第一幕 三章 伯爵の入場 アンフェルの入場

「許してください!許して!そりゃ俺は腐れ外道の密売人!とても聖母に顔向けできねえ輩だが、それでも生きてるし心があるんです!やった悪事は数え切れんし、数えたこともねえが、それでも罪は償えるって神父様がいってました!これまでの悪事以上の善行で採算つけるんで、どうかご慈悲あぎぎぎぎぎぎぎぎぎ!!!」

 密売商人の舌は回る様によく動いていたが、手の甲に白刃が突き立たれると、力なく項垂れた。

 白刃は成人男性の腰までの長さがあり、その刃先から辿っていくと、樫を加工し、鷹の意匠を凝らした、Jの字型の持ち手に行き当たる。これは仕込み杖なのだ。

 ここは港近郊の、三増酒の臭いが染みついた地下酒場。床は酒と脂で汚れ、もう数年はモップで拭われていない。店内にあるカウンターにも、倒れた丸テーブルにも、汚らわしい言葉が刻まれている。

そんな場に男はまったくそぐわない恰好をしていた。そもそも、彼はこの時代にそぐわない。黒の二重廻しに艶めくシルクハット。その恰好は古典を飛び越えもはや骨董だ。

一世代前の怪奇小説から飛び出してきたかのような紳士は、手首だけを振るい、刃を引き抜く。その血の通わぬ白磁のような顔。どことなく猛禽類を思わせるその吊り上がった目じりに射すくめられ、密売商人は静かに、カウンターの向こうに座る。

「どうやら『かんしゃく』は収まったようですね?それでは、質問にお答えください」

 商人の目は飛蚊のようにせわしなく動き、店内を一望する。

 つい先刻まで、ここには自分の部下たちがいた。新大陸から取り寄せた葉巻で雲を作っていた。転覆した軍艦から奪取した積み荷を勘定していた。傍らに銃を置き、酒瓶を垂直に傾け煽っていた。

 だが今はどうだ。あの二人の男が店内に静かに入ってきてからはどうだ。誰も彼もが綺麗な断面で切り分けられている。あるいは、額に風穴を開けられ、店の床を占拠する『モノ』となっていた。

 その死体を、もう一人の男が踏みつける。陸軍工場の塹壕套トレンチコートを纏い、その内から、腰に吊るした極小の砲台のような拳銃を垣間見せる、焼けた肌の無頼漢だ。彼の靴が水音を立てて、血に濡れる。

「嬰エフ・シャープ

「は?」

「なんでもねェよ。続けろ」

 男の態度に紳士は眉を顰めるが、やがて商人に顔を向け、言葉を続ける。

「貴方は昨日、聯盟軍の転覆した軍艦からの漂着物を不法に奪取した。いいですね?」

「す゛み゛ま゛せ゛ん゛っ!」

「肯定とみなします。そしてその中には、極めて密閉されたコンテナの中にあり、濡れていない積み荷もあった」

「あいッ、火薬がシケッてないんで、儲かりましたッ!」

「宜しい。ではその中に、革の箱に入った、たった一つの拳銃と六発の銃弾がありましたね?」

 商人が黙った。言えないのではない。身に覚えがないわけでもない。質問の意図が分からないのだ。

確かに、それはあった。コンテナの中にわざわざそれだけ仕分けられていた上に、厳重に包装、封印されていたので、御値打ちものかと期待したが、それがただの中古の銃だったので腹が立ったものだ。

 あったのだが、わざわざそんなゴミの有無を、ここまでして聞いてくる、彼らの心中がまるでわからない。頷くべきか、舌を裏返し存在を隠すべきか。どうすれば自分の存命につながるか、愚かではあるが馬鹿ではないがゆえに、商人は考えてしまう。

 そうしている間にも、紳士の眉間には断層のような皺が浮き、その眼光は一層商人を突き刺す。商人はあ、うわと言葉の切れ端を零すことしかできなかった。

 すると、彼の耳より小指一本程離れたところを何かが飛んでゆき、彼の頬を打ったのち、背後の壁にぶつかり割れる。それはワインの瓶だった。紳士の向こうにいる男が、投擲の態勢から身を戻し、ずかずかと歩み寄る。そして商人の腫れた頬を千切るかの如く引っ掴むと、その怒気に満ちた顔を近づけた。

「陰毛の生えた重嬰シー・ダブルシャープハ」

「べ、べあっ!?」

 頬の内部が静かに潰れる痛みに呻いていた商人は、巨漢の理解できない言語に対し、言葉で返すことができなかった。巨漢は彼の理解を待たぬまま、言葉、あるいは恫喝を続ける。

「てめえの汚ねぇあえぎのことだよ。全身が縮れた毛で覆われた最も下種な生物みてえ、ってことだ。聴くだけ脳溢血になりそうだ」

 巨漢は手首を回し、頬を捻じる。頬は血が溜まり、不健康な紫色に変色し、商売人は『重嬰シー短調ダブルシャープ』の叫びを上げた。

「うるせえうるせえうるせえ。戦場だってもうちょっと静かで快適だ。あったんだろ!?銃はあったんだろ!?ならそう言え!いや言うな!耳が腐る、頷け!」

 商人は壊れた水飲み鳥のように、何度も何度も頷いた。

「それはどうした!?オラ言え、発言を許可する。説明しろ!」

「あ、あい!武器商人のグレツキーんところへ、卸品に紛れ込ませて処分しましたぁ!」

「ビンゴ」

 巨漢はその手を離し、爆ぜる寸前の石炭のようであった顔は一気に弛緩し、満足そうに笑みが浮かぶ。その変貌に商人は腰が抜けて、カウンターの向こうへ這いながら逃げていった。

「ビンゴ、ビンゴ。大当たりの一等賞だぜ、『伯爵』」

 巨漢はさも壇上の名優のように手を振り、『伯爵』へと振り返る。

「『アンフェル』、その呼び名はやめろと言っているでしょう。それから貴方の特異体質は知っていますが、もうしばし情緒を穏やかに」

 巨漢―――アンフェルはただ気味よさそうに笑って、何も答えない。伯爵は胸中に浮かぶ様々な言葉を押しつぶすと、嘆息を一つした。

「なんにせよ――これでようやく手に入りますね、『西方王の死の弾丸』が」

 西方王の死の弾丸。密売商人はその名前を知っている。それは風説フォークロアにして寓話アレゴリー。金持ちが死神と賭けをして、富から家族、果てには己の『死』まで分捕られ、地上にも冥府にもいられず放浪する、なんてよくある話だ。

 だがこの話には続きがある。分捕られた『死』は死神の手によって弾丸へと鋳造された。『死』そのものである以上、当たればそれは必ず人を殺す。それ故に、『西方王の死』は歴史の数々の舞台にて、数多の豪傑を、暴君を、芸術家を、運命的に殺すことで暗躍に使われているのだという。これも、よくある話だ。

 眉唾も眉唾、寄宿舎の餓鬼たちが夜な夜な語るようなオカルトを、目の前の二人は真面目に話している。平常の時ならば、エド・ニューロンの喜劇みたいに笑い飛ばしていただろう。平常の時ならば。

「『西方王の死の弾丸』は歴史の中で消費され―――とうとう残るは一つとなった」伯爵はぽつりぽつり、と静かに、されど昂ぶりを伴って語る。

「そして最後の一つは、聯盟軍の手に渡り、共和国総帥暗殺のために軍艦で運ばれていた」アンフェルという巨漢も、瞳に少年のような光を灯し、今にも駆けださんばかりに身を震わす。

「さて貴方、貴方ですよ、店主。カウンターから頭を出しなさい。その箱の中には銃弾も入ってましたよね?」

「あい!六発ほど!」

「だから頭を出しなさいと―――六発?『死』が六発もあるとは考え難い」

「五発はカムフラージュ用の、普通の鉛玉だろうよ」

「厄介ですね……では店主、卸した店の住所を―――」

 そう言って、カウンターを覗いた伯爵の顔に、突然二、三と豆粒のような点が空いた。

 そのまま、彼の頭が開帳していって、赤い塊にしか見えなくなり飛び散っていく。それはまるで、風船が割れていくのをやけにゆっくりと見ているかのようだった。そして今更になって、「ぱすん」、と銃声が風圧と共にやってくる。

 見れば、カウンターの向こうで商人が白煙を噴く鉄の筒を構えている。無論、それは散弾銃だ。

 抗争用にか、カウンターの裏に隠していたのだろう。気づかなかったのは、滑稽で、笑えないミスだ。

 生存のための狂気に満ちた商人は、欠伸でもしているかのように口を開き―――叫ぼうとしているのだろうか―――銃口をこちらへ向ける。

 アンフェルは滑る様に腰の銃へ手をかけ―――止めた。

 ぱこん、とまた一つ間抜けた音が酒場に反響する。銃火が消えたのち、アンフェルは一枚の絵、あるいは窓となっていた。

彼の肉体は悪趣味な額縁のようで、その胸元に、背後の酒場の情景がくっきりと見て取れた。その情景は、零れる血でだんだんと隠されていき、やがて流れるカーテンで一切が見えなくなる。

そんな自分の様を商人の充血した瞳から見て、アンフェルは思わずはにかみ、血潮を半ガロン程吐き出した。

そして闖入者たちは、二人ともほぼ同時に倒れ、商人の視界からいなくなった。

 商人は散弾銃の反動によって痺れる手を口元にやり、漏れる唾液を拭った。極度の緊張状態からの解放と、勝利の余韻が奇妙に混じりあったからか、中枢神経が奇妙な電波信号を発し、彼の唾液腺は異様なほど興奮していた。

 生きてる。生き残った。殺されなかったのだから生きている。勝ったんだ。俺は悪を破った!

全身を駆け抜けていく英雄的なの悦び。つい先ほどまで殺されかけていたとは思えないほどの、恍惚にして不遜なる表情。彼は勝利という名の麻薬に酔いしれていた。

 この麻薬は人を呆けさせるが、同時に次への勝利へのための行動へと駆り立たせる。商人はカウンターの下、床の戸を引き上げ、中にある肉の缶詰や酒の一切を掴み、投げ捨てる。そして空になった収納の底を指の爪で引っ掻き、上げ、二重底の一枚目を取り除く。

 中には数十はある紙幣。どれも厚い束が折られ、紐で纏められ、みっちりと詰められている。

 部下たちにも語らなかった、売り上げの着服分だ。彼はそれを引っ掴むと、手元にあった伯爵の帽子に詰め込んでいく。

 暴れすぎた。ここは音が外まで響かないので、市警がくることはなかろう。だかこの狂人二人組に仲間がいないとは限らない。聯盟軍か共和国軍か手先か、あるいは耳鳴りを天啓と捉えた教主が開くカルトの狂信者かもしれない。いやきっと、話の内容からしてそうなのだろう。

 そうと決まればこの金を用いて、この街をとっとと出よう。きっと西の大陸まではいけるだろう。道中、金が無くなったらば、銃にモノを言わせればいい。そうすれば、大陸に付く頃には金ボタンの小金持ちとして、ワインセラーのある家に住めるだろう。

 彼がそんなことを夢想し、涎の糸を何本も垂らしている。だから彼は気づかなかった。店内にごぼごぼと、湯が激しく沸き立つような音。それと、音もなく黒い、煙状の影ともいうべきものが、カウンターの向こうより立ち上っていることに。

 煙の柱はふらふらと、右に左に揺れながらゆっくりと移動する。その煙は開けた胸襟からもくもくと噴き出されていた。さらに胸襟の下には、礼服を着た人の体が動いている。

 それは商人の背後に立つと、その肩に手をかけ、煙より垣間見える喉から、言う。

「その帽子を返してください。特注品なんだ」

 商人の手が止まった。そして振り返り、涎を霧状に噴き出した。

 彼の目の前には、血に濡れた礼装の、首無しの男がいる。それはどうみても先ほどの慇懃無礼な男の体だ。そして無くなった首の部分は、いま煙に覆われているが―――煙がだんだんと形を伴い、高速で凝固していき―――あの鋭い眼光を持つ顔が一片一片ずつ成形されていっている。

「ああ……驚いたな。首を吹き飛ばされるのはここ数十年なかったんだ。驚いた。懐かしいが、新鮮な感覚だ」伯爵は、落ちているシルクハットから金を落とし、再生した頭にかぶる。

 商人は腰に力が入らないまま、後ろへと引こうとするが、その手を何かが掴んだ。それは、傷だらけで、皮が厚く、何よりまったく熱の感じられない手だ。振り返ると、そこにはアンフェルが這いつくばっていた。

 その背中は、燃え盛っていた。火事場の炉を覗いたかのような、爛々とした火が彼の穿たれた背中を燃やしている。それでいながら、彼の衣服は焦げてすらいないのだ。アンフェルの身がのたうち、咆哮すると、火は爆ぜて消え、その場には筋骨隆々たる背が残った。

「アンフェル、アンフェル。起きなさい。貴方は意識が戻るのが遅すぎる」

「うるせえ……戻ってはいるんだ。だけど頭の中で……三つ首の音符が……」

 アンフェルは商人の手を握りしめたまま、ゆっくりと立ち上がる。

「最悪な気分だ」

 血の混じった反吐を吐くと、アンフェルはもう片方の手で、腰に吊ったままの拳銃を取り出す。そして、親指でその撃鉄を起こした。

「ええ、最悪な気分です。ですがこんなことももう、限りあることなのですよ」

 伯爵もまた杖を取り、剣を宙で振って見せる。

「なぜなら、私たちはもうじき『死の弾丸』を手にし―――それに用いて、自殺するのですから」

 二人は目を合わせあうと、笑った。

 表情ではなく頭蓋を歪ませ、横隔膜ではなくあばら骨を震わせているような、乾き、風化した笑い声だった。

商人は己の理性を、あるいは神を疑った。ずっと先ほどから、教典に記されぬ光景ばかりが目に映る。教父は教えてくれなかった。こんなことが起こりうるなど。神がこんな法を定めたなど。

 いや、違う。教えてくれた。この目の前にいる存在の名前は―――

「あ、悪魔」

「失ッ敬な」

 伯爵が微かに、その唇を歪ませる。


「私たちは、ただの、死を求めてやまない不死者しにぞこないですよ」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る