第15話 弱き者故に
結局ノーラは酒だけではなく、そのつまみとなるものも随分と注文したようだった。
それも結構値の張るものばかりで、食べ盛りの食事代わりにされては堪ったものではない。
『だって量が少ないです』と言い訳されたが、これは酒場のことをちゃんと教えなかった俺が悪かった。
ノーラに酒を提供した店側にも問題があると思ったが、彼女が俺達の代わりに注文したと思い込んでいた模様。
これも俺の監督不行き届きという落ち度であった。
そして少しは余裕のあった貯蓄も底をつくどころか、今回の飲み代すら満足に払えない状況となったのである。
サミエが代金を持ってくれると進言してくれたが、ここで甘えては勝手に酒を飲んだノーラの為にもならない。
彼女にも借金があるのだから尚更、丁重に断ることにした。
払いきれない代金はツケにしてもらい、その担保としてノーラを酒場の配膳係として派遣することで店主との話をつけた。
勿論いかがわしいことは抜きにする約束はしてもらえている。
一応は年頃の娘なのだから。
暫く看板娘がいなくなることで、道具屋としての方針をじっくり考える時間もあった。
しかし、いつまでも彼女を酒場で預かってもらうわけにはいかない。
結局俺はボスの下へと赴き助言を授かることにしたのだ。
「別にあなたがこれ以上、道具屋を続ける必要はないのよ」
それがボスの一言目だった。
最初は嫌味かと思ったが、そうでもなさそうである。
「一軒しかなかった店は『街』という社会を形成するまでに至り、その点においてはあなたは十分に役目を果たしたことになるわ。もう他に任せることができるのであれば、このまま店じまいをしても何の問題もないわよ」
そしてそれは思いのほか任務完遂のお達しであった。
「ご苦労様でした。借金をしているのであれば、あの店を手放すことも可能だけど?」
「そうなのか?」
店を売り払ってしまうほどのツケをしているわけではなかったが、その決定権があることに俺は内心驚いていた。
確かに俺が苦労して建てたのだから当然といえば当然である。
下っ端根性が染み付いてしまったのだろうか。
「ええ、その代わり次の条件までは宿無しってことになるわよ?」
実のところ俺はまだその次なる条件を知らされていない。
つまり、少なくとも当分は野営生活になるかもしれないのだ。
野郎は良いとしても年頃の娘はそうもいかない。
正体がばれる可能性もあるので、ボスにノーラのことは頼めないだろう。
「それも困るが、このまま引き下がるのも癪だしな」
そう、あのカーシの策略通りになってはさすがに面白くないのである。
どんな形であれ、俺が彼女を保護しきれなければ奴の思う壺。
「それにあの小娘ちゃんの修行に付き合うのも、あなたが道具屋である内ですものね」
「ちぇっ、それもお見通しかよ?」
ノーラが弟子入りを懇願してきた時、俺が教えるのはこの地に定着している限りという条件であった。
俺が道具屋という居場所を放棄すれば、自動的にノーラの修行に付き合うことは出来なくなる。
それはいずれ訪れる必然なのだが、今彼女が剣術を止めるとなると惜しい気もする。
最近の彼女の成長振りは目を見張るものがあるのだから。
「そのことで、ひとつ聞いていいかしら?」
「いいぜ」
流石の彼女にも直接聞かなければ分からないこともあるらしい。
「あなたは何故あの小娘ちゃんを迎えることにしたのかしら? その気になれば、もっと屈強な男を選べば最強の弟子を育てることも出来るんじゃなくて?」
確かに俺は様々な強面から剣術指南を求められたが、俺の腕が機能しないことを知って多くの者が諦めていった。
中にはノーラのように、それでも構わないという輩もいたが、俺はことごとく断っていたのである。
「そうだな。俺は前々から思っていたことなんだが、もともと強い奴が更に強くなるのは不公平じゃないかってね」
「そう言われると、分からなくもないわ」
ボスは話を続けさせるように相槌を打つ。
「ご存知の通り、俺は生まれつき体も決して丈夫ではなかった。だから乱世を生き抜く為に、もともと強い奴より色んな物事を犠牲にして『剣聖』とまで言われるようになったんだ。そんな剣術だからこそ、強くなりたいと考えている弱き者に継がせてやりたいんだよ。だから女の子が弟子ってのも分かり易くていいだろう?」
俺はこんな自分で言ってて恥ずかしいことを口にする気はなかったが、何故か彼女の前では素直に白状してしまう。
なんとも不思議なものである。
「なるほどね。でも小娘ちゃんには剣術よりも、お隣のお姉さんだと考えて行動したんでしょう?」
何ともやり難い御婦人ちゃんであった。
知らないこともあるかと思えば、俺が心の奥底に秘めていたことはあっさりと看破してしまう。
彼女は一体どこまで俺のことを見透かしているのか、皆目検討もつかないのである。
俺がサミエに接触したのは、ノーラの行く末を考えてのことだった。
いくら俺がカーシに抵抗を試みようとも、俺がボスに従う限り、そう遠くない未来にノーラを手放す時がくるのだ。
その際彼女がカーシの手に落ちたとしても、サミエが何とかしてくれるかも、そんな淡い期待をしてのことである。
これは俺が勝手に企んでいるだけで、全く上手くいくとは思っていないし、多分思ってはいけないことなのだろう。
しかし俺がノーラの保護者的立場でいる限り、責任転嫁と言われようが可能性の種は蒔いておくことにしたのだ。
財力もそうだが、必要なのは何時いなくなるか知れない輩より、一生の付き合いが出来るだろう相手である。
「ひとつ言っておくけど、女を弱いと決め付けるのは浅はかよ」
そう、俺が柄でもないことを考えるのは、ひとえにノーラが弱い存在と認識しているからだ。
だからこそ俺の剣術を学ばせるにも値する。
しかし、どういう意味でボスがそう言ったのかは分からない。
「覚えておくとするさ」
目の前の女性にあてはめるのなら、それは全くもって間違いないとしか捉えようがない。
よって俺は一言添えておくことしかできなかった。
その後俺は本題に入ったのだが、結局彼女の案としては、先日の自称剣聖事件のように挑戦者が落とした金品を利用することである。
俺としてもその考えはあったのだが、やはり良心が咎めるのであまり気乗りはしない。
そこで俺は道具屋の一環として紛失物奪還請負を始めることにした。
つまり挑戦者達が得物を迷宮内で奪われたことを届け出れば、一定の適正価格で捜索するといったところである。
そうすれば相対的に人の恨みを買うこともないだろう。
この事業を始めて最初の二、三日は全く商売にならなかった。
しかし、たまたま発生した一件の事案をこなすとそれが評判となり、今となっては最低一日一件の依頼を受けるまでに至る。
たった一件といっても元手が無いに等しいので、料金がそのまま儲けとなり、道具の販売だけで商っていた頃より一日の儲けが大きい。
ある程度稼げるようになった頃にはノーラも看板娘に復帰し、午前中は受付及び取引、午後は店を閉めて剣の稽古に励むといった余裕さえできた。
そんな無理のない環境でノーラは更に腕を上げ、ある程度なら自分の身を守れるようになった。
少なくとも俺はそう自負している。
酒場の件以来、サミエとの関係も良好である。
店は隣同士でも商品が被っていないことからカーシの目論見は外れることとなり、一先ず都合よく物事は進んでいるだろう。
俺が直接顔を出すわけにはいかなかったが、ノーラがちょくちょくサミエの店で彼女と雑談に興じるようになっていた。
酒場では未遂に終わってしまったが、サミエはノーラを勧誘する努力は怠っていない、表向きではそんな体裁が保てるようだ。
彼女が本気で引抜を考えているかどうかは定かでないが、まだそれらしいことを匂わせていない。
それは彼女達が今のままの関係で満足している共通意識かもしれなかった。
それどころかサミエはそれを逆手にとるような行動に出てきたのである。
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