第43話 巡り合わせ

「これから一緒に逃げるかい?」


 彼女は禁酒だけではなく、綺麗にもなった、俺好みの女にもなった。

 遊んで暮らせるとは違うが、ある意味俺の面倒もみていたことになる。

 ついでに、戸締りの習慣もちゃんとついているようだ。


 だから俺には、その守られた約束に対して応える義務はある。

 逃げるというのは彼女の言葉を借りただけであって、本気でそうするつもりはない。

 ただ、これから彼女の行動に付き合っていくという意味だ。

 魔王はクビになったが、結局は現状維持といったところだろうか。


 彼女は嬉しそうに微笑んでいたので、返事はもう決まっていると思っていた。



「私はもう歳を取りすぎたわ」



 ノーラの言葉使いは、再びボスのそれとなっていた。

 肯定であるか否定であるかは直接言及しなかったが、その切り替えが否という答えなのだ。

 外見は若いままとはいえ、彼女が俺の何倍も生きてきたのなら、何かと思うところがあるのだろう。


「それに、あなたはまだ左腕が動くのよ」


 腕のことが要因になっていたのかは定かではないが、彼女がそう言うのならその流れに従うまで。

 確かに俺は左腕が動く限り、為さなければならないこともある。

 しかし、その目標となる存在は当面俺の目の前に現れそうもないのが現状。


「最後の力添えは致しましょう」


 俺が言わずともボスは理解していた。

 俺の求める条件がそんな都合よく揃えられるとは、正直、信じられない。

 しかしボスが言うのなら間違いない。


 既にその準備が整っている様子で、彼女は話を続けながら、俺にとあるものを渡した。

 一体いつから仕組んでいたのだろうか、本当に至れり尽くせりである。

 そして彼女は俺について来るように告げて、小さなノーラが横たわる部屋を後にする。




「この通路を道なりに進みなさい」


 彼女は俺に行くべき道を淡々と指し示すが、俺はそれが何だか寂しかった。

 先程の感動が遠い昔にされたような気がする。


「俺はまた、あんたに会うことになるのか?」


 女々しいようだが、名残惜しさが後を引く。

 小さなノーラも、俺と別れる時、きっとこんな心情だったのだろう。

 そう思うとボスの素っ気無さも責めることは出来ない。


「知っていたことは話せるけど、知っていることは話せないわ」


 それは謎掛けのような台詞だった。

 未来を知る彼女なら既に俺の行く末を知ってはいるだろう。

 やはり、それを口にするのは厳禁なのか。

 俺は彼女の表情から何かが得られると考えて、暫く彼女の顔を見つめた。

 しかしその口調よろしく、謎しか残らなかった。


「あんたはこれからどうするんだ?」


 俺は少し質問の方向性を変えてみた。

 未来のことは話せないとしても、これからの予定なら問題ないだろう。

 このまま未来へ帰るくらいのことを言ってくれれば、少なくとも、下手な未練は残らない。

 もう会えないと分かるだけでも目っけ物なのだ。


 しかしながら、そういったことは一切聞き出せなかった。

 

 ボスのこれからとしては、先ず、小さなノーラの処遇をどうするかであった。

 小さなノーラが意識の無い状態ならば、当然ボスにもその間の記憶がないことになる。

 つまりこれから何をどうするのかは全くの手探り状態なのだ。

 問題は小さなノーラが未来の自分を認識してしまうこと。

 意識を取り戻す前に蘇生措置を終えて、ボスは小さなノーラから離れなくてはならない。

 その匙加減が難しいところ。


 それでも、ボスはそんなに考え込んでいる様子ではなかった。

 結局、彼女が自分でここぞと思ったタイミングでことを為せば、それが自然な流れとなるだろう。

 現に、かつては小さなノーラだったボスは問題なく今ここにいるのだから。


「それじゃあ、世話になったな」


 俺には、また彼女と再会できるかどうかなんて、分からない。

 例えその確率が高くても、世の中、絶対なんてものもありえない。

 だから俺は人と別れる時、もう会えないつもりでいる。


「ええ、悔いのないようにね」


 彼女は別の意味でそう言うが、この別れに関しても俺には悔いはない。

 二人のノーラとの思い出も悪くない方向で構築できたのだから。

 これで晴れて最後の舞台へと挑むことが出来る。

 彼女が言う意味でのそれも残さぬように。




 俺はボスの指し示す地下通路を延々と歩いていた。

 カーシの屋敷に向かった時と同じ無機質な空間である。

 目的の地はかなり遠い場所らしく、空間転移を用いるそうだ。


 見たことはあるが実際体験するのは初めてなので、心臓の鼓動がいつもより激しい。

 跳躍の注意点として、あまりにも距離があることで身体に副作用が出るとのこと。


 俺の聴覚には既に雑音が入り、固い床を歩いている自分の足音に濁音が感じられる。

 視覚的には色彩が失われていたが、周りが濃い霧のような靄に包まれていったので違和感はあまりなかった。



 俺はここでボスから渡された代物を手に取る。

 それは白い仮面、楕円型の顔面に視覚確保の為の二つ穴が空いているだけの単調な作り。

 視界が狭くなるので、あまり俺は装着したくなかったが、相手も同じ条件とのこと。

 俺が出会うことになっている人物も同じ仮面をしているそうだ。

 お互い、それが目印にもなるのだと。


 ボスは他に何も述べなかったが、あえて言うなら救済措置みたいなものだろう。

 相手が俺を剣聖、もしくは魔王と知ってしまうと萎縮してしまうかもしれないと。



 仮面のことについて考えている内に、俺は周りの気温が極端に冷え込んできていることに気付く。

 今まで俺が歩いていたのは人工の通路であった筈が、いつの間にかむき出しの地面となっていた。

 それは一瞬の出来事だったようで、跳んだという実感はなかった。

 足音も場所に不相応な響きとなっていたことから、感覚はまだそのままであった。

 しかし辺りの霧が少し晴れてきたことで、ここはもう地下ではないことが知れた。


 地面には大きな裂け目が待ち構えていたが、俺にはこの場所に思い当たる節がある。

 きっとボスは、俺との初対面の際、同じ方法をとったのだろう。

 そう、ここは墓場、俺が一度剣を諦めかけた霊峰。

 ボスはなんと味なマネをしてくれたのだろうか。

 俺の最終到着地点としては、これほど相応しい場所はない。


 そして前方から人の姿が確認できた。

 俺と同じ様に仮面を被っているので、顔まではわからない。

 その姿形からして、知り合いの類いではないだろう。

 華奢ではあるが、どちらかと言えば俺もそうだ。

 だから、自分で言うのも何だが、見かけで判断は出来ない。


 俺は徐に刀を抜いた。


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