第7話 店の看板娘
「店長、お客さんです」
俺を呼ぶ彼女の名はノーラ、この店の看板娘だ。
元々剣士だった俺は客商売に向いていなかったが、そう言う意味でも彼女は有能である。
だから俺の役目はもっぱら店長兼店の用心棒と化していた。
「店長に会いたいって人が来ています」
奥から顔を出す俺に、彼女は紫色の艶がある黒髪をなびかせて近寄ってきた。
「何て奴だい?」
「それが、会えば分るって言って聞かなくて……」
そういった客をあしらうのは他ならぬ俺の役目だ。
俺との腕比べを望んでいるのであれば、黙って帰ってもらうだけであるが。
「あんたが、『元』剣聖かい?」
俺を待っていたのは小生意気そうなガキだった。
俺も見る人から見ればまだまだケツが青い、よってこんな表現はしたくない。
しかし実際こういう奴がいると、そう口走ってしまう年長者の気持ちが解らなくもない。
名乗る礼儀すら知らぬ輩はヒヨッコ同然である。
「誰だい、お宅?」
勿論俺がそんな奴の名前さえ知る由もない。
「知らぬとは言わさ……」
「知らん!」
随分と勝手な言い草であったので、それすら奴に言わさなかった。
「おいおい、俺はあんたの次にその称号を得る男だ。それぐらい知っとけよ、ったく!」
男は一瞬絶句するが、一息置いたところで悪態をつく。
次期剣聖を自称するぐらいだからそこそこの腕があるのだろうが、大方誰かがおだてたのを真に受けているのだろう。
そんな軽率な言葉を掛けた、会った事もないだろう誰かさんを、俺はほんの少しばかり恨む気持ちとなった。
「ノーラ、お前知ってたか?」
俺は一応第三者に確認を取った。
「知っていたら訊いていません」
当然ながら、この地で俺と同じ様な生活をしている彼女に聞くのは酷だったかもしれない。
「おい手前ぇ、表へ出ろ。是非ともご指南頂こうか、『元』剣聖さんよぉ」
可愛い女の子の前で恥を掻かされたと思ったのか、彼は自分の実力を示して見せようとしているのだろう。
元というところを嫌に強調していることから考えると、俺がまともに剣が振るえないのを見越している、全く不愉快な奴だ。
「ちょっとお客さん、買い物しないなら出て行って貰えません?」
怪訝な面持ちでいる俺の代わりに、我慢ならなかったのかノーラが先に口を開いた。
「ふん、女に守られるとは落ちぶれたものだな、『元』剣聖さんよぉ」
すっかり女の子を敵に回した彼は、捨て台詞とともに去って行こうとしている。
「何ですって、言わせておけば……」
それを更なる侮辱と受け取ったのか、我が看板娘は興奮状態となりつつあった。
「ノーラ、やめとけ。あれでも一応は客だ」
「でも……」
俺の一声で彼女は不満が残るも何とか自身を抑えた。
「へっ、こんな店二度と来るかよ!」
自慢ではないが、一見この店は看板娘以外際立つものは無い。
その取柄に嫌われては用なし同然なのであろう。
「参考までに聞かせて欲しいんだが、お宅のその剣、売るとすればいくらぐらいで売る?」
奴が去る間際、俺はあえて商売人としてその価値を尋ねてみた。
勿論それは売るために持参しているのではないだろうが、彼には不相応と言っても過言で無いほど良い剣である。
「ほう、商人に鞍替えしたのは、満更間違いではなかったようだな」
それは俺がいかに剣士としてのプライドを無くしてしまったかのような物言いであった。
俺の目利きは商人というより、鉱石と武器に半生を左右された経験則であるのだが、それを知ってか知らずか彼は続ける。
「金貨一千枚といったところだ。鐚一文負かるつもりはねぇ」
それはその剣にしても法外な価格で、この店が二、三軒買収出来そうなくらいである。
彼はその得物に自分のプライドを掛けていることを明らかに強調していた、まるで俺をとことん追い込でいるかのように。
そうして彼はせせら笑いながら去っていった。
「店長、あそこまで言われて悔しくないのですか?」
奴さんの姿が見えなくなる頃には、ノーラは完全に不貞腐れていた。
「いつも言っているだろう、そういう感情にも耐えてこその剣士だ」
彼女にはいささか厳しい言葉であったが、その心境は分らなくもない。
そこで俺はもう一言付け加える。
「ひょっとすれば奴さん、その報いを受けることになる。剣士として一番嫌な展開でな」
俺は片目を瞑って見せたが、そんな曖昧な言葉に彼女は未だ納得いかない様子であった。
「やれやれ、仕様が無いな。これから稽古つけてやるから、今日は店じまいするぞ」
それ故、俺はその発散場所を提供するしか他ならなかったのである。
我が道具屋は店長と看板娘だけのこじんまりとした店なので、何か用事があれば閉めるしかない。
数日に一度の仕入れの為に休業する日もあるが、今回は彼女の機嫌取りの為である。
そんな臨時休業の多い店ならば迷宮への挑戦者にとって不都合であるが、この街が発展したおかげで良くも悪くもライバル店が現れ、絶えずどこかしらの店が営業している。
勿論そんな店は潰れてしまってもおかしくはないのだが、独自の営業戦略で少なくとも食っていけるだけの利益はあり、彼女への報酬もこうして俺に師事するだけで十分なのだそうだ。
彼女が来た当初は半ば押しかけのようなもので気が乗らなかったが、色々とあった末、弟子入りを許可したのである。
やけに若い嫁を貰ったと勘違いするお客も多かったが、俺は彼女の倍位の年齢であることから、少なくともそんな気にはならない。
しかし最近は随分と女らしい見かけとなってきているのは事実である、あくまで見かけであるが。
「先生、ではお願いします」
彼女は店から出ると誰から言われることなく俺を先生と呼ぶ。
それだけ剣術に真剣なのだろう、師である俺が馬鹿にされて感情的になるのも分るような気はする。
それが嬉しくないと言っては嘘になるが、それを許してしまっては本末転倒。
心の揺らぎにつけこまれてしまえば、それが命取りにもなるのである。
彼女がそれを理解するには未だ若い。
そう思いながらも俺はとあることに気付かされてしまう。
あれだけ心乱れさせられながら、彼女は正確に教えられたとおりの型で木刀を振るっている。
多少の荒さは許容するつもりであったが、そんな必要はなかった。
もし彼女が完全に自身を制御出来れば、とんでもない剣士になるのではないかと想像もしてしまう。
ともあれ、それは未だ次元の違う話でしかない。
彼女には自分の身を守れるだけの剣術があればいいと、今の俺は考えている。
彼女が剣をとる時代が訪れないことを密かに願いながら。
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