第31話 未来なき少女
「ダメだな」
俺の言いたいことはそれだけではなかったが、ここで問答してもきりがない。
堂々巡りを阻止するために、俺の答えは簡潔に済ませる。
「どうしても駄目、ですか?」
「ああ」
「だったら!だったら、私と一緒に逃げて下さい!」
彼女がそう言い出した途端、カーシ達があわてふためく。
「な、何を言っているんだ?それでは約束が違う!」
彼の筋書きとは違う話の流れとなっているのだろう。
奴の望みは、どんな形であれ、俺が迷宮から姿を消すことだと思っていた。
しかしそれと同等かそれ以上に、彼女の存在が必要とされているようだ。
カーシは尚何かを言わんとしているが、それでも少女は続ける。
「あの時言ったように、私が一生お仕えしますから!」
恐らく彼女は、カーシの支配から逃げられない何かを約束させられている。
大方、事が済めば奴の息子との縁組も余儀なくされているといったところか。
そうだとすれば、先程の彼女の発言は裏切りそのもの、これで立場がかなり危ういものとなっただろう。
下手をすると奴隷のような扱いを受けることになる。
「折角だが、それもダメだな」
しかし、どれもこれもあくまで俺の想像でしかない。
例え現実がそのとおりだとしても、今の俺には彼女よりも義務を果たすべき人がいるのだ。
「では、どうすれば聞き入れてもらえますか?」
俺は彼女が段々とその心を鎮めているのを感じた。
それは殺気に近いものだったかもしれない。
「そうだな、俺の未練、俺の左腕を断ち切ることができれば考えるさ」
ここにきて俺の教えが忠実に守られていることは嬉しくもあった。
彼女は覚悟を決めたようにかつて俺の飾りだった剣を抜く。
抜いた以上容赦はしない、一剣士として。
そう教えていたはず、師の最後の言葉として。
「わ、わかりました。で、では、じ、尋常に…しょ、勝負です」
ここで俺は大きな勘違いをしていたことに気付く。
彼女は決して冷静になっていなかった、その青ざめた顔は危険の兆しであったというのに。
人は激情に駆られると、大抵、頭に血が昇り顔が赤くなる。
しかしその度が過ぎると逆に青くなるのだ。
つまり彼女は静かに半狂乱となっていた。
この状態では、とても本人とは思えない攻撃的な行動をとる。
俺に剣を向けたのもそのせいなのだろうか。
彼女をここまでさせたのは、やはり俺の推測が正しかったからだろうか。
俺と逃げるという選択肢が潰されて、完全に退路を絶たれてしまったのだ。
つまり彼女が剣を抜いたのは覚悟ではなく、狂気。
それなら、それごと打ち払ってやることが、唯一の慰め。
俺は姿勢を低くして、腰に差している刀の柄に手をかける。
「はったりです!彼があなたを殺せる筈はありません!」
俺の動作を察知したカーシは、横槍をいれてくる。
「聞き分けがないのなら、そのまま……」
カーシが更に煩い言葉を続けようとしていた時、俺は刀を抜いたと同時に突き刺していた。
一握りの希望からも見放された、その少女の胸元に。
-----辛いだろうこれからも、これで終わりだ-----
ノーラは大量の出血を伴って、そのまま後ろに倒れこむ。
それと同時に叫び声が響く。
それは、ここには見えない者の声だった。
「ノーラちゃぁぁぁぁぁぁん!いやぁぁぁぁぁあ!」
金切り声の主はサミエであった。
妹分が心配で物陰に潜んでいたのだろう。
彼女が走り寄ってくるのを感じると、俺は反射的に刀を握り直す。
「駄目だ!今、彼に近付いては!」
リンデが間一髪、飛び出してきたサミエを羽交い絞めにする。
「いやっ、放して、放してよぉ!」
「今行けばお主でも確実に殺されるぞ!それが剣聖と呼ばれた男の本能なんだ!」
そう、そのとおり、女流剣士がサミエを止めなければ、俺は躊躇いなく彼女を斬っていた。
ノーラの元に駆けつけると思わせて俺に飛び掛ってくる可能性、数々の泥沼を経験してきた戦士としては否定できない。
たとえ丸腰だったとしても死に物狂いで足止めされては、第三者がそこを狙ってくるのである。
リンデは戦場がどのようなものかを知っている。
俺がノーラを殺めることも想定内だったのだろう。
「せ、先生……」
ノーラは虫の息で俺に何かを告げようとしていた。
俺が繰り出した突き、その手応えではもう助からない。
恨み言があるのなら聞いてやらなくもないが、どうやら邪魔が入りそうだ。
「お願い、リンデ、やっぱり放して!」
ノーラにまだ息があることを知ったサミエは再びもがき始める。
「だめだ!今お主が動けば彼女の最期の言葉は誰にも届かない!」
そんな彼女に対して、女剣士は続ける。
「戦地で人を看取ることが出来るのは、あくまで自分の安全を確保出来る時だけなんだ!そして彼女が選んだのは私達ではない!」
それを聞いたサミエはおとなしくなり、ただむせび泣くだけだった。
大声を出してしまえばそれこそノーラの言葉は届かないのである。
「わ、私は……悪い……娘でした」
ノーラはリンデとサミエの声が、もう聞こえなくなったのだろうか。
彼女の目には恐らく俺も消えかかっているのだろう。
その一方、俺は彼女だけに神経を集中させるわけにはいかない。
今しがたカーシ親子が恐れをなして逃げ出していったところだ。
油断させておいて、またやってくる可能性はなきにしもあらず。
悲しい性はどこまでも付き纏う。
「本当に……悪い……娘でした……」
最期の力を振り絞って、彼女は続ける。
それはこんな不毛なことに関わった謝罪なのだろうか、俺には漠然とし過ぎていて理解出来なかった。
「すべて……私のせい……なんです……」
その言い方からすると、もっと広い意味でのことだと思われる。
しかし俺には全く見当がつかなかった。
「御免……なさい……本当に……御免……なさい……」
それをわざわざ掘り起こす場面でもない。
ただ言わんとすることを聞いてやるだけなのだ。
彼女の過去同様、知らない事がただひとつ増えるだけなのだから。
彼女はそれ以上何も言わなかった、いや言えなかったのだろう。
それぐらい息も絶え絶えだった。
俺がその場を離れるのと同時に、サミエとリンデは彼女に駆け寄っていった。
俺がそのまま奥の間に足を進めていると、再び嘆き声が木霊する。
二人はひとしきり悲しみに暮れていたが、いつのまにかノーラの亡骸共々迷宮を去って行った。
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