸前で、アンフェルは煙草を口から離し、靴底で踏みつける。

「セーフ、セーフだ」

「……そうこうことにしておいて差し上げます」

 アンフェルは気味よさそうに、伯爵は呆れたように笑うと、二人は歩き出した。

「そんで、銃のほうは?」

「駄目でした。最後あのような事故がなければ確実にあの少年から奪還できてたのですが……惜しいことをしました」

「いいよ。そのことについては俺も報告がある。それよりも、だ……伯爵、お前さん、あの娘を見たな?」

「ええ」

「んで……案の定、惚れたのか?」

「ええ」

 道路の真ん中で堂々と、背を正して伯爵はそう言った。当然の如く、迷いなく。それ対しアンフェルは一瞬顔を引きつらせると、次の瞬間には困ったかのように眉を歪め、口角を上げた。

「まぁ、そりゃあもうアンタの宿命というか性情というか、仕方ねえもんだとわかってるよ。深くは追及しねえ。あの陸橋であのガキ二人を止められなかった俺のせいだ」

「理解いただき感謝します。しかしご安心ください。あくまで死の弾丸が最重要。彼女のことは常に二番目に考えるようにしますよ」

「いいね。それじゃぁ、俺のことは何番目に考えてくれるんだ?」

「………明日の夕食の次に、といったところでしょうか」

 冗談を言っているということは、その仏頂面の下は案外上機嫌なんだろうか。あるいは、自棄に近い鬱屈とした気分なのかもしれない――アンフェルは歩みを止める。靴底で小鬼プッカブーがぎゅうと潰れた。

 その傍らには日に焼けたクリーム色の自動車があった。この大陸における、伯爵とアンフェルの脚だ。一世代前のものでデザインは古臭いが、この大陸で一番いい喉で歌うエンジンだと、アンフェルは誇っている。

 その後部座席のドアに手をかけ、開ける。中から小さな霊犬クー・シーたちが飛び出して、彼と伯爵に存在しない歯で噛みついた。思わず笑ってしまう。青臭い少年特有の、怯えの混じった敵意の和音だ。

 後部座席のソファには、あの少女を誘拐した少年、ロペがいた。両手と両足を縛られ、その口にも布を噛まされている。伯爵と目が合うと、彼は威嚇する小動物ようにその猿轡を噛みしめ、こちらを睨みつけた。額には汗の玉が気の毒な程浮かんでいる。

「このガキ、ゴミ箱に頭突っ込んで寝てたぜ。だが、銃は持ってねえ」

「意識を失う前、少女が『死の弾丸』が入っていると思わしき銃を抱えていました。おそらく、あのトラックが運んでいったのでしょう」

「そうかい……なぁところで、俺から一つ提案があるんだが――」

「おそらくですが、私も同じことを考えています。賛成ですよ」

 アンフェルは乾いた笑いを浮かべると、その手をロペの顔に伸ばす。ロペは顔を左右に何度も振って抵抗するが、大柄な掌に抑えつけられてしまう。

 そして彼が目を瞑っていると、急に呼吸が楽になった。新鮮な酸素が気道へ滑り込んでくる。見れば、猿轡の代わりとなっていた布は、今アンフェルによって取り去られていた。

 さも白旗のように布をひらひらと揺らし、アンフェルは破顔する。

「ところでだ、ガキ。ここらへんで美味い飯屋を知らないか?」


***


 ダミアンは当惑していた。こんなにも頭が知恵熱で火照ったのは、覚えている限りで昨日の夜ぶりだ。

 彼女は確かに物言わぬ将校をトラックの荷台に収め、養豚場を目指し運転していたはずだ。そして2~3時間にわたる、当てのないドライブの先に、彼女は確かに鮭の養殖場に辿りついたのだ。

 だがトラックを養殖場の生簀に頭から沈ませ停車した後、70度に傾いた荷台を見て見たが―――そこにあの将校は無い。代わりに、まるでお店で一番高い人形のように見目麗しい少女が転がっていたのだ。

 これは一体どういうこと?娼婦の頭の中で幾つもの答えが飛び出しては消えていく。

「あ!もしかして貴方、魔法が解けてお姫様に戻れた将校さんなのね!?」

「……違うよ」

「じゃあ将校さんはー……貴方が綺麗サッパリ食べちゃったのかしら!?」

「ううん……それより、貴方、大丈夫?」

 ダミアンには彼女の発言の意図はわからなかった。それ故に返答の代わりに口から鮭を吐き出した。

 ダミアンは乱れた毛先からスカートの裾までずぶ濡れだった。無理もない。彼女のいた運転席は今生簀の中に水没し、彼女自身も15分程水槽となったキャビンを遊泳したのだから。

 いずれにせよ、これでは将校を豚に食べさせられない。それではエドゥアルドに見つかって怒られてしまう。だったら代わりに鮭に食べさせれば、いやそもそも将校の姿がない。ならば代わりにこの女の子に――――そこまで考えたところで、彼女の脳の余白は消えた。ページをめくり、白紙に戻す。

「んんー、とりあえずお腹が空いてきたわね!そうじゃない!?」

 さも心の通じ合った無二の友のように、初対面の少女――異邦の民族衣装を纏う少女ヤツヲにダミアンは話しかける。ヤツヲはその挙動に目を見張っていたが、やがて彼女に向って静かに頷いた。

「それじゃあおひるごはん!せっかくのお出かけなんだから、ちょっとしたごちそうを頬張りましょう!」

 ダミアンはヤツヲに向かって手を差し出す。ヤツヲはそれに対ししばし迷いを見せた、が、最後にはその白い手を握った。

 そして二人はスカート、そして着物の裾を傍目かせると、荷台から飛び降り、港町をかけてゆく。


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