第26話 去る者の務め

「お前はもう剣術において免許皆伝だ。俺が教えることは殆どないさ」


 俺はノーラの頭から手を離し、これまで書き留めていた例の冊子を懐から取り出す。

 それは固い皮で覆われているので結構分厚い。

 数日前にやっと完成させたのだが、こんなに早くに渡すとは思いもしなかった。


 奥義書なんて大層な代物じゃないが、今後の参考にはなるだろう。

 中には今の彼女が学ぶには不相応なこともある。

 個人的にはリンデが付いてくれればと思うが、俺の勝手な願望にしか過ぎない。


 それで納得するノーラではなかったが、俺の剣術は戦場で培ったものだと説明する。

 つまり、ある程度手解きされた後は、己の判断で経験を積むことこそ俺が謳う流儀なのだ。

 ずるい話になるが、彼女が俺を先生と仰ぐのであれば、それに従ってもらうしかない。


 そこまでは彼女の師としての話で、もうひとつ遺すことがある。

 俺が置いて行くのは彼女だけではなくて、我等が道具屋も然り。

 つまり彼女は免許皆伝を受けた一剣士であり、一国一城の主にもなりえる。

 とはいってもほぼ建物としての価値しかない店であるが、売り払えばある程度まとまった金にはなる。


 それを元手に旅立つもよし、リンデが話していた剣術指南所の生徒となるのも彼女の自由。

 サミエ達との関係を保つのなら、癪ではあるがカーシの傘下に入るのもそんなに悪くはないのかもしれない。

 

「最後に…、ひとつ…訊いてもいいですか?」


 これで別れることを察した彼女は、少しでも俺を繋ぎ止めようとしているのだろうか。

 その表情はまだ懇願しているようにさえ思える。


「どうして……ですか?」


 質問としては漠然とし過ぎいるが、答えられないわけではない。

 しかし真実を伝えることは躊躇ってしまう。


「それは大人の事情ってやつで……」


 俺はそこまで言いかけるが、矛盾点に気付いて言い直す。


「いや、大人というより子供だな。俺はこの動かなくなった腕を取り戻したいだけの為に、奴等と契約を結んだんだよ」


 そう、これは単なる俺の我侭そのもので、大人の云々で済ますのはおこがましい。


「腕が……治るのですか?」


 ノーラの問いに答える代わりに、俺は懐から左手で短剣を取り出し振るってみせる。

 彼女は暫く驚いているようだった。


「そう……ですか」


 そして彼女は観念するように呟く。


「それなら、私はもう……」



「何か言ったか?」


 彼女が言いかけたこと、一体何だったのだろう。


「いえ…」


 しかし、彼女がそう言うのであれば、最早深く追求はしない。

 何故なら、それよりも俺から言っておくべきことがあるからだ。


「ならば、今をもって俺には関わるな。もし近付けばお前を斬らなければならない、敵としてな!」


 最後の質問に答えた以上、けじめはつけなければならない。

 未練のないように言葉で彼女を切り捨てる。


 彼女はこれ以上俺に関わらない方がいいのだ。


「……わかりました、い、今まで……本当に……お世話に……なりました!」


 そう言って頭を深々と下げる彼女の顔は見えなかった。


「どうか……お達者で」


 俺が彼女を敵と見なしたことに傷心したのだろうか、急いで住居の方へ駆けていく。

 その後姿が見えなくなるまで、俺は彼女を見送っていた。


『ああ、お前もな』


 それは誰も聞くことのない台詞であった。




「そろそろ出てきたらどうだ?」


 俺は傍らでずっと張っていた人物に向かって声を掛けた。


「あら、やっぱり気付いていたのね」


 それはサミエである。


 俺が覆面の男達の前を歩かされて迷宮を出た時に、ピンク色の前掛けが物陰に隠れるところを目撃したのである。

 それに該当するのは、俺の知る限り三人しかいない。

 ノーラは俺の後ろで人質となっており、緊急時とはいえど剣士のリンデがその姿で出歩くとは思えなかった。

 勿論彼女は前掛けを仕事用に着こなし、人前に出られる格好であることを補足しておこう。


『おい、下手に動くと死ぬぞ?』


 俺があの時そう言ったのは、彼女が飛び出してこないように釘を刺すことが一番の目的であった。

 結果的に男共を萎縮させたのではあるが。


 俺は何故サミエがこの場にいたのか問いかける。

 彼女が言うには、閉店時に覆面の男数人が誰かを拉致して去って行くところを見かけたとのこと。

 隣を確認するとノーラの姿はなく、ひょっとすれば彼女ではないかと後を追った。

 方角的にはこの迷宮に向かうことになり、ここでどうしていいか迷っているところ、俺達が現れたそうだ。

 そして俺の声に従って、息を潜めていたのだろう。


「全部、聞いていたんだよな?」


 俺が彼女をあえて放っておいたのは、同じことを説明する手間を省くためでもあった。


 全てを知った上で彼女は、ノーラとの別れの最後にあの物言いは酷いと俺を批判する。

 それがお互いの為だと言い聞かせても、それなら彼女も連れて行くべきだと反論される。


 俺はノーラを巻き込んで、彼女も得体の知れない者の使いとして認識される危険性を説く。


「ノーラちゃんは、いつも貴方と一緒に居たのよ?さっきの奴等が貴方のことを世間に広めれば、彼女も同様のはず。今更彼女だけ庇い立てしても、もう遅いのではなくて?」


 確かに彼女の言うとおり、いつもの俺ならそう考えただろう。

 しかし、そこには例外があることを彼女は知らない。


「一つ確認するが、カーシがまだノーラに執着しているのは間違いないのだろう?」


「え、ええ、それはそうだけど、それが何の関係があるのかしら?」


 俺が質問を質問で返したことにより、サミエは俺が話を逸らしていると思ったのだろう。

 しかし、俺が狙われたのはカーシの差し金と断定してもいい。


 その根拠として次のことを挙げる。


<俺の右腕のこと>

 サミエにしか詳しく話しておらず、彼女が易々と他人に話すとは思えない。

 しかし、カーシの部下としては報告しなければならなかったかもしれない。

 数日前、突然右腕の心配をしたのは、止むを得なく報告してしまった罪悪感からだろう。


<懐の短刀のこと>

 その存在は俺とサミエの元護衛役しか知らないはず。

 覆面の男は、俺が隠し持っていた処と得物を具体的に言い当てた。

 元護衛役が覆面男の一人、もしくはカーシの雇われ人の可能性が大きい。


 勿論これら全てに確たる証拠はないが、これだけの偶然がそうそう重なるとは思えない。

 それを感じ取ったサミエも、納得せざるを得ないだろう。

 カーシの策略だとすれば、奴はノーラの立場を間違いなく保障する。

 奴の力なら俺だけを悪者にすることが出来るだろう。


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