それでもいつか太陽は昇る
(一)友野 優希
七月も下旬に差し掛かる頃、鳳凰書店の会議室で白熱の議論が交わされていた。
真夏日を越える予報がされていたこともあって、日が完全に沈んでからの開催となった会議は、時間が遅くなるにつれて熱を増し、終電間際になっても収拾が付けられない事態にまで発展してしまっていた。
二人の男性が、机上に置かれた書類の束を見ながら手に汗を握って意見を述べていく。
「私が何度も申し上げているように、今回の一番はこれで決まりです。キャラクター性と物語の緻密さは文句ない。王道のバトルものだけど、癖のある構成は独創性がある。頁数ぎりぎりまで詰め込んでいる熱量も素晴らしい。これだけ広げた風呂敷を破綻させず、伏線も上手く回収しながら物語を畳んでいる。技量は充分ですし、作品だって一応は文句ない出来でしょう」
「いいや、昨今の流行を計算し尽くして、そこにオリジナリティを絡めたこっちを一番にすべきだ。ダークヒーローものというのはレーベルの色から少し外れているかもしれないが、新しい風を巻き起こしてくれるだけの力量を感じる。この人を育てれば今後の鳳凰文庫を引っ張っていってくれる逸材になるはずだ」
互いに自分が絶対の自信と根拠をもって、鼻息を荒げながら意見をぶつけ合わせる。
王道のバトル作品を推すのは、
ダークヒーロー物を推すのは、
どちらも鳳凰文庫の売り上げを支えている大人気作家だ。執筆中のシリーズで三百万部を超す大ヒットを飛ばしている雲野と、先月で最終巻を迎え、デビュー作でありながら累計百万部を売り上げている今村。
会議が始まって二時間が経過しようとしているものの、決めるべきことを一つとして決め切れていない。鳳凰文庫春の新人賞受賞作の最終選考。
選考委員の意見は完全に四分してしまっていた。お互いに一歩も譲らず、議論はほとんど暗礁に乗り上げている始末だ。
王道のバトルものを推すのは、雲野。
ダークヒーロー物を推すのは、今村。
ラブコメディを基調とした学園物を推すのは、鳳凰文庫編集長の東郷。
そして、
「私は、この作品を推します」
選考委員の一人である友野ユーキが推したのが、一言で恋愛物とは言い切れない作品――『本物の愛を、僕らは知らない』。
優希も断固として譲れなかった。
文香への温情で推薦するわけじゃない。作品を読んで、大賞にするならこれしかないと思った。なにがあっても受賞させる。させたいと思えるだけの完成度があった。
「友野先生。確かに恋愛作品や学園物は
そう言ったのは今村だった。
「中高生が読むにはテーマが重すぎる。読者層を考えて主人公やメインヒロインの設定を高校生にしたのはいいですが、感性が大人びている印象を受けました。ライトなノベルとは言い難い」
「つまり今村先生は、この作品がカテゴリー・エラーだと、そう仰りたいんですか?」
カテゴリー・エラー。それは、レーベルが強く推していきたい作品群やターゲット層から外れるような作品を揶揄するような言葉だ。
鳳凰文庫の場合、創設以来から注力しているジャンルはファンタジーだ。反対に、恋愛やラブコメディと言われる作品群は決して多くないのが鳳凰文庫の特徴であり弱みでもある。
今村が、言葉を選びながら慎重に答える。
「コメディを絡めた恋愛ならまだしも、その作品はどちらかと言えば大人向けだ。純愛チックでカタルシスはあるけれど、中高生が求めるそれじゃない。その時点で、俺や雲野さんが推薦する作品と比べるとなぁ……。しかもその作品、カタルシスはあるんだけど、爽快で、愉快で、気持ちのいいままに終わらない。ちょっと難しいよね。俺たちみたいな世代だったらじんわりと響いてくるものがあるけど、メインである中高生の層には伝わらないんじゃないかなぁ、と」
それは、その通りかもしれない。少し大人びている表現と物語であるのは否定できない。けれど、中高生には売れない、とも優希には思えない。
「ですけど、これは……この作品は、ただ面白いだけじゃ終わらない。ただ悲しいだけでもない。きちんと読者に訴えてくるものがある。伝わらないわけがありません」
「すいません皆さん、ちょっといいですか。実は、こういうものがありましてですね……」
今村の物言いに対して優希が反論していると、東郷が待ったをかけるように口を開いた。鞄の中から数枚の書類を取り出し、選考委員へ配っていく。
「これは……読者アンケートの結果、ですか」
雲野が確認するように尋ねると、東郷が大きく頷いた。
「ええ、そうです。この結果はそのまま読者賞に繋がります。大賞選考では余計なバイアスをかけないためにお配りするつもりはなかったのですが……。こうもまとまらないのであれば、一つの指標になるかと思いまして」
説明を聞きながら、優希は書類に描かれたグラフの結果に目を落とす。
「東郷、編集長……これ、は……」
今村が、信じられないという表情でグラフを見つめている。薄い紙を掴む手に余程の力が籠っているのか、紙が破けそうなほどにくしゃくしゃになっている。
「これ、本当にきちんと集計したアンケートの結果、なんですよね? 誰かが多重で投稿したり、組織票が絡んでいたり、そういうことでは、ないんですよね」
「ええ、これが、鳳凰文庫作品を積極的に支えてくれている読者の声ですよ」
誰も、こんな結果は想像していなかったはずだ。
百鬼夜行討伐計画――四百四十三票
本物の愛を、僕らは知らない――六百五十七票
ブラック・マジック・ヒロイズム――三百七票
共学になった元女子高校に通うことになったようです。――二百七十七票
優希ですらこうなるとは思わなかったのだから、他作品を推していた二人だってこの票差を俄に信じるなんてこと、できないはずだ。
全員が読者賞の結果に釘付けになっているところで、東郷が口を開いた。
「とにかく評価の高かった作品は、愛生さんの作品です。読者のコメントですが、こちらは中高生よりは大学生や成年になられた方のものが多かった。感想の一例ですが、『文句の付けようがなかった』『最終選考作品の中では最も印象に残った』『これで新人賞作家というのが信じられない表現力』と、他の作品にもまして絶賛するものが多いというのも印象的です」
「編集部は、今回の傾向をどう分析しているんですか」
優希が促すと、東郷は準備していたものを読み上げるように、流暢な口振りで返してくる。
「王道バトルやヒーローものといったジャンルは人気もあり、ある程度の販売量も見込める。ですが一方、ベテランを含めて混戦状態というのも否めません。その点、『本物の愛を、僕らは知らない』ですが、鳳凰文庫の新人賞でこういうジャンルの作品が残ったという新鮮味、といった観点でインパクトが大きかったのかもしれない。うちでは珍しい部類の作品ですが、最後まで読めば最終選考まで残ったのも頷ける作品、という意見も散見されました」
「なる、ほど……」
雲野が渋い面持ちで文香の作品を手に取ってぱらぱらと捲りだす。
「今村先生の仰るように、カテゴリー・エラーという観点で他の二作品とは比較しがたい作品でしたが、作家としての力量は確かに頭一つ、抜けているでしょう。女性のようですのでバトルやアクションといった作品は苦手なのかもしれませんが、年齢はまだ若い。色々と吸収すれば多方面のジャンルで芽を出せる作家になれるという意味でも、一目置ける存在であることは間違いない。どうや、読者を見くびっていたのは作家側なのかもしれない……」
雲野の評価に追随するかのように、今村も口を開く。
「読者の多くがこれだけ評価しているということなら、売り上げという意味でも心配する必要はないかもしれないな。年齢別の感想を見ると、ラノベを読んで育った大人向け、という評価もできる。あと悔しいけど、良い意味でこういう表現力を持った作家って、鳳凰文庫のお抱え作家にはいないよね」
今村は自分の発言を確認するように何度か首肯しながら、文香の作品に目を通し始めた。
雲野と今村の判断を後押しするように、東郷が付言する。
「それに今回ですが、愛生さんの作品を通過させたのは沼尻さんとうちの氷山です」
「沼尻さんって確か、あの血も涙もないって噂の下読み女子大生だよね」
「今村さん、その言い方は彼女に失礼ですよ。編集部としても彼女には頭が上がりませんから、謹んでいいただければ」
「あっはは。そうだよね。すんません。とはいえ、色んな選考会で聞くね、彼女の名前。一部じゃ大賞作品請負人って言われてるようだし、今回もそのジンクスを守るかたちになっちゃったってわけか」
「それにここだけの話ですけどね。彼女、愛生さんの作品に感涙したとも。二次選考でも編集の氷山が目を赤らめたって話もありました」
「本当ですか、それ」
話が転がっていく中、聞き捨てならない言葉を耳にした優希は、反射的に尋ねてしまった。
「氷山さんが泣いたって、本当ですか」
「ええ。そう聞き及んでいますよ」
「……そう、なんですか」
氷山の涙を見たことがないから、彼女が泣いている姿を上手く想像できない。
文香の描き上げた物語は、タイトルの通り、愛がテーマだった。歪んだ愛。間違った愛。一方通行で押しつけがましい感情の数々を生々しく描いた作品。愛や恋という感情に支配された人間が周囲を取り巻く人間関係を歪にしていく物語。
恋愛なんてくそ食らえと思っていた気持ちが溶かされるような物語の進め方は、愛という感情だけでどこまで人は行動できるか、その限界を描こうとしていた。伏線の張り方と登場人物の動き方も無理がなくて、何度も唸った。感情に伏線を張って、その思いを受け止めた登場人物が物語を、人を動かす。
救いのない物語の最後に提示される、主人公の呟き。そこに込められた文香からのメッセージが、頭に焼付いて離れない。
「正直なことを言うと、あたしも後半はずっと熱く込み上げてくるものがありました。一番心に残っているのは、物語の最後にある『本物の愛を知らないから、人は誰だって間違える』という主人公の台詞です。なるほど彼女が読者に伝えたいメッセージはこれか、と」
あたしには引き出せない物語だ、と優希は素直に思った。文香の作品は、ドリーム・リアライザーでは絶対に取り入れることのできない感情描写に満ち溢れている。根底から枝葉末節に至るまで共通項がない。だから、純粋に評価ができた。
これは売れないと駄目だ、と直感した。
「愛生さんはいずれ大成する方だと、あたしは思います」
優希がはっきりと断言すると、今村が「そうですか」と脱力して、観念したふうに言う。
「でしたらもう、売り出す際に帯に乗せる推薦文もほぼ決まったようなもんですね。俺とか雲野先生が書くよりも、人気絶好調の友野先生の一押しはさぞかしインパクトが大きいんじゃないですか。ね、編集長?」
「ま、まぁ……そうですな」
「ちょっと、そういう話はまた今度にしてくださいよ」
苦笑いを浮かべながら今村の言葉に乗っかりそうになっている東郷に待ったをかけて、優希は話を本筋に戻す。
「結局のところ、大賞はどうするんですか?」
優希は他の三人を一瞥する。
四人して互いの顔を見合わせた。そして、編集長が言う。
「そうですね。今回は大賞が一本、金賞が二本、銀賞が一本。これでどうでしょうか」
そこに、誰も異論を挟まない。話の流れから、どの作品が大賞になるから優希でもはっきりと分かる。
「今回の新人賞大賞作品は――」
東郷の声を聞きながら、優希は、忘れるはずのない彼女との出会いの日を思い出す。
きっと彼女は覚えているだろうけど、あたしが覚えているとは思ってもいないだろう、あの日のこと。
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