第五章

 時は、リリーがさらわれた直後に遡る。

「私をどうするつもりだ?」

 連れてこられた王城の一室で高圧的に問いかける。可憐な顔を嘲笑に染め、それだけで人が殺せそうな殺気を放っているリリーは、普段のリリーと同一人物だとは思えない。

「おおー、怖い怖い。でもそんな態度でいいんですか?」

 リリーの脅しにもひょうひょうとした態度を崩さないマークに、リリーは怪訝な顔を向ける。

「どういうことだ、身体操作を縛る魔法は、半日で解けるはずだ。そうなればお前らを皆殺しにすることなど造作も無いんだぞ」

「そうでしょうね、『鮮血の魔女』。あなたには魔王様ですら手を焼き、しまいには放置したくらいですから」

「それがわかっているなら、なぜ私をさらったりした?」

「それは、これが手に入ったからですよ」

 マックが指を鳴らすと、メイドが幕の掛かった大きな箱のようなものを台車に乗せて持ってくる。

「何だ、これは?」

「まあ、そう焦らないことです」

 マークが幕を取り払うと、そこには鉄製の頑丈そうなおりが表れ、中には手足に鎖のつけら、意識を失っている一人の女性が閉じ込められていた。その女性は、金色の髪を伸ばし、ボロ布一枚しかまとっていないにも関わらずまったく損なわれることのない美貌と男を惑わす豊満な体つきをしていた。

「!?」

「その女が誰か、あなたならわかるでしょう? 私たちに逆らえば、その女がどうなのかも、ね?」

 再びマークが指を鳴らすと、メイドがためらいがちにおりの横の魔法陣に魔力を込める。魔法陣から発せられた電流が、鎖の通して女性を襲う。

「があああああ」

 通電の衝撃で目の覚ました女性は、エビ反りになって叫び声を上げる。

 通電が終わり、息も絶え絶えになった女性がこちらを見る。

「リ、リー? あなた、リリーなの!?」

「ああ、母さん、私はリリーだ。それより、どうして母さんがとらわれている?」

「私たちがさらってきたからですよ。まったく、あなたが人間の中に隠したりするから、探すのに苦労したんですよ?」

「貴様ら……っ!」

「いいんですか? また通電させますよ?」

「くっ」

 母を人質に取られ、歯噛みすることしかできない。

「ふふ、いい心掛けです」

「どうだ、リリーの様子は?」

 マークの後ろの通路から、違う男性の声がする。その声を聞き、母は震えだした。

「母親を人質に取られては、何もできないでしょう」

「そうか。久しぶりだな、我が妹よ」

「ドレイク……」

 ドレイク=アスワン。リリーが前当主を殺した後、当主の座についた腹違いの兄。

「兄に向かって呼び捨てとは、失礼な妹だな」

「私に貴様の敬う理由など無いからな。それで何が目的だ、ドレイク」

「ひどい妹だ。私こんなにお前を愛しているというのに」

 リリーを変態的な視線で舐めるように見るドレイクは、陶然とした様子で語る。

「抜かせシスコン」

 昔からリリーに対し異常な執着を見せる変態に、リリーは背筋が寒くなる。マークなどより、よっぽどやっかいな相手の登場と、母を人質に取られている状況に、リリーは為す術がない。

「ああ、リリー私の愛しい妹よ。ついに、ついに私のものになる日が来た」

 ドレイクはリリーの肩を抱くと、その頬を舐める。

 変態極まりない行為に、どうしようもなく不快な気分になるリリーだったが、ドレイクを見て一層怯える母を守るためには、ただ耐えるしかなかった。

「まさか、私を好きにしたいがために、母さんをさらったと?」

「その通りだ。それ以外このアバズレに価値なんて無いからね」

 数多の男を魅了し、アスワン前当主でさえ骨抜きにした母をアバズレ呼ばわりするとは、本格的にリリー以外の女性には興味が無いらしい。

「それでは、私が従順なら母さんには危害を加えないんだな?」

「ああ、それは約束しよう。そもそもこれが死んだりすれば、私たちもリリーに殺されてしまうだろうからね。いやでも、リリーになら殺されるのも悪くないか……」

 じゃあ殺してやろうか、と本気で行動に移しかけたが、それで母さんがいたぶられてしまっては元も子もない。

 それからの日々は地獄のようだった。

 まず、食事が辛い。リリーは自分で食べることができず、すべてドレイクに食べさせてもらい、その後リリーがドレイクにすべて食べさなければならない。正直味などわかったものではない。

 入浴もまた辛い。ドレイクの体はリリーが手で洗い、リリーの体はドレイクが手で洗う。リラックスできるはずの入浴で、ストレスのみが蓄積されていく。

 そして極めつけには、ドレイクと同じベッドで寝させられる。ほとんど寝られない日々が続いた。

 幸いにして、ドレイクはキスやその先の行為は求めてこない。曰く、リリーが心からドレイクのものになった時のためにとっておくのだそうだが、そんな日がこないことを願うばかりだ。

「さらわれてきてもう一週間か……ナオトたちはどうしているだろうか」

(……リ……リ……、きこえ……)

「うん?」

 ドレイクが政府関係の用事で王城におらず、自室に一人だったリリーに、誰かからの声が聞こえた。

(リリー、聞こえるか?)

(!? ああ、聞こえているぞ!)

 一週間ぶりに聞く直人の声に、リリーは喜びを隠せない。念話の有効範囲に制限はなく、どこにいても念じるだけで話せるにも関わらず、まったくもって連絡してこない直人に、内心ではリリーのことを捨てたのではないかと疑っていたのだが、杞憂だった様だ。

(悪かったな、王城の結界のせいで念話が飛ばせなくてな、もしかしてリリーの方からも念話してくれてたのか)

(最初の数日はな。それ以降は、ナオトが私のことを捨てたのではないかと……)

(なっ、何言ってんだよ! そんなことするわけ無いだろ?)

(そうだな、悪かった。それで、どうして今は念話できているんだ?)

(千紗がバレないように結界を部分的に破って穴を開けたからだ。今から逆召喚でリリーのところに行くつもりなんだが、今リリーの周りに誰かいるか?)

(管理者に気づかれずに結界に穴を開けた上に、逆召喚とは……もう何でもありだな、チサのやつは)

(確かにな。それでどうだ、今からそっちに行って大丈夫か?)

 リリーは王城の自室周辺の気配を探る。

(ああ、今なら大丈夫だ。とはいえ少し厄介なことになった。おそらく私はナオトたちと敵対しなければならないだろう)

(どういうことだ?)

(私の母親は淫魔族だという話はしたと思うが、その母が敵に捕まり人質にされている。母を守るために、私は奴らには逆らえない)

(なるほど、だから自力で脱出できなかったのか)

(そういうことだ)

(わかった、それじゃあ千紗にリリーの母さんの救出を頼もう。俺はリリーと戦う)

(私と戦うとは、簡単に言うが私は強いぞ?)

(大丈夫だ、打ち合うだけならなんとかなる)

(そうか? それではナオトを信じよう)

 そこで直人はしばらく黙り込む。おそらく千紗と話しているのだろう。程なくして、再び直人から念話が入る。

(じゃあそっち行くから、一旦念話をやめるぞ?)

(了解だ)

 念話をやめたリリーの前の床が突然輝き出す。

「千紗、どうやらリリーの母親が人質になってるらしい。だからリリー自力で脱出できなかったみたいだ」

「卑劣ですね」

 千紗は静かに怒りを露わにする。

「そうだな、それで千紗にはリリーの母親の救出を頼みたいんだが、大丈夫か?」

 前回の襲撃時、千紗は敵を認識できていなかったので、千紗がどのくらい強いのか、そのことは直人にも未知数だ。不安がないといえば嘘になるが、止めたところでついてくるだろうし、千紗がいないとリリーのところに行けない以上、おいていくわけにもいかない。

「大丈夫です、前回認識できなかった魔族の対策も用意してありますし」

「そうか、じゃあ任せる」

「はい、おまかせください」

 一瞬目線を上げ、直人は黙り込み、そしてすぐに千紗に視線を戻す。

「向こうは大丈夫みたいだ。千紗よろしく頼む」

「こっちも準備は万全です。いきます!」

『我が同胞と契り交わしし眷属よ、その存在を示し我らを導け』

 その身に魔力を帯びた千紗を中心に魔法陣が展開され、直人たちは光に包まれる。

 光が止むと、景色は一変しており、目の前にはやたらと装飾の多いひらひらした服を着せられたリリーが立っていた。

「……まったく、本当に逆召喚を成功させるとは、チサだけは敵には回したくなかった」

「何言ってるんですか? 私は味方ですよ?」

『『剣よ、我が求めに応じ顕現せよ』』

 直人とリリーは、無言で剣を取り出す。

「二人とも、何を――」

「そうも言ってられないんだ、悪いなチサ」

 突如として千紗の認識速度を超えた速度で襲い掛かってくるリリーを、直人がすんでのところで受け止める。

「おいおい、強いとか言いながらその程度か? それなら夢魔の魔法の方がよっぽどやっかいだ」

「ナオトこそ、いつの間にこんな力をつけた? 私以上の力を持っていたとはいえ、その扱いは素人丸出しだったはずだが?」

「リリーを助けるために、こわーいお嬢様に剣術をならったんでね。千紗! お前は早く行け」

 もはや何をやっているのかわからないが、呆然と直人とリリーの戦い見ていた千紗は、直人の声で我に返る。

「は、はい! 兄さんもご武運を!」

 慌ててドアに向かい、何重にもなった魔法によるロックを、右手を振るう仕草のみで解除し、部屋を出で行った。

 その鮮やかすぎる手際に、戦いも忘れ、二人は呆然としてしまう。

「あのロック、私が一日かけても解けなったんだがな……」

「マジかよ……」

 千紗に対してはプライバシーを守ることは不可能だろうな、と思った。

「っと、そんな場合じゃねーな、いくぞリリー!」

「いくら『魅惑の剣聖』に稽古をつけてもらったとはいえ、所詮は付け焼き刃。私に勝てると思うな!」

 人知を超えた戦いに、王城の一室はとうに壊れ、隣の部屋とつながってしまっている。

 二人の戦いの決着はまだまだつきそうになかった。

(うわー、どうしよこれ)

 ドレイクから留守番を頼まれていたマークは、廊下からリリーの部屋の惨状を目の当たりにし、困り果てる。

 幸い助けに来た仲間と結託して王城の脱出しようとはしなかったらしい。やはり母親を人質にしておいて正解だったようだ。

「――兄さんもご武運を!」

(うん?彼女は……)

 魔法で身を隠しているマークの方に向かって、見たことがあるような女性が走ってくる。

(そうです、彼女はリリーをさらったときに利用させてもらった子ですね。確か魔族の身体操作を一定期間封じるという強力な魔法の使い手。この際ですから)

「彼女もこちら側に引き込んでしまいましょうか、ですか。甘く見られたものです」

(!?)

 マークが、気づかれるわけがないとたかをくくって思考にふけっている間に、いつの間にか目の前に立っていた千紗が、認識できないはずのマークの襟首を掴み、認識阻害の影から引きずり出す。

「さっさとそこから出てきな、さいっ!」

 千紗は、マークを陰から引きずり出した勢いのままに床へと投げ捨てる。

「ガッ……これはどういうことでしょう?」

「まだわからないのですか? 愚劣極まりますね。先ほど私は、あなたの心の声を引き継ぎました。そのことからお気づきになってもよろしいのでは?」

「……」

 そんなことを言われても、マークには見当がつかなかった。そもそも、認識阻害の精度ならマークは魔王にすらまさるのだ。ただの人間に見破れるわけがない。

「そうなんですか、魔王とやらも大したことないんですね」

 またもマークの思考を読みそれにわざとらしくリアクションをとってみせる千紗に、マークは完全にのまれていた。

「強制契約、といって伝わるでしょうか?」

 得体の知れないものに襲われ、戦意を失いかかっているマークに、千紗は静かに告げる。

「本来は暴れる猛獣などを沈めるために一時的な契約を一方的に行うものなんですが……」

 そこで千紗は何かを思い出したのか、唐突に話を切る。

「っと、今はそれどころではないんでした。さて、それではリリーのお母さんのところに案内して貰いましょうか」

「だ、誰が案内するものか!」

 マークは、最後の気力を振り絞りなんとか抵抗する。

「教えなさい」

 再び発せられた千紗の言葉にマークの目から意思の光が失われる。

「……はい」

 傀儡と成り果てたマークに案内され、千紗は悠悠をリリーの母親の救出に向かった。

 愛しのリリーのため、早々に用事を済ませ、王城の前まで戻ってきていたドレイクは、外壁が内側から破壊される轟音を耳にし、思わず顔を上げる。リリーの自室があるあたりの外壁が崩れ、ドレイクの前方、王城の麓あたりに落下した。

「何事だ?」

 何かあれば、すぐドレイクに連絡するようにマークには言ってあったはずだ。リリーも知覚できないマークが、リリーが何か起こすまで気が付かないとは考えにくい。考えられるのは、この事態がちょうど今起こったものである可能性と、マークが何者かの手に落ちている可能性だ。

 後者であった場合、最悪二人とも今日中に死ぬことになるだろうが、ドレイクは前者である可能性にかけ、リリーの方に向かうことにした。

 一足飛びに王城の二階テラスに足をかけ、そこから一気に三階の壁に空いた穴に飛び込む。

「リリー! 無事か? ぐはっ」

 そして、直人とリリーの剣戟の中心地に運悪く着地したドレイクは、そのまま壁に叩きつけられる。普通の人間ならとっくにひき肉になっているようなダメージを受けて生きているのだから、ドレイクも並の魔族ではないのだろうが、この二人が相手では分が悪かったようだ。

「おい! なんか入ってきて、吹っ飛んでいったぞ!」

「それは私をさらった主犯で、私の腹違いの兄だ! それよりどうした、まさかもうスタミナ切れか?」

 二人は、完全にやりすぎていた。本来、リリーの母親の安全のため、戦っているふりをしていればよかったはずなのだが、今の二人は純粋に戦いを楽しみ、当初の目的などまったく頭にない。案外二人は血気盛んだったようだ。

「いや、無視しないでくれよ……」

 愛しの妹に無視され、打ちひしがれるドレイク。

 そんなドレイクなどもはや眼中にない二人は、とうとう三枚目の壁を突き破り、次の部屋に破壊の嵐を巻き起こす。

 かろうじて何が行われているのかわかる程度のドレイクには、どうすることもできない。さらに、リリーが明らかに襲撃者である少年と戦っている以上、母親を使って脅すことも不可能だろう。もしそれをすれば、この先リリーはドレイクの言うことを聞かなくなることが予想される。

 リリーはあくまでドレイクに従順である限り母親に危害は加えない、という約束をドレイクが守っているから、ドレイクの言うことを聞いているだけなのだ。襲撃されている側の大将が、襲撃者の迎撃にあたっている部下に、それをやめるように命令するなどという筋違いなことをするわけにもいかず、ドレイクは見ていることしかできなかった。

 本当ならここでリリーを無理矢理にでも命令で止め、直人と引き剥がすべきだったのだが、直人たちとの接触を全てマークに任せきりだったドレイクは、リリーと直人は仲間同士で、リリーが直人の使い魔であることを知らなかった。

 その結果、ドレイクはリリーの母親がこちらの手にある限りは、リリーがドレイクを攻撃することはなく、もし少年が攻撃してきても、リリーが守ってくれる、とそんなふうに考え、二人の戦いのを観戦していたのだ。

 ドレイクが、マークはどうしているのかということを気にし始めた時には、全てが遅かった。

「これはひどいですね……」

 そこには、おりの中に閉じ込められ、手首と足首に鎖でおりにつながれた拘束具をつけられた女性の姿があった。

「大丈夫ですか?」

 呼びかけに応じる声はない。呼吸が確認できるので、意識を失っているだけだろう。

「これの開け方を教えなさい」

「……このおりに開け方などない。この折はこれを入れた状態で作ったもので、扉にあたる機構はない」

「つくづく外道ですね。あなた、もういいです、しばらく黙ってなさい!」

 感情的に叫ぶ千紗の命令を聞き、マークは黙り込む。

(しかし、これでは、リリーのお母さんを助けることが……! いや、できるかもしれない)

 しかし、それには名が必要だ。千紗はおりの中に手を入れ、リリーの母の体を揺する。

「起きてください、リリーのお母さん! お願い、起きて!」

「んっ、リ、リー? じゃないわね、あなた、誰? リリーのお友達かしら?」

「目が覚めたんですね! そうです、私はリリーの友人の千紗といいます。私はリリーを助けるために、あなたを助けに来ました。時間がありません、急な話で悪いのですが、理由は後で話すので、今すぐ名前を教えてくれませんか?」

「? よくわからないけれど、時間がないのはわかったわ。あなたは私にひどいことをしないようだし、教えてあげる。私の名前は、マリー。マリー=アスペルよ」

「ありがとうございます」

 千紗は、リリーの母の名前「マリー=アスペル」を術式に組み込み改編した、指定召喚の魔法を行使する。

『彷徨える使い魔マリー=アスペルよ、我の呼び掛けに応じるその姿を現せ』

 魔力を帯びた千紗の詠唱に合わせ展開されていく魔法陣が、詠唱の完了とともにひときわ強い光を放つ。

「これは……」

 おりの前に召喚されたマリーは、見たことの無い召喚魔法に困惑する。

「成功したみたいですね。すみません、全裸で召喚してしまって。手足の拘束具が一緒召喚されてしまうと厄介だったので……」

 術式改編時に、拘束具から開放するため、身につけているものすべてを召喚の対象から外した結果、マリーは今一糸まとわぬ姿で千紗の目の前に立っていた。

「いえ、それはかまわないのだけれど……それより今の魔法は何?」

「それは、リリーのところに向かいながらお話します。とりあえず今はこれを来てください」

 千紗は、自身の上着をマリーに手渡す。

「ありがとう。でも、小さいわね……」

 十分胸が大きい千紗に合わせて作られた上着の胸の部分が、今にもはちきれそうになっていた。

「閉めないで着たほうが良さそうですね……」

 こんな格好の美女を兄に合わせて大丈夫だろうか、と千紗は心配になる。

「それでは、リリーのところに案内しなさい」

「……はい」

 二人は、未だ操られているマークに先導されながら階段を上がっていく。

「それでは、先ほどの魔法についてご説明します」

「その前にいいかしら? あなた本当はリリーとどんな関係なのかしら」

 千紗の素性を疑っているというより、娘の事を心配しているようだった。

「そうですね、正確には恋敵、でしょうか?」

「あらあら、あの子にも想い人がいるのね」

「そうなりますね、まあ詳しい話は娘さんから聞いてください。それで、魔法の話に戻しますがいいですか?」

 マリーは首を横に振る。

「それはもういいわ。リリーと同じ人に恋しているあなたが悪人なはずないもの。それならさっきの魔法は私になんの害も無いのでしょう? それだけわかれば十分よ」

「そうですか、ありがとうございます。マリーさんはいいお母さんですね」

「そうかしら? それなら私の娘になっちゃう?」

 ウインクしながら笑顔を見せるマリーは、とても年上には見えない。

「いえ、今は遠慮しておきます」

「ふふ、可愛い娘はいつでも募集中よ♪」

 二人は、終始和やかに王城の中を進んでいく。本来ならばそんな雰囲気ではないはずだが、マリーの明るさがそうさせているようだ。マリーは、この程度の危機には慣れっこなのかもしれない。

 そうこうしている内に、二人はリリーと直人が戦っているところに到着した。

 あまりに惨状に呆然としていた千紗は、はっと気を取り戻すと、大きく息を吸い込む。

「二人とも! いい加減にしなさい!」

「「ひぃぃっ」」

 突如として発せられた怒号に、三人は異口同音に悲鳴を上げ縮こまる。

「三人とも、そこに正座!」

「「「は、はい……」」」

 ドレイクに従う必要はないのだが、先ほどまで超常の戦いを繰り広げていた直人とリリーが、怯えた様子で従っているので、危険を感じ従っておくことにした。

「いいですか、兄さん、リリー。私たちの目的はなんでしたっけ? 王城の破壊でしたっけ?」

「「違います」」

 直人とリリーは、ビクビクしながら答える。

「そうですよね? ではこの惨状はなんですか?」

「「調子に乗ってました! 本当に申し訳ありませんでした!」」

 勢いよく頭を下げ、土下座をする二人。

「はあ、まあいいでしょう。今回は許します。それであなた、名前は?」

 千紗の許しを得ても土下座をしたままの二人の隣で、正座したままの男性に視線を向ける。

「ドレイク=アスワンだ」

「アスワンというと、リリーの家族ですか?」

 直人が顔を上げ、しかし正座はしたままで答える。

「こいつはリリーの兄貴らしい」

「そうですか、それでこの人が主犯ですか?」

 次の質問には、同じく顔を上げ、正座したままのリリーが答えた。

「そうだ、こいつが私をさらった」

「なるほど。ドレイクといいましたか、なぜこのようなことを?」

「愛だ」

 ドレイクは千紗の目を見て、力強く断言する。

「愛、ですか?」

「ああ、愛だ。私はリリーのことを、異性として心から愛している」

 包み隠さぬシスコン発言に、流石に頬を引きつらせる千紗。直人は、お前が引くのはどうなんだブラコン妹よ、と思ったが口にはしない。

「そうですか、つまりシスコンなのですね?」

「だからなんだというのだ」

「どうしましょうか、兄さん?」

 処分に困った千紗が、直人に丸投げする。だたこの変態とこれ以上関わりたくないだけかもしれないが。

「リリーはどうしたい?」

「私と母さんにはかかわらないと約束するなら、どうでもいい」

 リリーがそういうなら直人に異論はない。

「そうか、それじゃあとりあえず縛って転がしとくか」

 手早くロープを取り出した直人は、ドレイクを縛り上げる。

「そうだ、千紗。その魔族は今千紗のいいなりなのか?」

「はい、私が解除するまではこのままですよ」

「なら、こっちが質問したことにも答えるように命令してくれ」

 目的のわからない指示に、千紗は訝しげだ。

「いいですけど、何をするつもりですか?」

「あー、ちょっとな……」

「後でちゃんと説明してくださいね? 兄さんの命令にも従いなさい」

「……はい」

 千紗の命令に、マークが抑揚のない声で答える。

「サンキューな。おい、ブレンフォード夫妻はどこだ?」

「⁉ 兄さん、どういうことです? ルナの両親は、仕事でなかなか帰ってこないだけではないんですか?」

「いや、それは俺たちを心配させないための嘘だ。本当は政府のバックにいる魔族に幽閉されているらしい」

 直人は、修行の終わりにアリシアから聞いたことを話す。

「ブレンフォード夫妻は、地下二階の牢獄の中だ」

 もう殺されている、という最悪の場合も想定していた直人は安堵する。

「よし、こいつも縛ってここにおいていこう。俺たちは、ブレンフォード夫妻を救出して帰るぞ」

「いいんですか兄さん? せめて憲兵にでも突き出した方が……」

「俺たちの目的はこいつらを処分することじゃない。それに、俺たちだって正式な手続きを踏んで王城に入ったわけじゃないだろう?」

 いま憲兵に見つかれば、直人たちもただではすまない。ならば目的を達成して早々に立ち去るべきだ。

「確かにそうですね。それでは、念のためこの二人の魔力を封じておきましょう」

「そんなことができるのか!?」

 こともなげに恐ろしいことを言う千紗に、リリーは驚愕する。

「できますよ? ですが、対象の体に直接刻印する必要がある上に、一日が限度ですけどね」

 それでも十分にすごいのだが、千紗はそのことに気がついていないようだ。

「完了です」

 手早く二人の首元に魔力による刻印を転写し立ち上がる。

「よし、じゃあ地下牢へ向かおう」

 一行は、リリーの自室だった場所を後にした。

「そういえば、どうやって王城から脱出するんですか?」

「あ」

 完全に失念していた。

 直人たちは正式な手続きを踏んで王城に入ったわけではないのだ。当然ながら正面から出るわけにはいかない。

「どうしよう?」

 前で階段を下っている直人が振り返る。

「いや、私に聞かれても……」

「私にいい考えがあるわよ」

 扇情的な服装のリリーの母、マリーが答える。その瞬間、直人はマリーから目が離せなくなってしまう。

「ど、どうするんですか?」

 夢の中のリリーを彷彿とさせるその姿に、思わずどもってしまう。

「ふふ、どもっちゃって、うぶで可愛いわね」

「母さん、ナオトは私のものだ」

「あら、リリーの想い人って彼のことだったの?」

「そうだ、手は出さないでくれ」

「えー、どうしよっかな~」

 完全に面白がっているマリーは、直人に流し目を送る。

「そ、それで、どうやって脱出するんですか?」

 相変わらずどもってしまう直人だが、このままでは話が進まないと思い、なんとかマリーに続きを促す。

「それはね、今の直人くんの反応が答えよ」

「? どういうことですか?」

「そうね……」

 マリーがふっと力を抜くと、直人はマリーから目をそらせるようになった。

「⁉」

「どう? 今まで私から目が離せなくなっていたでしょう? そして今それが解けたのだけど、気がついたかしら?」

「まさか今のは魔法ですか?」

 どもることなく尋ねる直人の問に、マリーは頷く。

「淫魔族の魔法で魅惑の魔法と呼ばれるものよ。これがあれば男性の注意をそらすことができる。この魔法の便利なところは、魅惑させる対象が自分に限定されないところね。憲兵をやり過ごしたいだけなら、壁にでも魅惑させておけば大丈夫だと思うわ」

「じゃあ、お願いしてもいいですか」

「ええ、まかせなさい。それに助けてもらったのは私の方だしね」

「ありがとうございます」

 話している内に直人たちは地下二階へと到着していた。

「っっっ〜〜〜! お父さん! お母さん!」

 ブレンフォードの屋敷の玄関で数年ぶりに両親との再会を果たしたルナは、その目に涙を浮かべて駆け寄り、力いっぱい二人を抱きしめた。

「ありがとね、ナオト」

 ナオトの横に歩み寄ったアリシアが、直人に礼を言う。

「大した事じゃねーよ」

「ナオトにとってはそうかもしれないけど、私たちにとってはそうじゃないのよ」

 両親と再会を喜び合っているルナを見ながら、アリシアは目を細める。

「結局、私は肝心なときに何もできなかった……」

「そんなことないだろ? アリシアがいたからリリーと互角に渡り合えたんだぜ?」

 アリシアがいなかったら、今頃直人はこの世にいないだろう。

「それでもよ。ルナの両親を救ったのも、政府を魔族から開放したのも、全部ナオトのおかげだわ」

「そんなこと――」

「いえ、そうよだから改めて言わせてほしい」

 直人の言葉を遮ったアリシアは、居住まいを正し、直人の正面に立つ。

「今回は、本当にありがとうございました。感謝してもしきれません」

 そう言って勢いよく頭を下げる。

「ちょっ、待ってくれ、顔を上げてくれアリシア。俺はリリーを助けに行っただけで、そんな礼を言われるようなことなんて……」

 慌てる直人に、アリシアも顔を上げて微笑む。

「いいのよ、これは私なりのけじめだから、気にしないで」

「そうか? でもこれっきりにしてくれよ? 本当に感謝されるようなことはしてないからな?」

「はいはい、わかったわよ。全く照れちゃって、可愛いとこあるじゃない」

「っっ、お前な〜」

 怒る直人に、アリシアは楽しそうに笑う。

「そう言えばナオト、まだ決心はつかないのかしら?」

「何の決心だ?」

「何って、私たちの勢力に入る決心に決まってるじゃない」

「あー、そういえばそんなこと言ってたな」

「そういえばって、あんたねー……」

「いいぜ、入ってやる」

「あら、随分あっさり決めるじゃない?」

 すんなり加入を決めた直人に、アリシアは拍子抜けした様子だ。

「まあ、今回のことで色々世話になったし、魔族にも目をつけられちまっただろうからな」

「そう、それなら私たちブレンフォードはあなたとあなたの仲間の加入を歓迎するわ」

「とはいえ、もう目標は達成したんじゃないのか? 王城の魔族は倒しただろう?」

「? 何言ってるの? 今回行った王城は、領主の城であれは下っ端よ? まあ、ナオトたちはこの世界のことに疎いから、そう思っても無理ないでしょうけど……」

「つまり、魔族から開放できたのはこの地域だけってことか?」

「そうなるわね。ここの領主、つまりあの王城の本当の主が権力を取り戻せば、中央政府に巣食うの親玉も何かあること警戒してそう簡単には手出しできないでしょうしね」

「まだまだやることは山積みってわけだ」

「ええ、だからこれからもよろしくね、私の一番弟子さん?」

「わかりましたよ、師匠様」

 わざとらしく言ったアリシアに、直人は軽口で返すのだった。

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