第三幕 断章 ダミアンかく語りき
みしん、と座席の背後で音がして、手に持つハンドルが僅かに揺れる。
「あらやだ地震かしら。この街に地震がきたことなんて、500年ほどないけれど」
ダミアンは誰に対してでもなく、歌うようにそう言った。
明星を下に、トラックを上にして、彼女の仕事部屋から飛び降りた後の事、ダミアンは配達のトラックを奪取すると、アクセル一杯駆け出した。背後で野菜問屋が悲痛な声を上げていたが、そんなこと彼女は3秒で忘れてしまった。
トラックの荷台には、今は物言わぬ共和国将校。ビンと規律したまま、毛布で包まれ眠っている。栄誉無き死を迎えた彼をダミアンはどうしようとしているのかと言うと、豚に食わせる予定でいるのだ。
もはや何年前になるだろうか。何十年前になるだろうか。彼女の寝床の傍には豚小屋があったことがあった。あるいは彼女の寝床自体が豚小屋だった。
当時の彼女にとって憂鬱なことは、嫌いな葉物野菜がでろでろに煮込まれて出されることである。食べずに残せば怒られる。隠しておいたら茸が生えた。ならば彼女はどうしたか。喧しき隣人たる豚たちに処理させたのだ。
豚は雑食性に非常に優れた動物だ。野菜も肉も虫も繊維も悉く食べる。硬い骨や貝殻なども、表には見えない臼歯で粉状にし平らげてしまう。
ゆえにダミアンにとっての嫌なものは皆豚が咀嚼してくれた。魚の頭にスープの青菜、リンゴの芯にウールの靴下。みんな柵の向こうに放り投げると、それらはみるみる無くなっていった。
要はそれの応用で、死体も平らげてもらおうということだ。勢いで乗り込んだ車中で思いついたことだが、ダミアンにはこれが解決策だと確信していた。
故に、彼女は今養豚場を目指している。この街のどこかにあるであろう、己の知らない養豚場を。今はただ、想像上の運転技術を用いて、十字路は進み、角があったら曲がり、西風が吹いたら東へ向かう、そんなことを繰り返していた。しかし彼女には段々と豚たちの下へと近づいている実感があった。つまりは、錯覚が。
「今にして思えば、豚さんに会うのなんて何年ぶりかしら!時たまスープの中にお見掛けするけど、ちゃんと話し合うのは久方ぶりね!わくわくしてきただわ!ぞくぞくしてきただわ!」
病的に上気するダミアンの背後で、ぺしゃり、と何かが打ち付けられ、荷台が悲鳴を上げていた。
思わず振り返る。しかしのぞき窓もないので、荷台の様子などわからない。鋼板が一枚、視界を塞ぐだけだ。
「厭よ、やよ厭ァよ。御者さんがお客を馬車に乗せたら幽霊だった、なんて話、私苦手なんだから」
ふつふつと鳥肌が浮き出し、ほろほろと冷や汗が吹き零れる。ダミアンは頭の中に首の無い貴婦人を夢想しながら、フロントガラスへ向き直った。
そして絶叫する。
ボンネットの向こうのすぐそこに、汚らしいボロを纏う巨漢が立っていた。巨漢は路地裏からのそりと現れ、何処か痛みを感じているのか、目を白黒させている。それ故法外な速度で向かってくるトラックに気づくこともなく、その脇腹に車体を衝突させた。
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