第三幕 二章 四人の演者によるスペクタクル

 つむった目を開いていく。眩い暗闇に切り込みが入り、開いていった先にあるのは、なだらかに過ぎてゆくホーツゴートの灰の空。

 自分は道路に落ちたのかと思ったが、どうやらそれは違うらしい―――見渡せばそこは荷台の上。ヤツヲは奇跡的というべきか、ご都合主義というべきか、走るトラックの上へと落ちたのだ。

 何のためのものか、トラックは縦にも横にも大きい。荷台もまた、小劇団の舞台となってもいいくらいだ。だがそこに詰まれているのは、野菜の詰まった木箱が隅に三つ、それから、ヤツヲの下に転がる、毛布で包まれた、縦長の何かだけだ。

 冷たく、不気味な触感のそれがなんだか嫌で、ヤツヲは身をよじらしそこから降りる。

「伯爵、待て待て待て――――!」

 後方から、先ほど相対したあの男が喧しく叫ぶのがわかる。

すると、過ぎ去る街の情景の一瞬、側方の歩道に影が現れ、消える。そう思った途端、みしん、とトラックの荷台を軋ませながら、黒衣の人物がヤツヲの前に降り立った。

シルクハットに二重廻し、鷹の意匠を凝らした杖――まるで吸血鬼物語に出てくる怪人のような男だった。先ほど、歩道より跳んだ彼が影に見えたのは、その暗澹たる色合いの装い故だろう。

その男は二重廻しをはためかせて、ヤツヲへと向き直ると、硬直した。着地で足を痛めたわけでもあるまいに、螺子が切れた絡繰り人形のように、不自然な格好で止まっている。

「駄目だ伯爵!そこには―――」

 彼方後方から随分と小さくなったアンフェルの声が響く。伯爵の手が、己の口元へと伸びる。その瀟洒な出で立ちに似合わぬ剛健な掌は僅かに震えながら、口を覆い隠す。

「そこには!女がいる――――!」


「あぁ……」

 アンフェルの声すら、もはや彼には響かない。伯爵は暁に向き合ったかのごとく、眩しそうに眼を細めた。

その指先だけではなく、肩まで揺らし、溢れ出る歓喜を全身で受け止める。その一端が、言葉となって、指の間から漏れた。

「可憐だ……」


いつのまにか、伯爵は少女の前に跪いていた。体の節々を角ばらせた、西流作法のお手本ともいうべきお辞儀である。

「美しき人。どうかお心穏やかに。私は貴方に危害を加えません。ただ貴方の持つその銃をいただくこと。そして、御身をお住まいへお返しする、それが我らの望みです」

 伯爵は荷台の床を見ながら、真宵に会ったあの男との交渉を思い出していた――狼の皮を剥いだコートを来たあの男は言っていた。養っている娘が下郎に誘拐された、と。その下郎の足取りを教えるので、娘を取り戻して欲しい、とも。

「さぁ美しい人!私の手を、とってくださ―――」


 ぱちゃり、伯爵の顔に赤い汁が散った。

 手を上げてそれを拭う。ヘタのついた赤い皮がぽろりと落ちて、スーツの裾にこびりついた。それは、トマトであった。ヤツヲはいつのまにか脇にあった野菜の箱を倒し、中のトマトを抱え込んでいた。

「これはこれは……お戯れを」

寛容にほほ笑む伯爵を意に返さず、ヤツヲはそれを構え、振りかぶると、投げつける。

「はっはっは、お戯れを」

振りかぶり、投げつける。

「はっはっは。お戯れを」

振りかぶり、投げつける。

「はっはっは。お戯れを」

振りかぶり、投げつける。

「はっはっは。はっはっは。はっはっはっはっは!」

 振りかぶり、投げつけると、ヤツヲの体が宙に浮いた。

 

ヤツヲだけではない。ぼすんと鈍い音がどこからかして、哄笑する伯爵の両足が、傾いた野菜の箱が、毛布にくるまれた『それ』が、浮いた。

 トラックが揺れている、いや、縦に傾いた―――?そう認知する直前にはもう、それはボンネットで弾け、運転席の屋根を転がり、荷台に打ち付けられた。

 足元を崩した伯爵が倒れなかったらそれの下敷きとなっていただろう。それは荷台の縁に頭をぶつけ、致命的な骨折の音を鳴らすと、獣のように苦悶する。

 それは巨大であった。少女と伯爵の間にいながら、どちらにも肉薄するほどに。

それは汚らわしかった。その身に纏う軍服であったと思わしき布からは、何層にも染み渡った濁水の臭気が溢れて出す。

それは、醜かった。垣間見えるその肌は、この世で最も不気味な緑色。それでいながら瘡蓋(かさぶた)の下の傷口のように、一切満遍なく爛れている。

 それは首元から何度か泡が弾けるような音をさせた後――伯爵を見る。その瞳孔が拡大も収縮もしない瞳を向ける。

 伯爵はその動作からやっと、『それ』が、『人』なのだと認識した。

「貴様は―――だ?」

 ほろりと口にした言葉のひとひらに、その醜悪な巨人は答える。

「ジいン………ジーん・あヴェンジ」

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