第一幕

第一幕 一章 ロペの入場

 とにかく景気の悪い空だった。セメント樽の底の淀みを浚い、毛羽たった刷毛で雑に塗ったかのような灰色。それに見合った、退屈でいくら噛んでも味のしない空気。こんなものはこの街の常だ。港で卸された魚たちの汁と、朝方立ち込める潮臭い霧の街。威勢がいいのは軒から下げられた共和国戦旗フラッガのみ。紅の生地の上で踊る四つ腕巨人の文様が、何列にも渡り両脇の軒で静かに垂れている。

 そんな道を少年は歩く。齢はまだ14,15といったところか。煤の付いたシャツとズボンという出で立ちから、誰もが彼が年少労働者だとわかるだろう。その瞳は睫毛の下で忙しなく動いている。その口から小刻みに、白い息が漏れる。

 彼の目に街の端々が映り込んでは消えてゆく。不景気な顔の店主が営む酒場。品ぞろえが少なく、しなびたレタスが軒先に並ぶ青果店。魚屋の前に並ぶのは絶たれた鰯の頭の山。そしてそれをかすめとる、軍服を着た足の無い乞食。

 やがて少年の脚は止まり、彼はショーウインドウの前に向き直った。そこには店名が彫られ、銀粉をまぶされている。

『グレツキー銃火器店』

 少年は一つ息を吸い込むと、扉を押し、ドアベルを鳴らした。


 中に入った少年を出迎えたのは銃、銃、銃。鉛玉を吐き出し人を殺し得るそれは、その凶暴性を化粧されて飾られていた。戦場で使われている旋条銃はワインボトルのように壁に立てかけられている。悪漢たちが脇に吊る拳銃は、紳士店の革靴のように並び、光沢を放っている。

「ようこそ坊ちゃん、待っていたよ」

 V字に唇をゆがませた店主に声をかけられ、少年は小さく震えた。だが彼は意識して背筋をただし、カウンターへ近づき、店主へと向き直る。

「あんたのいう仕事はこなした」

「ああ、おかげさまで助かったよ、坊ちゃん」

「だから、例の物」

 店主は手の平を少年の眼前に向けると、もう片方の手でカウンターの下を探り、それを取り出した。

 それは牛革が張られたトランク。朝方外にでも出していたのか、しっとりと湿っている。少年がそれを開くと、中には拳銃が収まっていた。黒炭から削りだしたかのような、手のひらに収まるサイズの回転式拳銃。相当古いものなのだろう。店頭に並ぶものほどの輝きはなく、照星から銃床まで、染みのように点々と金属が変色した跡もある。

「これはね、『街道の警邏』っていう銃なんだよ、坊や」

「…………」

「文字通り、新大陸で警邏達によく使われていたことに由来するらしい」

 少年は、得意げに語る店主の話を「坊や」の部分以外聞き流していた。彼はただこの銃を見ていた。わかっていはいたが、こんなに古い銃なんて。

「ちゃんと撃てるんだろうな」

「当然」

「弾は?」

 店主は昆虫の前足のような人差し指を折り、銃身をつまみ上げ、その下に転がる六発の弾丸を見せる。

「六発!?少なすぎる、話が違う!」

「いいや違わないね。私は君に『港での仕事』を手伝ってもらった。君はその駄賃に売れ残りの銃を流してもらうことで話をつけた。つまりね、銃弾をやるとはだれも言ってないんだよ。この六発は当店からの細やかなサービスさ」

「……七人強盗が来たら、どうすればいいんだ?」

「いいかい?坊や、銃は一発も打たないまま埃が積もる。それがあるべき姿なのさ」

 少年はわざと聞こえるように舌打ちし、トランクを閉じ、脇に抱える。

 カウンターの脇に並ぶ銃弾の箱詰めを買うべきか逡巡したが、彼にそんな余裕はなかった。彼のプランにおいては、銃に金をかけるよりも、もっと重要な箇所がある。それに、非常に憎たらしいが、この店主の言っていることは間違ってはいないのだ。この銃は、できれば使いたくない。

 少年は店から立ち去ろうと、踵を返した。その肩を店主はつかみ、蟷螂の節足に似た指を立てる。

「ああ、そうそう。このことは内密に。私は善意でやったんだが、世間はそう認めてくれないからね」

「……ちょっと待て。あの仕事、違法だったのか!?」

 店主は何も言わない。ただ困ったように眉を歪めるだけだ。やれやれ、気づいてなかったのか、この子は、とでもいうように。

さっと顔から血の気が引き、反面体は熱くなり、汗がふつふつと沸く。言おうとしていた言葉も喉元で止まり、風音だけが口から漏れた。

 思えばおかしな仕事だった。作業内容はただの荷揚げだが、呼ばれたのは港ではなく西海岸の入り江だった。そこで無造作に並べられた――転がっていた、とすら言える――何かの貨物をトラックに乗せる。何より、あの仕事には速さが求められていた。沈黙も強要されていた。誰もが口に鉛を含んだかのように押し黙り、迅速に作業していた。

―――――あれは密輸だったのか。

 彼の唇がかく動き、そう喉が言葉を製造しようとした瞬間、彼の口は塞がれた。あるいは、握りしめられた。

 目の前にはあの店主が、表情を微塵とも変えぬ店主が、こちらへ手を伸ばしている。さらに少年の顔に何かが擦り付けられる。紙幣だ。

「ほら、約束の報奨金1万タルクだよ。駄賃をプラスしてある。これに銃がつくなんて、なんていい仕事だろうか!共和国内ならば非国民として私刑に合うくらいだよ!」

 表面は笑顔ながらも、責め立てるかのような声。

 息が荒くなるのがわかる。脈拍が早くなり、耳元で鼓笛隊が歩いているかのように、心音が聴こえてくる。

 少年は口をつぐんだ。すると店主は彼を離し、その手を胸のハンカチで拭いた。

「君は幸せだ。そうだね?幸せを自覚しないものは永遠に幸せになれないのだよ」

 まるで教父のように語る店主に対し、少年は何も応答できないままでいた。未だ脈動はとどまらないし、傷つけられたわけでもないのに、体が何かに耐えようと、縮こまろうとしている。

だが、彼は意識して背を正した。

 違法、それがどうした。これからすることに比べたら、これは準備運動みたいなものだ。そう心の中で唱える。

 彼は金をポケットに突っ込み、カウンター上のトランクを掴むと、足早に踵を返した。背後の店主に、言葉を吐き捨てる。

「わかった。覚えておくよ」

「今回はお互いに儲けたね、坊や」

――うるさい。儲かったのはお前だけだ。軍からの横流し品を密輸して、どれだけの金が浮いたことか。お前が払った対価は骨董品の拳銃一つとはした金。僕はこれでお尋ね者になったのに―――!

 油が沸くように胸中でいくつもの言葉が生んだが、少年はそれを決して表には出さなかった。代わりに痛むほど歯を食いしばりながら、扉の前まで進んでいく。

「それじゃあね。うまく青春を謳歌したまえよ、えっと―――」

 店主が俯き、カウンターの下の書類に手をかける。少年はドアノブを掴んだ手を止めて、振り返っていう。

「姓は無駄に長い。だから―――ロペでいい」

 ドアベルが鳴った。

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