第42話 鉄壁の陥落

「何故追われていたんだ?」


 当時の小さなノーラには分からなかっただろうが、成長した今の彼女なら知っているはず。

 立ち入ったことを訊く様ではあるが、無関係を装うのも何か違う気がした。 


「それは今の私の立場を考えてもらえば解ると思います」


 そう、小さなノーラと混同してしまうが、彼女はもともと特別な存在であることを忘れてはならない。


「つまり、お前が持つだろう超越した技術を狙っていたと?」


 恐らく、この時代にそぐわない技術を体感したのは俺だけなのだろう。

 その一方、文明遺産があると漠然的に知る者達は少なからずいるようだ。


「はい、私は過去の遺産に接することが出来る波長を受け継いでいます」


 いわばそれが、紫の艶がある黒髪を持つ、彼女のような人種の特徴なのだろう。

 しかし、それだけでは説明つかないことがある。


「遺産を欲しがる連中に追われていたのは分かるが、波長なんて誰も理解していないだろう?」


 俺も説明を受けてやっと理解したその概念を、自然に知る者はいないように思える。


「そこで、先程カーシから奪った、例の金属が関係してきます」


 俺は開いた口が塞がらないような衝撃に襲われる。

 まさかそこまでカーシが絡んでいたとは思いもしなかったからだ。

 しかしそれならば、奴のあの異常なまでの彼女に対する執着心に納得がいく。

 戦の混乱にかこつけてノーラを追っていた輩も、彼の差し金に間違いない。


 それと色々あって、俺はすっかり失念していた。

 何故彼女がその強奪を計っていたのかは気になっていたのだ。

 理由はもう分かってしまったが、それを含めてボスは次のような説明を続ける。


 普通の人とはいかなくとも、ある程度の波長を持ち合わせていれば、その金属から一定の波長が読み取れるとのこと。

 その波長は、ノーラのような人種にその金属を託すよう呼びかける、ただの遺言程度にしか過ぎないそうだ。

 そして正統な後継者の手に渡った時、その真価を発揮する。


 残念ながら俺はその波長すら感じられなかったが、恐らくそれは金属を遺した者の意図。

 誰にでも伝えるわけにはいかないが、だからといって埋もれさせるつもりもない、そんなとこだろう。


 カーシも遺言までは受け取れたが、それだけでは気が済まなかった。

 ノーラをも手中にして、その秘密を聞きだそうとしたのだろう。

 勿論そんな不届きな輩が現れることも想定され、金属には制限が施されていた。


 例えば強要、選ばれた人種であっても、自らの意思でない場合は苦痛を伴うそうだ。

 まるで幼子の悪戯を咎めるような仕組みだそうだが、ノーラの説明では相当な責め苦を負うらしい。

 それでもカーシが調査しようとしていた、迷宮最深部の存在まで突き止めたとなると、拷問にも近かっただろう。


 俺と対峙したあの時、一緒に逃げようと言い出したことも尚更不思議ではない。

 俺と逃げられないと知った時の、あの異様な様子も、どうして責められようか。

 自身が追われ続ける恐怖、俺を傷付けてしまった罪、そして突然訪れた望まない別れ。

 それらを全て解決するには、そうするしかなかったのだ。


 その一方で思い出したこともある。


 どちらのノーラにも鬼が反応しなかったこと。

 どちらのノーラも一つの言葉からそれ以上の理解をしてみせること。

 どちらのノーラの芸術も妙に抽象的であること。


 そして大きなノーラは言ってた、この小さな時に同じ様な目に遭っていたと。


 大きなノーラは必要以上に小さなノーラと関わらなかった。

 自分自身が歩んできた道だからこそ。


 小さなノーラとの最小限の接触も必然。

 いずれ大きなノーラとなる彼女には俺と再会する未来があるのだから。



 -----そうして二人のノーラは完全に俺の中で同一人物となった-----



「よかったな、ちゃんと育ったんだよな」


 そんな感慨深い想いに、どうやら俺は酔っているのだろう。

 俺は無意識に彼女の、まだ露になったままの、胸を右手で持ち上げるように触れていた。

 あの時、彼女がこんなに成長することを諦めていたのだ。

 柔らかくも温かい己の手に収まった彼女の成長の証、それらを軽く上下させる。


「変なところ触っちゃ駄目ですよ」


 それは、いつか聞いたことのある台詞。

 大小二人が同時に言ったような気がした。


 ここで彼女の必殺技炸裂、俺の頬を抓ってみせる。

 これで俺の愚行に収拾がつくだろう。


 しかし、かつての涙がちょちょぎれるような痛みを伴うものではない。

 それはとても優しすぎる報復だったのに、俺の目から不意にそれが零れ落ちる。

 いや、優しすぎたから。


 涙が出るから泣きたくなる、そんな理屈は絶対にないと思っていた。

 しかし俺はここでそれを初めて実感することとなったのだ。


「男が泣いていいのは、自分より年上の女性がいる時」


 彼女は俺の様子を覚ったのか、感情のまま流されるよう仄めかす。

 確かに年上なのだが、台詞は小さなノーラのまま。


「そして、目の前にいい胸がある時だけですよ、ほら」


 こんな時、普通、今に当てはまらない例も挙げるはず。

 例えば、小指を角にぶつけた時とか、業物の剣を失くした時とか。

 それらも該当することを主張しようとしたが、感情の方が先に溢れ出す。


 俺は彼女の胸を、その言葉のまま、借りた。

 俺は剣士として多数の命を犠牲にしてきたが、心の奥底から望んだ結末ではなかった。

 諦めていた命がこうして還ってきたのは初めてのこと。


 そんな俺の心情を理解してくれているのか、彼女はただただ俺の頭を優しく抱きしめる。



「ひょっとしてお前、酔っているのか?」


 どれくらいの時間が経ったのだろうか、俺は自分の顔を上げて彼女に問いかけた。

 俺の知る限り、彼女がこんな大胆な行動に出るのは限られた場合だけだ。

 勿論今の俺が言えた義理ではないのだが。


 ちなみに離れてしまった肌の感触が惜しいと思えるくらい、俺は冷静である。

 それが冷静といえるのなら。


「あら、私は約束しましたよ。お酒は一生飲まないと」


 彼女は永年その約束を守っていたのか。

 いや、守られていたかどうかではなく、いまだに覚えていることが感慨深い。

 言葉だけかもしれなかったが、年齢に相応しないその健気さは確実に俺を腑抜けにさせてしまう。

 しかしながら破られた約束もあるようだ。


「で、なんで外套の中は裸なんだよ? それもやめるんじゃなかったのか?」


 俺は今更それを責めるつもりはないのだが、照れ隠しの一種であるのは秘密だ。


「それは、前掛けをしている場合の話ですよ?」


 根本的なことから違っているので、それは屁理屈のような気がしなくもない。


「一体いつからそんな高度な趣味に目覚めたんだ?」


 俺は婉曲な言葉で表現するが、皮肉だけは言っておいた。


「実を言いますと、素肌での感触が癖になってしまったのです」


 皮肉を皮肉とも思わないその返しで、俺は呆れたように問う。


「お前、本当の本当にあの小さなノーラなのか?」


 はたして、俺は考え改めなくてはならないのだろうか。

 それともこれは、それはそれは甘い夢なのか。


「嘘だと思うなら、見比べてみます?お股のところに同じホクロがありますから。」


 ノーラは肌蹴た外套をそのままにして、もう一人の方を指差した。

 本当に確かめてみたい気にもなったが、本気にすれば今度こそ痛い目を見るのだろう。

 それよりも彼女の健気さと馬鹿馬鹿しさのあまり笑ってしまった。


 また涙が出てくるくらい盛大に。


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