第20話11月16日 何にもないフリ

 翌日。いつも通りに教室のドアを開ける前に昨日の話を思い出し、一呼吸。

『死んでも死に切れない』

 笑いながら語った柊也の言葉が頭に蘇る。


 ドアを開け、教室に入る。すぐに森岡さんと楽しそうに話すヒナちゃんが目に入った。

「冬至、おはよ!」

「おはよ」

 こちらに振り向き、いつもの笑顔で挨拶をする。その笑顔には一点の曇りもなかった。ヒナちゃん達から目を離し、秋月の姿を探す。席には鞄だけがあり、本人の姿はなかった。始業までの時間がまだあるのを確認し、僕も教室を出た。校内をふらふらと歩き、秋月を探す。そのとき、嫌な予感が頭を過ぎり、音楽室へと急いだ。


 音楽室のドアに手をかける寸前、中から音が聞こえた。耳を澄ませる。きっとまだ話しているはず。僕がドアを開ける音で会話を止めさせてはいけない。


 聞こえてきたのは、ピアノの音がった。


 意表を突かれた。そっとドアを開ける。

音楽室の端に置かれたグランドピアノの前に座り鍵盤を叩く秋月が目に入った。

弾いている曲に心当たりはない。けれど、秋月の前には楽譜が置いていなかった。

 突然音が止まり、我に返る。

「冬至か。おはよ。居たんなら声かけろ。驚かすな」

 そう言いピアノの蓋を閉じる。

「秋月、作曲家、志望してるの?てっきり病院継ぐ…」

「そんなんじゃない。まぁ、趣味の範疇だ。冬至こそ、どうした?」

 僕の単純な嫌な予感を口走るにはなんだか気恥ずかしくなり、「別に、何にも」とだけ返しベランダに出た。ドアを開けると、冷たい空気に纏われた。もうすぐ冬になる。


「寒いな」と言いながら秋月が隣に並ぶ。

「あの一年に話つけてると思ったか?」

 秋月には行動力がある。昨日の今日で何かしないとは思えなかった。何も言えず俯く。秋月は真っ直ぐ前を見て語った。

「あいつが『大丈夫』って言うならそれを信じるし、支えるよ。だから、あいつの知らないところで何かして、あいつ自身がこれ以上苦しむような事はしない。柊也は少し、心配性すぎるんだよ。あいつはそんなに弱くない。むしろ、ちゃんと逃げ道が分かってる」

 そう言だけ言って音楽室に戻って行った。


 そのあと教室に帰っても、昼休みになっても。ヒナちゃんはいつもと全く変わりなかった。ニコニコ笑って、みんなではしゃいで。遅刻してきた柊也と馬鹿騒ぎして、夏樹に突っ込まれて森岡さんがそれをなだめて。まるで、昨日の事なんて全く嘘のように。


 放課後、吹奏楽部で楽器を準備してる際、ヒナちゃんが制服の袖をまくっていた。この前みた左手の傷が気になり、近付く。まだ4日ほどしか経っていない。

「冬至?どうしたの?」

 不思議そうに見つめてくるヒナちゃんに愛想笑いだけして左手を見る。すると、手首にまるで時計でもしているような痣があった。

「それ。どうしたの?」

 痣を指差し、ヒナちゃんを問い詰める。


 ドアに挟んだの。


 にっこりと笑って答えたヒナちゃんは、今日一日中見ていた笑顔となんら変わらなかった。それはまるで、昨日から練習していた成果を発揮しているような。違和感のない笑顔だった。

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