おいしい紅茶の淹れ方
ポール石橋
おいしい紅茶の飲み方
困ったことだ。一体「おいしい紅茶の入れ方」とはどのようなものなのだろう。気になって仕方がない。このままでは夜も眠れない。
私は別に紅茶が好きというわけではない。紅茶を自分で淹れたこともなければ、飲みたくなったりすることもまずない。茶葉の種類だって全く知らない。それらを変えたところで何が変わるのだろう?香りだろうか?味だろうか?そんなことはさして気にならない。
しかし、どうしても、なぜだかわからないが、無性に「おいしい紅茶の淹れ方」が気になってしまう。不思議なことだ。紅茶自身に興味があるのではなく。ただその淹れ方に興味があるのだ。
知りたい。知りたい。一体どういう淹れ方をすれば紅茶は美味しくなるのだ?いくら考えても、家の中でじっとしているだけではその答えは分かりそうにない。私は読みかけの本を捨てて家を出た。目指すのは町の方だ。町にはたくさんの人がいる。きっと「おいしい紅茶の淹れ方」を知っている人もいるはずだ。
町に着いた。人々が慌ただしく歩いている。皆、何をそんなに急いでいるのだろう。どうも町というところは何度来ても慣れることが出来ない。ここにいる人々は常に何かを行っている。自分のすべきことを探して、それを実行している。そういうところがどうも自分にはしっくりこないのだ。だからよほどのことが無い限り町には来ないようにしている。最も今はその「よほどのこと」があるわけだ。
さて、どうしたものだろう。誰に聞けば私の求める「答え」が得られるのだろうか。ここで喫茶店に聞きに行けばよいという考えを採用してはいけない。そういうことでは無いのだ。
とりあえず道行く人に聞くことにしよう。丁度一人の若いサラリーマンが近くを通り過ぎようとした。さあ、勇気を出して聞いてみよう。
「すいません、ちょっといいですか?」
「…はい、何でしょう」
実直そうな男だ。まっすぐな目をしている。この男なら、あるいは私の問いに対して親身に答えてくれるかもしれない。
「聞きたいことがあるのですが、一体『おいしい紅茶の淹れ方』とはどのようなものなのでしょう?」
「…はい?」
男の顔が警戒の色を見せ始めた。
「ですから、『おいしい紅茶の淹れ方』とはどのようなものなのでしょう?」
「…」
男は黙りこくった。その目からは恐怖と軽蔑と同情の色が読み取れる。
「ですから…」
「すみません、僕にはちょっとわかりません。用事があるのでこれで」
男はそういうとそそくさと離れていった。
どうやら失敗したようだ。何がいけなかったのだろう。先ほどの自分の行為について考えてみる。ああ、そうか。よくよく考えてみれば人選ミスではないか。大体紅茶なんてものは男よりも女の方が好きなものだ。現に私は特段紅茶が好きではないではないか。
よし、次は女に聞くことにしよう。丁度いいところに成人なり立てといったようなOLが向こうからやってきた。さあ、思い切って聞いてみよう。
「すいません、ちょっといいですか?」
「…はい、何でしょうか?」
優しそうな女だ。どこか母性のようなものを感じる。この女なら、きっと私の問いに答えてくれるだろう。
「聞きたいことがあるのですが、一体『おいしい紅茶の淹れ方』とはどのようなものなのでしょう?」
「…えっと、今何と?」
女は少しおびえたような表情を見せた・
「ですから、『おいしい紅茶の淹れ方』とはどのようなものなのでしょう?」
「…」
女は黙りこくって困った表情を見せた。だが、しばらくして優しい笑顔をつくって言葉を発した。
「ごめんなさい、私、紅茶とか分からないんです。自分で紅茶淹れたことなんてなくて…」
本当に申し訳なさそうな語調と表情だ。しかしどうも信じられない。ひょっとしたらこの女は嘘をついているのではないか?
「それは本当ですか?」
「え?」
「女なのに『おいしい紅茶の淹れ方』を知らないなんて、そんなの信じられませんよ。あなた、嘘をついているんじゃないですか」
途端に女はおびえた表情に戻った。いや、おびえたというよりも悲しんでいるのかもしれない。目が潤み始めている。
「…そんな、私、嘘なんか…」
私は女を睨み付ける。同情を誘おうとしても無駄だ。私はそんな簡単に騙されたりはしない。すると女はごめんなさい、と一言残して去っていった。
全く危ないところだった。もう少しで騙されるところであった。あいつは少し私を見くびっていたようだ。
しかし、結局答えを得ることは出来なかった。次こそは成功しなければならない。誰に聞けばよいだろう。ああ、そうか。考えてみれば日本人よりも紅茶に詳しいであろう人種、イギリス人に聞けばよいのではないか。全く思い違いをしていた。日本人ではだめに決まっている。あいつらは『良い人』に対しては親切だが、『良くない人』に対しては不親切だ。裏表がある。それに対してイギリス人というやつはきっと誰に対しても親切だろう。何たって紳士の国だ。私に対しても優しくしてくれるはずだ。
丁度いいところに西洋系の顔立ちをした長身の青年が立っている。きっとイギリス人に違いない。さあ、自信をもって聞いてみよう。
「すいません、ちょっといいでしょうか」
「…######」
よく分からない言語を話してきた。どうして私の話す言葉で話してくれないのだ?まあいい。とにかく本題に入ろう。
「聞きたいことがあるのですが、一体『おいしい紅茶の淹れ方』とはどのようなものなのでしょう?」
「…#######?」
また訳の分からない言葉を話す。なんて不親切な奴だろうか。
「ですから、『おいしい紅茶の淹れ方』とはどのようなものなのでしょう?」
「#############################?」
ダメだ。これでは埒が明かない。私は頭のおかしい外国人のもとを離れて歩き始めた。
ああ!どうすればいいのだろう!何の進歩もしていないではないか!これでは一体いつになったら「おいしい紅茶の淹れ方」を知ることが出来るのか分かりはしない。
そうだ!今まで若い奴らにばっかり聞いているからいけなかったのだ。老人の方が長く生きている分たくさんのことを知っているに決まっている。亀の甲より年の劫。さあ、年老いた人間を探して聞いてみよう。
周りを眺めると、やはり丁度良く年老いた老女がいる。私はなんて運がいいのだろう。おや?よく見てみるとその老女に対して誰かが何かを尋ねている。あのサラリーマンだ。あの私が最初に話しかけた、役立たずのサラリーマンが老女に話しかけているのだ。
眺めているうちに老女は男のもとを離れていった。男は肩を落としてこちらのほうに歩き始めた。目が合った。男は困ったような笑顔を見せてどんどん近づいてきて、
「いやあ、また会いましたね」
と言った。
「これは、どうも」
どう返したものか分からない。とりあえず何をしているのか聞いてみよう。
「あの女の人に何を聞いていたんですか」
すると男は苦笑いをして話し始めた。
「いや、実はですね、恥ずかしながらあなたに『おいしい紅茶の淹れ方』を聞かれてから私もだんだん気になってきましてね、それであの人に聞いてみたんですよ。お年寄りならいろいろ知っていると思いまして」
何ということだろう。私以外に「おいしい紅茶の淹れ方」を知ろうとしている人間が今目の前にいるとは!何だか感慨深い。今、確かに仲間が目の前にいるのだ。
「…それで、あの老女は知っていたんですか、『おいしい紅茶の淹れ方』を」
男は悲しそうな顔をして首を横に振った。
「駄目でした。紅茶なんて全然知らないって…あなたの方はその後どうですか、『おいしい紅茶の淹れ方』が分かりましたか?」
「いえ、全く分かりません」
男はそうですか、というと黙りこくった。沈黙が私と男を包み込む。その周りでは人々が縦横無尽に駆け巡っている。しばらくして私はある考えを思い付き、それを男にぶつけてみた。
「どうですか、あなた、これから二人で『おいしい紅茶の淹れ方』を探しませんか」
「え?」
「だって二人で一緒に探した方が絶対に楽でしょう?ねえ、そうしましょうよ」
男は少し子供のような明るい瞳を見せたが、すぐにそれを眼のずっと奥の方にしまい込み、残念そうに言った。
「そうしたいのも山々なんですが、もう仕事に行かなければならないんです」
「仕事?」
「はい、仕事です。流石に仕事をほっとくわけにはいきませんから」
何ということだろう。この男は「おいしい紅茶の淹れ方」よりも仕事が大事だと言っているのだ。何とつまらない人間だろうか。私は惜しげなく侮蔑の視線を送ってやることにした。
「あなたはまだ『おいしい紅茶の淹れ方』を探すのですか?」
「…ええ、まあ」
「そうですか、じゃあ僕の分も頑張ってください。それでは」
そう言い残すと男は仕事場へと向かっていった。
さて、これからどうしようか。家に帰ろうか、いや、今家に帰れば一生「おいしい紅茶の淹れ方」を知ることが出来ないだろう。そんなのは嫌だ。私は何としても「おいしい紅茶の淹れ方」を知りたいのだ。
町はたくさんの人でいっぱいだ。この中にきっと私の求める答えを持つ人間がいるはずだ。あんなサラリーマンやOLや外国人みたいな人間ばかりではないはずだ。そうだ。きっとそうだ。
ベンチに不自然な目つきで人々を眺めながら座っている男がいる。よし、次はあの男に聞いてみよう。
おいしい紅茶の淹れ方 ポール石橋 @DavidMcCartney
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