第一幕 二章 ジーンの入場
『ホーツゴート・ナウ 11月22日号』
本日未明、西海岸沖より200マイル先にて、聯盟軍の輸送船が共和国軍の潜水艦に奇襲を受けた。輸送機5隻のうち2隻は魚雷の直撃により損傷、のち沈没。一隻は転覆した。
輸送船は、聯盟軍の化学部隊の貨物を運んでいたものであり、沈没した船から有害な物質が漏れだすのでは、という懸念の声がホーツゴート市民より上がっている。
このような失態を犯す聯盟軍側に未来はない。当社は依然として中立市ホーツゴートの西側服属を訴える。共和国統帥万歳!
*
目を醒ますと同時に、目を閉じる直前の映像が雪崩れ込んできた。
視界、反転。深緑の海。激痛、水しぶき、暗転。水泡、下から見上げる海面、視界回転、船体に衝突。激痛、暗転、暗転、暗転―――。
つぎはぎだらけのフィルムによる映像が唐突に始まり、終わる。故にジーンは目の前にある岩礁が夢か現か判断できなかった。
右手を上げてみる。重い。左手を上げてみる、自分の手と思わしきものが目に映る。緑のインクがにじんだような痣のついた皮膚で、膨らんだ筋肉を包んだ器官。それを動かしてみようとするが、指とはどうやって作動させるのか、その方法を唐突に忘れてしまった。それほどまでに、今体感している世界に現実味はないのだ。
しかし、彼は確固たる現実の証拠をつきつけられた。それは、ジグザクに軌跡を描き神経を走る感覚。魂自体が削がれるかのような痛みだ。
「~~~~~ッ!」
叫ぼうとすると、声は出ず、代わりにジーンは気管いっぱいに溜まっていた海水を吐き出した。その水は胃袋に沈殿していた藻の色と、濃厚な赤が混ざり合っていた。何度かせき込み、岩礁の脇でのたうつ。
見れば、彼の喉元には排水管の一部であったと思わしき鉄パイプが一本斜めに突き刺さっている。
どうりで声ができないわけだ。どうりで酸素が通らず、意識が世界から剥離しているわけだ。今ならば、先ほどの何も感じず、気味の悪い時間が、母の胎内のような幸福な空間だったことがわかる。
それに対して、今は三つの苦しみを味わっている。肉を貫かれた物理的な痛み。呼吸ができない科学的な苦しみ。血が噴き、体が冷えていく精神的な苦しみ。それらは混じりあい分離しあいながらも、決して打ち消しあうことはない。
いっそ寝てしまおう。寝てしまえばすべて過ぎ去る。ずっとそうして来たじゃないか――ジーンの瞼は痙攣を繰り返しながらも、ゆっくりと閉じていこうとする。だが、彼の心はそれに抗った。
どうせ、起きた後ツケが回るだけなのだ。
彼は喉元のパイプに目を向ける。といってもその先端しか見えないが、彼はそれを手で探り、掴む。持った瞬間にも稲妻が走り、彼は白目をむいた。だが、力は抜かず、ゆっくりと、引き抜いていく。
「おおっ、アッ、があッ!!」
声が出るのは喉が空いた証拠だ。ただそれは傷口を広げる行為であることは変わりない。パイプの隙間より黒々と、酸素の乏しい血液がとどめなく噴き出し、岩礁に雨を降らす。
だが彼はそれをやめない。人でなく獣が出すような声を上げながら、彼はそれをゆっくりと引いていく。そしてそれの半分までを抜いたとき、彼は一拍おいて、一気に引く。
「~~~~~!!!」
その瞬間、シャンパンの栓を抜いたかのごとく、水風船を鉛筆でに、血は柱となり空中に満ちる。ジーンはその様子をセピア色に霞む視界の中で、数字を数えながら見ていた。
3、2、×、1―――柱は、消えた。
彼の喉元に開いた穴は、今まさに岩礁の向こうで波が砂浜を洗い、何もない平面にするかのように、綺麗に無くなった。その間はおよそ数秒といったところで、ふつふつと沸いた肉の泡が綺麗にその穴を埋めたのだ。
中で血管も気管も元に戻ったのだろう。頭に血が巡るようになり、口から磯の臭いを肺一杯に吸い込むこともできた。
「…………糞ッ!」
それが、喉を再生した彼の第一声だった。彼は喉に空気を貯めるなり、天に向かって毒づいたのだ。
立ち上がり、己の恰好を見る。破れた軍服はもはやあってないものといってもいい。ジーンの緑で、爛れた肌をまったく隠してくれない。彼のことを町の人が見たらどうおもうだろうか?そんなことは想像するだけ脳の余白が無駄になる。
彼は思考をゆっくりと閉じていき、ただ一つのことだけを想うように努めた。任務だ。任務を遂行しなければならない。必要なものはなんだ。必要なものは、我が艦隊の第三番艇が収容していたあの―――
「死―――死の、弾丸」
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