2:昼

 昼に寝たときに繰り返し見る夢は、こういう内容だ。

 まず電車に乗っているか、あるいはバスに乗っている。目的地に着くと、もう片方の交通機関に乗り換える。必ず電車とバス、順序は違ってもどちらも利用する。乗り継いだ先で、今度は徒歩で移動する。

 ただ何となく、どこか遠くに行ってみたい、と漠然とした思いを抱えている。でも同時にその思いは、地の果てまで行きたいわけではなく、普段の生活と地続きの、手を伸ばしてみれば届く場所に行きたい、という捉え所のない感触を伴っている。

 やがて、どこかの公園にたどり着く。必ず決まって公園だ。どういった公園なのかは、毎回異なる。でも必ず決まっていることがある。子どもたちがいることだ。人数は、多すぎることも少なすぎることもない。彼らが遊んでいるのを尻目に、僕はベンチに腰掛け、何者にも干渉されず、ゆっくりくつろぐ。

 ベンチは必ず木陰にあって、深呼吸すると緑の匂いが胸いっぱいに広がるのが分かる。見上げると、昼の強い陽射しが木漏れ日に細かく別れ、僕に降り注いでいる。風に葉が揺れて、木漏れ日がちらついて、さらさらと葉の擦れ合う音が聞こえる。

 ……これぐらいのタイミングで携帯電話に連絡が来る。至急の仕事だ。僕は慌てることもなく、いま自分がいる場所からどう向かえば最短距離で目的地に到着できるか、考える。それほど時間はかからない。今いる場所は、地の果てでも何でもなくて、ただ普段の生活と地続きのでしかないのだから……。



 自分から訊ねておいて、昼の夢の話を聞いてもミサキの反応は薄かった。それどころか、


「……うーん、つまらない。朝の方は面白かったんだけどなー、ちょっとだけ」

「だから言ったんだ。わざわざ話すような面白い話じゃない、って」


 食後のコーヒーを口元に運びながら答える。


「まあ、今回の夢の解釈はしやすそう、だけど」

「どういう解釈だと思った?」

「簡単。『運転手さんは、仕事がイヤ』ってこと。『仕事せずにブラブラしてたい』」

「それは単純明快だ」


 答えながらこうも思う。仕事が好きとか嫌いとかの感情の問題ではなくて、この仕事から逃げられないという束縛を覚えているのではないだろうか?


「運転手さんは、どう解釈してるの?」


 紙ナプキンを弄びながら、ミサキが訊ねる。制服のどこかに隠しているのだろうが、流石にファミレス内ではナイフを手にしてはいない。食事用のナイフで遊び始めたら注意するつもりだったが、刃渡り15cmのものでしか遊ばないのだろうか。

 いま考えた即席の解釈を伝えても良かったが、あまりに不誠実に感じた。だから、胸の内をそのまま伝える。


「……実のところ、僕はね、夢の解釈なんて信じていないんだよ」

「そう。あれ? でも朝の夢は解釈してたよね?」

「だからあのときは言っただろ、『無理やり解釈すると』って。あの話をするといつも、その夢の持つ意味を自分ではどう感じているか訊ねられるから、予め答えを用意するために頭を振り絞って解釈したんだ」

「ふーん……適当な答えを用意するんじゃなくて、信じてないなりに無理矢理にでも解釈をしてみる、ってのは運転手さんらしいね」

「真面目ってことかな」

「不器用、ってこと」


 強度の弱い紙ナプキンで器用に鶴を折ってみせたミサキは、上目づかいで悪戯っぽい視線を向ける。確かに器用さでは適いそうもない。顔を上げると彼女は、


「ふたつ、訊きたいことがあるんだけど。ひとつ目は、夢の話、他の人によくしてるの? その口ぶりだと、そうみたいだけど」

「ああ、ちょっと不思議に思っていたから昔はよく相談した」

「いまはしないの?」

「意味が無いってわかったからね、まだ自分でもなんとか解釈できた朝の夢だけでも、これだ。昼以降は話しすらしていない」

「じゃあ、昼の夢の話、知ってるのって――」


 ミサキがちょんちょん、と水の入ったグラスに指を浸けると、その指を紙ナプキンの折り鶴にかざす。水滴が落ちて折り鶴に染みができ、弱々しく萎れていく。


「――私だけなんだね、あんまり面白い内容じゃなかったけど」

「その通り」


 知っているのがミサキだけというのも、面白い話ではない、というのも。


「じゃあ、ついでに訊くけど、夜の夢の話は?」

「勿論、夜の夢の話も誰にもしていない」

「そうじゃなくって、夜の夢の話もついでだから聞かせて、って意味」

「ああ、そういうことか」再びコーヒーを口元に運んでから、「……昼の話以上に、面白くないから話す価値はない」

「そう。じゃあ、ふたつめの質問ね」

「今のが二つ目じゃなかったのか」

「いまのは、ついで、だから。ふたつ目は、どうして夢の解釈を信じないの、ってこと。どうして? きっかけとかある?」


 腕を組み少し考えてから、答える。


「元々、懐疑的だった。人間の心理がそんなもので分かるものだろうかと、感覚的に受け入れ難かった。ただ、それに加えてきっかけのようなものもあったな。人間の記憶のメカニズム、それのために夢は存在しているんだと聞いた」

「ああ、それ、聞いたことある。あれだよね、記憶の関連付け、みたいな」


 僕は首肯を返す。


「そう、夢っていうのは自分が経験した物しか出てこない。夢の中で初めて見る人や景色なんかも、記憶の積み重ねから組み合わせて作られている。人間の記憶というものは、何かを思い出せばそれに関連した情報を伴う」

「例えば誰かを思い出すと、その人自身から離れた情報……共通の友人とか、一緒に過ごした場所を思い出したり、だよね?」

「そうした記憶の関連付けの作業ってのは、寝ている間に行われるものらしい。そして、その作業中、記憶がごった返している景色を脳が認識してしまう――正確には目覚めた時に覚えている――ことがある」

「それが、夢、なんだよね」

「これも仮説らしいけど。僕にとっては受け入れるのに十分な説得力があった」


 ミサキは手元のグラスをようやく持ち上げ、口にした。彼女のコーヒーは全然減っていない。


「それ、いいね……うん、私も、それ、採用する」

「そうか」

「私も繰り返して見る夢がある、ってさっき言ったけど、そういうものなんだって考える。生き物のメカニズムのひとつなんだ、って。変な解釈とか、いらない」


 紙ナプキンの折り鶴は、もう自立していない。力なくその身をテーブルに横たえている。いつの間にか掛けられすぎた水は、ナプキンで吸いきれなくなって水たまりを作っている。鶴が自らの血溜まりで溺れているようだ。


「僕からも、一つ質問いいかな」

「ん、どぞ」

「いつも思うけど、僕に比べて、コーヒーの減りが極端に遅くないか? こっちはホットで、そっちはアイスなのに」


 ミサキは大げさにため息を吐いた。


「運転手さん、そういうところ、ほんとに不器用だよね……」


 ――ああ、一緒に飲み終わりたかったのか。


 初めてした質問だったが、こうした状況は初めてではなかった。これが彼女の求めた、普通、なのかもしれない。

 注文のときも、


「ランチメニューじゃなくて、定番メニューのハンバーグセット。これを頼むほうが、ふつう、でしょ。女の子はお得セットより食べたい物を頼むの」


 だとか言っていたし、食べ終わると、


「食後にはコーヒーを一杯、飲んでくつろぐ。これが、ふつう、でしょ」 


 などといってコーヒを注文するなど、こだわりを見せていた。そもそも、昼食は少しでも衆目を集めないよう、コンビニで済ませる予定だった。それをファミレスがいいとミサキが駄々をこねたのだ。普通の食事が良い、と。

 元々、仕事で組むときもそうした片鱗は見せていた。仕事の帰り道、コンビニに寄らされたり、今日のようにファミレスに寄らされることも何度もあった。その真意を今まで語ることはなかったが、最後の一日になって初めて打ち明けたのだ。普通を求めているのだと。

 確かに今の彼女はナイフも手にしていないし、ただの普通の女学生にしか見えない。この状況も他人から見れば、顔の似ていない兄妹が食事をともにしているだけの、普通の光景にしか映らないだろう。

 しかし、そんなものはただのごっこ遊びにすぎない。

 ミサキは普通ではないのだから。


「……飲み終わったら、出るぞ」


 はーい、とミサキは窓から見える街路樹を眺めながら返事をした。その懐には少なくとも二本、刃渡り15cmのナイフが隠されている……。


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