第27話4月21日 杭
黄色いラインの入った上履きを履いたヒナちゃんは、今以上に目立った。
夏樹から借りた自転車で、一旦家に戻ったヒナちゃんは、HRまでにはきちんと間に合って帰ってきた。その表情は、そんなはずはないのに、少し晴れやかだったかもしれない。
遅刻してきた柊也の捜索も虚しく「あれは、ヒナに見せない方がいい」との結論から、僕たちはそれ以上の詮索はしなかった。
「出る杭は打たれるの。ちゃんと分かってる。生徒会やってる時点でそんなこと気にしていられないの。」
その日の昼休み。PC室でヒナちゃんが語った。
「出る杭は打たれる、けど、出過ぎた杭はもう打たれないんだよ?どれだけ叩こうが、出過ぎてて入りやしない。そうなるとそれはもう杭とかじゃなくて、衣紋掛けとか、そんな別のものになるの。そしたらさ、もう杭同士での長さの優劣は気にならなくなる。私は、それまでの我慢なの。」
柊也からもらったアイスティーを飲みながらヒナちゃんは毅然としていた。きっと、僕ならば耐えられなかっただろう。こんなにも逞しいヒナちゃんを見て、清々しい気分だった。
PC室を出て、教室へ向かう途中。突然に森岡さんが僕の肩を叩いた。振り返ると、僕よりも少し小さい場所からジッとこちらを見つめていた。
「ヒナちゃんに言ってくれたの、敷島君なんだよね?」
「あぁ、うん。そうだよ。様子おかしくて問い詰めたら白状してくれたよ」
そう伝えると、こちらを見つめていたその目が柔らかい音を立てて崩れた。
「ありがとう。」
それだけを言い残し、少し先を歩くヒナちゃんに向かって森岡さんは駆け出して行った。
一緒に笑い合う2人を見て僕は大きく深呼吸をした。
『どんな事にも挫けないヒナちゃん』は、目立つ事に慣れたという経験・自分の信条からその身を保っていた。けれど、それは一度誰かに頼るということを知ると、波打ち際の砂の城の様にじわりじわりとゆっくり崩れ落ちていった。
生徒会副会長で、黄色いラインの上履きのヒナちゃん。いつも隣には森岡さんだけでなく秋月や柊也、僕がいた。目立つ理由が重なる。
放課後の吹奏楽部でも、同じパートには洸夜君がいて、部活が終わる下校時間になるまでヒナちゃんを1人にさせることは無かった。
さまざまな理由でヒナちゃんを煙たがる人がいるに違いない。排除しようにも理由が多すぎた。けれど、その本人の側には必ず誰かがいた。みんなが、ヒナちゃんを1人にはしなかった。
部活が終わり、準備室の床で楽器を磨いていた。勢いよくドアが開き、大きなコントラバスが入口を塞いだ。そのまま足元の僕に気付かないのか真っ直ぐ迫ってくる。
「ヒナちゃん!ちょ、下!僕いるから!」
後ろから楽器を抱え持つヒナちゃんが軽そうにくるりと振り返る。
「ごめん冬至!小さくて見えなかった!」
「危うくコントラバスに潰されるとこだった。こんなにコントラバスが巨人に見えたのは初めてだ。」
ヒナちゃんの笑い声が降ってくる。
「そーいえば、マーラーの交響曲で「巨人」って知ってる?冒頭からコントラバスなの…」
「…ねぇ、山脇うざくない?あいつ、マジ消えて欲しいんだけど。」
「秋月先輩独り占めするなって感じ。ホント、ムカつくんだけどー」
開きっぱなしの準備室のドアからは直立したコントラバスしか見えなかったのかもしれない。その後ろの床にいる僕なんて、見えなかったのだろう。廊下から聞こえたその声に急いで立ち上がろうとする僕の身体を再び身体を捻ってコントラバスが襲う。優しくぶつかったそれに、そのまま横に倒れた僕の視界の先には2年生の色のラインの靴を履いた女の子の足元が見えた。
後ろ手でヒナちゃんが準備室のドアを閉めた。
しばらく沈黙が続いた。
その間、ヒナちゃんはずっと楽器にもたれかかって俯いている。怖くて何も言えなかった。
小さく、鼻をすする音が聞こえた。秋月に連絡するべきか。大きなコントラバスでわざと入口を塞いだヒナちゃんには、僕の次のやりそうな行動くらい読めていたにちがいない。だから、ドアを塞いだんだ。
その悲しい音が消えるまで、僕はその場に居続けた。
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